秋晴れの芦原公園と北陸の海の恵みの”子持ちガニ”

◎秋らしい好天気が続きます。昨日は外科医院へ血液検査の結果を聞きに出かけました。その前に郵便局にも寄りたいので、芦原公園の中を通り抜けることに。

ペタンクに興じるグループの一団が・・・

ホールのガラスの鏡面にも青空が・・・

昔は水を張った浅い池になっていて、動く(風の)彫刻家の新宮晋さんの作品・葦がありましたが、今は撤去されています。

池の形の囲いは、低い幅広のベンチに作り替えられています。

西隣りの警察署のピラカンサスもオレンジ色に色づいてきました。

帰り道、サンデイの前を通ると、斜め前の田圃の跡には住宅が建設中でした。

真ん中に通した道路を挟んで6軒ほどの住宅街になるようです。

ここにあった田圃は、小学校低学年の授業で稲の花を見るためにクラスで見学に出かけた田圃でした。あれから70年、変わらぬ景色だったのですが・・・今、変わろうとしています。よく今まで残っていた…というべきかも。

柵の向こうは、才ヶ原の水源からの水で、道路の下から手前に流れています。

写真、手前の畑は、今のところ、1年の前半・菜の花、後半・ゴーヤの畑です・・・

ここも、遊ばせておくには駅まで5分弱の便利な土地なので、その内・・・

さて、昨日は加賀市の義弟から蟹を送ったからとの嬉しい電話。

今朝一番に橋立港の”子持ちガニ”(セコガニのメス・香箱蟹)が届きました。

今夜は三人でカニを捌いて日本海の恵みをいただくことにします。

先日、ニュースを見ながら話したことですが、私達、昭和18年と19年の戦中生まれですが、戦争は記憶に無く、戦後の、それも 4,5年後の日本しか知らず、幸いなことに戦争体験は有りません。母がお乳が出ないので苦労した話とかは聞きましたが、戦争中のことは思い出したくない、話したくないということで、聞かず仕舞いでした。加賀市の義母には、2年程同居していた時に、戦争中や戦後の開墾の話を聞きました。開墾中、鍬の柄が当たって、夫と義弟の間にいたお腹の子を流産した話を聞いたことがあります。

二人の母に共通しているのは、『戦争だけはしたらダメ』という事でした。満州朝鮮人差別についての無知を反省する言葉もありましたが、子どもの前で戦争中や戦前のことはあんまり触れたくない、思い出したくないというのがかなり強かったと思います。

私達、80年生きて来て、直接的な戦争を経験していないことを本当に有難いと思いますし、出来ればこのままで一生を終えたいと思います。その為にも、日本が戦争できる国に向かう事には反対ですし、若い人たちにも戦争を体験しないで、避け続けてほしいと思います。と言いつつ、沖縄のことを考えると、沖縄の犠牲の上に成り立つ本土の平和という事実に身の縮む思いがします。出来れば、どこの国の人たちも戦争しないで済む道を選んでほしいと願っています。