🔲今日は長崎原爆の日です:
高校生平和大使らが「人間の鎖」 長崎で核兵器廃絶訴え
◎今の上皇さまが天皇陛下だったとき、日本人が忘れてはいけない4つの日を挙げておられましたが、どれも戦争に関わる日付です:
6月23日の沖縄「慰霊の日」
8月6日の広島原爆の日(9日長崎)
8月15日の終戦の日、そして
12月8日の開戦の日。
🔲高市首相の「非核三原則」についての発言の印象は、このとおりですね:
首相、「非核三原則」について「政策上の方針として堅持している」と現状を言うだけで、「今後堅持する」とは絶対に言わず、「予断控える」と見直しをにじませる。 だいたい「非核三原則」は、国会決議でも確認された「国是」=「国政上の不変の最高目標」として定着している。一時の政権が勝手に変更できる政策の枠をはるかに超えた重みをもつという認識が、首相には決定的に欠落している。
🔲忘れてはいけないし、また、忘れられない写真です:
【8月9日】長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
この写真は、幼いながら気丈に亡くなった弟をおんぶし、火葬の順番を待つ少年の姿を捉えたもの
米軍カメラマンのジョー・オダネル海軍軍曹によって撮影された
当時23才の若者だった彼は
「少年を抱きしめてやりたいと思ったが、そうするとぐっとこらえてる少年の強い心が崩れそうに思い、出来なかった」と後に手記で語っている
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていた。すると白いマスクをかけた男達が目に入った。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていた。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていた。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まった。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っている。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景だった。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っている。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられた。しかも裸足だ。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしている。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたまだ。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていただろうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めた。この時私は、背中の幼子が既に亡くなっている事に初めて気付いた。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえた。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がした。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立った。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らした。
その時だった、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいた。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていった
長崎や広島で、写真や手記などがあるものは、こうやって後世に引き継がれていくけど、その他の何万という一瞬にして焼き尽くされた人々にも、一つ一つに物語や、もっと生きたかった命そして未来があったに違いない。
戦後81年を迎えるけど、戦争を経験した人の割合が10%程にになっているらしい…世の中には平気で原爆が安上がりとか言ってしまう政治家や若者が増えて来てるけど
忘れてはいけないのが、たまたま自分たちは今を生きてるけど、それが自分たちの親であり、祖父母であったら…そう考えると戦争を肯定する理由など絶対にない
◎82歳の私は終戦の1年前に生まれています。幼少期は戦後です。戦争で何もかも失った日本人でしたが、命を奪い奪われる恐怖からは解放されて、頑張ればよくなると思える社会になって、両親をはじめ大人たちは、やり直しの戦後を希望を持って歩み出したはずです。戦後民主主義社会のスタートでした。
80年以上経って、あの戦争を反省しないという首相が生まれています。こんな首相を選んだ日本国民は一体何を考えているのか? こんな日本を望んだ覚えはないし、本当に情けない…と悲しい。戦後がいつまでも続いてほしいし、続くものだと思っていました。それが、戦争を知らない世代が政治家になって、また、戦争準備で儲けようという人たちが現れて、・・・ 人間って、日本人って、なんと愚かなんでしょうか。
今の若い人たちに平和な日本を、軍事国家へ向かう日本ではなく平和国家の日本を引き渡せると思っていましたが、どこで道を間違えたのか・・・本当に情けない思いです。
そんななか、若い人たちのNO WARを掲げる反戦デモは本当に希望です。いつの世も、戦争で得をする人がやりたがるのが戦争(体制)ですが、数では戦争反対の人数が上回ってるはずですね。頑張りましょう。
🔲まず、食べることから、その前に、「いただきます!」です。私のブログのスタートがこの「いただきます」からでした(「いただきま〜す」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~):
ド正論
角田信朗さん(65)「米を育てた水と土育て、運び、調理してくれた方 食べ物になってくれた命 そのすべてに手を合わせるのが日本人の『いただきます』です」