憲法記念日に因んで・・・

キングサリの黄色い花も開き始めました。

◎手元に朝日新聞5月1日の切り抜き記事があります。「民主憲法の父」と呼ばれる千葉卓三郎のお墓にについての記事です。

◎「憲法記念日の今朝の朝日の世論調査結果では、

 9条改正の是非は「変えるほうがよい」が32%、「変えない方がよい」が61%。「いまの憲法を変える必要があるか」には、「変える必要はない」が53%、「変える必要はない」が39%で昨年の52%対37%とほぼ同じ。

 2013年から毎年同じ形式で質問。「変える必要がある」という割合は、22年に56%と初めて50%台後半に増えた。

 22年調査はロシアによるウクライナ侵攻が始まった直後の時期に重なり、安全保障面の懸念が影響した可能性がある。必要の有無を答えた人に、それぞれ理由を八つのs選択肢から三つまで選んでもらった。

 共に安全保障関係の理由が多く、「変える必要がある」という人は、60%が「国防の規定が不十分」を選んだ。「変える必要はない」という人は、その68%が「平和をもたらした」を挙げた。

◎ところで、千葉卓三郎の五日市憲法について私が初めて知ったのは、「光は辺境から『自由民権 東北で始まる』」と題した日本国憲法についてのNHKの番組でした。憲法記念日の今日は、ここから一部をコピーで:

光は辺境から・・・「自由民権 東北で始まる」(その3) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

日本国憲法につながる地下水脈>
三宅:「どういう風にご覧になりますか?」
樋口:「ハイ、改めて、今持っている日本国憲法につながる水脈の源だな〜地下水脈の水源だな〜と。
特に色川先生ご自身が陣頭指揮して発掘した五日市憲法草案は、つまり、何かをしたいという止むに止まれぬ「行動」、それと世界につながっていく「知」、「行動と知」というものが、草深い村落であゝいう風に結びついたという、これこそ地下水脈の水源だろうと改めてそういう思いを強くしますね。
戦後、こういう議論がありますよね:「戦後日本は戦争に負けて日本の歴史に関係のないものを戦勝国に押し付けられた、だから、これをご破算にしてやり直そう」という。 とんでもない、そういうことではないんだということが・・・。
実際、1945年、敗戦後、占領軍が大変注目した民間の憲法研究会の方々が作った案がある。在野の知識人、論客たちの集まりですが、その中で唯一の憲法研究者が鈴木安蔵鈴木安蔵が高知に行った時、そこで、今まで世の中に知られていなかった植木枝盛の資料に出会う。そういう鈴木安蔵が中心になって民間草案を書いた。



鈴木安蔵は、現在の南相馬市の出身。自由民権運動に光を当てた憲法学者です。
昭和11年、高知を訪れた鈴木は埋もれていた植木枝盛憲法草案を再発見する。そして敗戦後、鈴木は憲法研究会のメンバーとして昭和20年(1945年)「憲法草案」を作成。その際、植木枝盛を始めとする自由民権運動の思想を取り入れた。(「統治権は日本国民より発す」)
憲法研究会の草案はGHQ連合国軍最高司令官総司令部)に提出された。これらも参照しながら日本国憲法GHQ案がまとめられた。



戦後民主主義自由民権運動
樋口:「注目すべきは、アメリカの当局は日本の戦前にも民主主義があったんだという認識を持っていたということです。これは、植木枝盛だけでなく五日市、そして数々の自由民権運動の中で模索されていた憲法構想というものが、私は、地下水が表に出る幸せな機会を得たのだという風に理解しています。
色川:「戦後の民主主義の元の所には、自由民権運動があると・・・」
樋口:「ハイ、全く」 色川:「仰る通りだと思いますね」
菅原:「鈴木安蔵さんとか、そういう力もあり、遡れば植木枝盛とか、千葉卓三郎とか、そういう人達が、優れた貴重な憲法を作り上げたわけじゃないですか。今こそ、その憲法をもう一度一つ一つ読んでいけば・・・。日本人は、日本の国はこうしていくんだということが示されているわけだから、そこへ戻るというかなぁ〜。
若者たちが新しい自由民権を考えてほしいですね。」
色川:「そうですね。今度の東北大震災で、僕はずいぶん走り回って、感じたんですが、若者が今の暮らしに一寸おかしいぞ、不自然だぞ、と考えるきっかけをつかんだ。他の人の災害に自分が労苦を分かち合うという考えが出てきて、それが行動に表れている。新しい・・・を拓くんじゃないかという気がする。」
菅原:「光は辺境から・・・ お二人の話を聞いてネ、昔から言われますね、光は辺境から・・・・


自由民権運動が130年前に燃え上がった福島。
毎年、民権家の子孫たちが集まり、「福島自由民権大学」が開かれている。
自由民権の精神を現在にどういかしているのか、地域の人々や研究者の人も参加して議論を重ねている。(この日の集まりには、東北の自由民権家たちを訪ねた菅原さんと、その末裔の大和田さんが参加して発言をしている)
菅原:「「自由民権の水脈が果たしてあの時に途絶えてしまったのか、あるいは今日まで、どこかに細々とでも土の中を這いながらあるんだろうか」
大和田:「俺は原発反対を言い続けてきたんだけど、言葉は自由民権とついていないけども、政府がやることは間違っているから直しなさいというのは、民権運動と同じ(拍手)じゃなかったのかと、実は、文太さんと話しているうちに気付いた」

<なつかしい未来の創造>

陸前高田の復興計画。この場所にあった蔵造りの街並みを甦らせるために、流された古い建物の木材を集めてきた。
(復興の先頭に立つ河野くんが言います:)「これ全部地元の人たちがガレキの中から集めたんですよ! 新しい木材では復元できないんです」

目指すのは、「なつかしい未来の創造」
過去の英知を掘り起し、そこから未来を作っていこうというのです。
東北の人たちは今すこしづつ歩き始めています。       
「自由民権 東北で始まる」(1・15 )おわり


東北の自由民権の水脈は憲法草案に流れ込み、戦後、新憲法となって日の目を見ることになりました。
その東北は今、大災害で復興もままならず、「自由や自由や我汝と死せん」と大書した苅宿仲衛の故郷の家は今放射能の避難区域内です。「自由民権は今や姿を変えて反原発の闘いなんだ」と苅宿仲衛の子孫・大和田さんは気付きます。
自由民権の水脈は枯れたのか? それとも、地下深く流れて半世紀以上たった今また噴き出す出口を求めているのでしょうか。
願わくは、東北だけではなく、ここ大阪・関西でも、首都東京・関東でも、四国でも、中国地方でも、北陸、九州、北海道、沖縄と、あまねく日本中いたる所に湧きいずることを!
温故知新・古きをたずねて新しきを知る。受け継がれる精神を掘り起こし新しい命を注ぎたいものです。
←「五日市憲法草案」の「権理」。主張して当然の”ことわり”で英語では”RIGHT=正しいこと・正義”です。「権理」が「権利」と書かれるようになって、なんだか功利的とか利己的と思われるようになった?