明けましておめでとうございます
暮れの31日に沖縄の次男が戻って来て、家族そろって新年を迎えることが出来ました。
お天気にも恵まれ、滝の裾には虹がかかっていました。
昨年は午後から出かけて、戻ってきてテレビをつけると能登半島地震でした。
今年は午前中に出かけ滝まで歩いて戻ってきましたが、何事もなく無事でした。
瀧安寺で次男が引いたおみくじが大吉、私は吉でした。良い年になる事を願いました。
🔲イスラエルのジェノサイドを世界が止める年になるか・・・
🔲沖縄のニュースですが:
🔲沖縄の民意を無視して本土が持ち込む政策に分断される沖縄をつくる政府:
🔲「原爆許すまじ」の決意ふたたび、みたび・・・
◆「note」の一部から:
「人間が人間にこんなことをしたことを、あなたたちは決して忘れないで欲しい」教団に仁王立ちになって担任の先生が言いました。そして、先生はなんだか、だんだん泣きそうになって、男性の先生でしたけどね。私はその先生を人生の先生だと思ってます。
それから18年後、東友会に勤めたとき、私、この写真覚えてたんです。小学校6年生の時に見た写真。この写真に付いていた説明は、この時初めて、きちっと自分で理解できたんですけど、なんと私と同じ年頃の女学校1年生でした。だから、私が初めて写真を見た時とこの子は、同じ年頃だったっていうのが分かって、本当にびっくりしました。核兵器廃絶、核兵器禁止条約もノーベル賞と同様に被爆者の苦しみと被害に触れて、核兵器廃絶に向けて、被爆者が行なってきた努力を認めています。
それはもちろん、被爆者だけでなく、被爆者を支えてくれる核兵器廃絶を求めて一緒に戦ってくれる皆さんのことも認めているわけですね。私の人生を決めた事業から61年が経ちました。73歳になります。私の人生のほぼ6割が被爆者と一緒にいた人生です。いつまで被爆者と一緒に歩けるか分かりませんけども、被爆者と都にある人生は、私の誇りです。
『われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ』
この旗に染め抜かれた文字は東友会の原爆犠牲者慰霊碑に刻まれた私たちのスローガンです。
12月10日、日本被団協代表委員の田中煕巳(てるみ)さんは、ノーベル賞のスピーチでこう訴えました。「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」もう一度繰り返します、というのがアドリブだったそうですね。報道されましたよね。あの時、田中さんの周りには亡くなった被爆者がいっぱいいたと思いますよ。私にはそう見えました。 私は、あの日、我が家にありったけの盃を並べてね、これはイトウ先生、これはタガワ先生、これはヤマモトさんとか。長崎の壱岐焼酎を注いで、乾杯をしました。田中さんのね、もう一度繰り返しますって聞いた時、私、涙が出て止まりませんでした。皆さん、私はね、被爆者に育てられ、被爆者に学んで、寄り添って支えあって、こういう証言活動をするようになりました。平均年齢85歳という年老いた被爆者にはもう時間がありません。最後に、田中煕巳さんのスピーチの最後言葉を紹介します。
人類が核兵器で自滅することがないように、核兵器も戦争もない世界の人間世界を求めて共に頑張りましょう。
🔲被団協が世界に訴えた日本政府の無為無策でしたが:
Kako(人民kakopon) 入管法改悪反対さんがリポスト
🔲宗教と政治。安倍晋三元総理銃撃事件の真相は明らかにされるのか・・・
🔲値上げのパーセントと賀状減少のパーセントの数字が近い!
🔲吉村知事も赤字覚悟で…という感じが: