沖縄在住の作家・目取真 俊さん「沖縄が日々対峙しているのは、自公政権であり、もっと言えばヤマト(本土)」

🔲中国の深圳で日本人学校の生徒が通学途中で刺され死亡した事件で、上川外相は中国外相に安全確保を強く求めました。沖縄では日本人少女が米兵に暴行されていますが、その時、外相は?
 
なぜこれを沖縄の米軍に対してはやってくれないんでしょう。 『上川大臣は「日本人、とりわけ子どもたちの安全確保を強く求める」。学校の安全を守るため4300万円をあて警備強化。「できることをすべてやるという観点から早急に措置を行う。切れ目のない対策を講じていく」』

◎9月3日の朝日新聞の「オピニオン”耕論”」頁に「安倍氏の記憶の現在地」と題する記事が。

その記事の一つが沖縄在住の作家、目取真俊(めどるましゅん)氏の記事です。目取真氏は私がブログを始めた初期の頃に、記事に”いいね”を下さって、その”いいね”を辿って知った方でした。

沖縄戦の教訓 進めた修正」と題する記事の一部から:

「安倍政権の記憶? 特にありませんね。あれほど権勢をふるい、沖縄にむち打った人でも、亡くなれば忘れ去られる。それが政治のリアルでしょう。

 沖縄が日々対峙しているのは自公政権であり、もっといえばヤマト(本土)

沖縄対ヤマトという変わらぬ基本構図の中で、ただ役者が変わってゆくだけ。憲政史上最も長く首相を務めたとはいえ、安倍氏は役者としては凡庸だったということでは。称賛する側も批判する側も、「過大評価」の印象が拭えません。

 ただ、安倍政権が、沖縄をめぐる記憶の書き換えに熱心だったことは間違いない。第1次安倍政権下の2007年3月、高校の日本史教科書の検定で、沖縄戦の『集団自決』が軒並み修正を求められました。・・・これは沖縄県民の記憶に対する一種の『暴力』です。怒りは全県に広がり、同年9月の県民大会には11万人が集まった。保革を超えた「オール沖縄」の素地が紡がれました。

 ではなぜそのような記憶の書き換えが必要だったのか?

「軍隊は住民を守らない」。沖縄戦が残した教訓を無化するためでしょう。

そして第2次安倍政権では、中国や北朝鮮の脅威を盾に自衛隊の南西シフトが進んだ。沖縄はまたも本土防衛の「捨て石」にされるのではないか―――。県民の記憶はうずきます。

 相次ぐ米兵による事件についても同様です。16歳未満の少女への性的暴行事件が起き、在沖縄米空軍兵長が今年3月に起訴されていたのに、県に知らされなかった。発覚すれば、多くの県民の脳裏に1995年の少女暴行事件の記憶がよみがえったはずです。政府はそれを恐れて隠した。そう思わざるを得ません。(残り、写真の記事三段目後半に続く)

🔲先週21日の土曜日のTBS「報道特集」も沖縄の米兵による少女暴行事件を取り上げ、金平キャスターの目取真俊氏へのインタビューから始まりました。

金平「沖縄県警はなぜ沖縄県庁に通報しなかったんだと思いますか?」

目取真「子どもを守ろうというよりは、もうすべて政治的な配慮です。誰かを守ろうとかじゃなくて、自分たちの責任を放棄してるわけです。

そもそも、主権国家としての体を成していないわけですよ。

属国という言葉もあれば、対米従属という言葉もありますが、ここまで極まったということだと思います。日本の大人たちは恥じないといけない。こんな国にしたことを

沖縄は、結局、植民地の形を変えただけなんですね。

沖縄戦を見ても、あるいは、それ以後の米軍統治、見ても、

沖縄は結局切り捨てられるトカゲの尻尾みたいなもんですよ。

ナレーション(N):目取真さんは小説を書く一方、名護市辺野古の米軍基地建設反対を、いわば現場で、非暴力の形で闘ってきた人でもあります。

目取真:「警備に当たっていた機動隊員から、土人と言われたこともあります。」

(機動隊員の怒鳴り声で)「どこ掴んどんじゃ、ボケ、土人が」(2016年)

N :1995年に起きた少女暴行事件の後発表された短編小説「希望」は、物語の主人公が米兵の幼児の首を絞めて殺害するというショッキングな内容が描かれています。

・・・『必要なのは数十人のデモでもなければ、数十万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ。8万もの人が集まりながら何一つできなかった茶番が遠い昔のことに思える。自分の行為はこの島にとって自然であり、必然なのだと思った。』

目取真:最悪の場合、こんなことだって起こりうるよってことです。

    そうでなければ、私たちはどうすればいいのかってことです。

金平:あれは、おそらく今読まれるべきです。

目取真:日本人というのは甘いんですよ。基本的に日本人に何をしても、沖縄に何をしても、俺たちは、後ろから刺されることもなければ銃を突き付けられることもない。まあ、基本的に(アメリカは日本を)なめきってるわけですよね。<()by 蛙>

金平:あっという間に8万5千人くらいの抗議集会に集まりましたね。

   あの時と何が違っているんですか?

目取真:やっぱり怒りじゃないですかね。

   本当に事件に対する怒りが、やっぱり今とは違うと思いますよ。

   行動に表れることを見ても、どこかで骨抜きにされたんだと思います

   沖縄の中の無力感かも知れないですね。絶望感といいますかね。

◎これ以降は、金平氏が取材を通して感じた沖縄への本土の関心が時を経るにしたがって無関心に変わっていく過程を映像を通して・・・

街頭で若い世代にインタビューしても1967年には、女性が「おかしい、沖縄についての日本とアメリカ、両方の国の態度がおかしい」と答えていますが、1998年には「沖縄の米兵事件なんか知らない」になっている。

1998年の「多事総論」筑紫哲也氏が「ここまで言っていました」(金平氏

無知・無関心・無感動、三つの無が沖縄の変わらない状況をもたらしている

沖縄の問題が、沖縄だけの問題ではなくて、私たちの国、社会、私たちみんなの生き方、あり方を問うているという点であります。

誰かを踏みつけにして自分たちの都合の為に、それを見て見ぬふりをしている国がろくな国になるはずがない。

◎学生時代に歌った歌に「沖縄を返せ」という歌がありました。今から60年以上前のことです。卒業後の1972年に沖縄返還が実現するのですが、米軍基地付きでした。それから…何十年? 懐かしいのもありますが、歌詞を読むと、沖縄は本当に返ってきたのか…本土は沖縄を虐げ続けていたのでは…とも思います。作詞は全司法福岡支部、作曲は荒木栄: 

「沖縄を返せ」

かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ

 

歌が作られたのは復帰前の 1956年。

そして今も、島が踏みにじられるたびに、
この歌が沖縄の大地から響きあがる。

「沖縄を返せ」 ー 歌に込められた想い - やんばる日記 (hatenablog.com)