◎今年に入って、お向かいさんから一茎頂いたストレプトカーパス。
茂るほどの株になって、今では20個ほどの花が咲いています。

◎朝日新聞の憲法についての記事、5月6日付の3頁の記事、続きです。
「百年/未来への歴史 憲法の水脈」の大見出しは
「未完のプロジェクトは続く」
憲法は未完のプロジェクトと呼ばれることがある。挫折や失敗を繰り返しながらも、自由民権運動の頃に花咲いた人々の自由と権利獲得のためのプロジェクトの水脈は絶えることなく、今につながっている。
前半部分の『美濃部達吉の天皇機関説事件』をざっと辿ってみると・・・
危機を迎えるのは、近代立憲主義を取り入れた大日本帝国憲法の発布から40年余。1931年に満州事変が勃発し、日本は戦争への道を歩み始めていた。
「たたかひは創造の父、文化の母である」
陸軍省は34年10月、こんな書き出しで始まるパンフレット「国防の本義と其(その)強化の提唱」を作成した。「国家を無視する国際主義、個人主義、自由主義思想」の排除と「挙国一致の精神」を国民に求めた。
帝国大学教授を定年で退官したばかりの貴族院議員、美濃部達吉は、「中央公論」で痛烈な批判の言葉を浴びせた。「‥‥個人主義自由主義思想を排除すべしというのは、…実に憲法を破壊せんとするものに異ならない。
天皇機関説事件が起きたのは、その翌年のことだ。
大日本帝国憲法の解釈として、国家の統治権は天皇にあるという説に対して、美濃部は《法人である国家にあり、天皇のその最高機関である》という説を主張。
この学説は官界や政界、宮中でも支配的な考えとなっていた。ところが35年2月18日の貴族院本会議で、学説は一気に「事件」と化した。陸軍出身の菊池武夫が、美濃部らの著作を挙げて、天皇機関説を攻撃。「(統治権の主体が天皇でなく国家にあるというのは)緩慢なる謀反になり、明らかなる反逆になる」
◎国粋主義者たちの言いがかりのような攻撃が始まり、美濃部は孤立、擁護する声は大学からもジャーナリストたちからもあがらなかったという。

天皇機関説事件の反省を踏まえて新憲法には「学問の自由」(23条)が書き込まれた。ところが、その学問の自由が脅かされる事件が起きた。菅首相による任命拒否事件。
「ただし、機関説事件の時とは違って、「政府を批判する動きがすぐに広がり、首相官邸前では抗議集会が開かれ、署名が集められ、学者たちは批判の声を公にした。」
政府は任命拒否の理由を明らかにしないまま、日本学術会議を「国の特別機関」から特殊法人にする案を提出している。一方、任命拒否された6人が原告となり、その経緯に関する文書を不開示とされたのは違法だとして、国を相手に決定の取り消しなどを求める裁判は続く。学問の自由を守るための闘いは、現在進行形だ。
◎後半の見出しは
「自由のため 人権のため 自分自身のため」
最後の部分の出だし:
「学問の自由だけではない。戦後、沢山の人々が憲法を手に裁判を闘い、権利を勝ち取ってきた。憲法は月と同じで、自ら光を発することはない。光をあて、そこに息を吹き込むのはこの国に生きる私たち自身だと改めて教えてくれたのが、旧優性保護法にもとづき強制的に不妊手術を受けさせられた被害者だった。
昨年7月、最高裁大法廷は、旧優性保護法は立法当時から違憲だった、と判断した。」

新里弁護士は言う。「飯塚さんの話を聞いた時、そんなのはおかしい、このまま放置していいはずがないという素朴な感情が生まれた。被害から20年経てば賠償請求権はなくなるという『時の壁』をどうやって乗り越えるか、何を武器に国と闘えばいいのかを考え、最後に行き着いたのが、『すべて国民は、個人として尊重される』と定めた憲法13条だった」
100年を超える憲法を生かすプロジェクトは、世代を超えて未来へと続いていく。
(編集委員・豊秀一)
◎せっかく先人が獲得してくれた新憲法、生かす(活かす)のは私たち次第ということです。宝の持ち腐れにしないで憲法を盾に人権を守る・・・といっても、孤立した個人では無理があります。やはり賛同者を募って仲間を作ってみんなでという運動も必要になってくると思いました。その為にも憲法をまず知ることが大切だと改めて・・・