🔲今日は2月最後、明日から3月。3・11前の日曜日には国会前集会が予定されています。みのおでも原発ゼロの会が署名運動を駅前広場で予定しています:
🔲選択制夫婦別姓問題。丸川珠代さん、ご自分は旧姓で活躍、なのに、「夫婦別姓に賛同しないでの要望書」とは:
🔲あまり取り上げたくない問題ですが、男性なら取り上げて女性なら取り上げたくないというのもオカシイので:
先月は、私の思い込みでお茶もお休みかと思って別のところへ出かけたらスマホに連絡が入りました。ヨーガがお休みになったので大阪が緊急事態宣言を出した時点でお茶もお休みだと思ってしまいました。呼び出されて遅刻して参加。カメラも忘れてしまったのでブログに記録するのはお休みにしました。今回は、前日にパーマをあてて気合を入れ?ました。
その美容室でのこと。終わって会計をすます時、先客さんが支払いをされるのを待って私の番。支払い終わったら、先ほどの先客さんがお札を持って何か言いたげ。若いスタッフさんがギョッとした顔でマスクの下から「なに、なんですか?」とキツイ言い方。これはまずいと思って私がその方に「先ほど私の前に、払って済ませてますよ」と言ってから「ね(払ったのを忘れているのというつもりで)」とスタッフさんの顔を見ました。初めてピンと来られたようで、「さっき頂きました」と言って、先ほどまで貴重品を入れる赤い袋をモノも言わず突き出すようにしていたのを改めて「マスクが未だ入っていますよ」と言ってお客さんの方に差し出されました。
気味悪そうな怖い顔つきでつっけんどんだったのは、高齢者慣れしていなかったせいなんですね。咄嗟の物忘れか認知症か、さっき払ったかしら? なんてのは自分にとっても日常茶飯事なので何でもないことですが、年寄りと一緒に暮らしていなくて付き合いのない若い方には二度払いをしようとしている人は「なんやのん、この人」という理解不能の怖い人に見えるんですね。声を掛けて良かったと思いました。
で、お茶です、当日、最近はお化粧もしない私ですが、今日はマスクを外してお茶とお菓子を頂くので口紅も差して気合を入れて家を出ました。先生のお宅に着くと早春の花が咲いています。少し時間もあるのでゆっくり写真を撮りました。
さて、玄関を開けてお邪魔しま~すと中へ、コートを掛けて和室へ入ると、いつもと様子が違います。立礼式の扇形テーブルが控えの間の隅に片づけてあります。先生が出てこられたので、Noさんおやすみですか?と聞くと、24日救急車で病院へ行って胆石で翌日手術だとか。いつも忙しくしておられた方ですが、急にということでした。Naさんが見えて詳しいお話を聞きましたが、胆嚢を切除する手術は上手くいって一週間で退院予定だとのこと。帰りに先生が用意されたお見舞いの袋に二人分を入れてNaさんに預けました。
お稽古前の雑談で、先生には3人の女の子のお孫さんがいて、二人目が小学6年生でこの春中学生に。学校行事のほとんどが出来ず可哀そうな6年生だったと。Naさんの東京の息子さんの長男さんが今年1年生。ランドセルの話になって「いくらぐらいするんですか?」と聞いたら「当ててごらん」と言われて「5万円ぐらい」と答えたら、お二人から「そんなもんぐらいでは無いよ~」と言われてびっくり。「10万円するよ~」とのこと。ランドセルが10万円!?とは。孫のいない私たちが少し贅沢できるのは孫がいないせいでした。
ということで、二人のお稽古となりました。
さて、掛け軸は「弄花香満衣=花を弄ずれば、香り、衣に満つ」と読み、花は梅の花。
可愛い三角形の御棚は木屋町棚。三本柱で天板と中板は三角形、香狭間(こうざま)透かしのある脇板があります。三角形のひきだしがあり、地板は五角形になったています。「表千家十一世碌々斎(ろくろくさい)瑞翁宗左(ずいおうそうさ)が好んだ」という先生の解説です。
この日は三角形の引き出しのつまみをつまんで引き出して中に棗を入れて始めました。寒い冬に使う筒茶碗でやってもらいますと言われて水屋に入ると棚に置いてあるお茶碗は全部筒茶碗でした。棗(なつめ)は初めて見る雪の結晶を描いた美しい漆の棗。
最初に木屋町棚の三角の引き出しに納めました。お点前では、お茶碗を右側に斜めに傾けて茶せんが振りやすいようにしたり、布巾で先に底を拭いてから周りを拭ってそのまま抜き出したりします。
水差しは九州の焼き物でつややかな高取焼。
足が引きつりそうなので腰を浮かしながらなんとかお点前を終わってお客さんに。
コロナ対策でお菓子は銘々皿で黒文字を添えてあります。それを懐紙に受け取って持参の金属の楊枝で頂きます。大ぶりの羊羹は干し柿が入った広島の羊羹だそうです。干し柿の甘みが美味しいお菓子でした。
茶色の縦線が入った白いお茶碗、両横にくぼみがある小石原焼。
茶色のつやつやしたお茶碗は織部ですが京焼です。
木屋町棚に最後の柄杓と蓋置を飾ったのはNaさん。
私は同じ梅の絵柄でしたが別の蓋置を使いました。
暗い水屋で私が替え茶碗に使った梅の花の筒茶碗を写しました。
金彩が昔ほの灯りの中でいかに美しかったかが伺えます。
★今日は2月最後の金曜日でした。いつもの通り、「特別な1日」さんのブログから金曜デモについて。近畿3府県は28日で緊急事態宣言解除だそうですが、東京は一応3月7日まで続行ということで、オンラインデモということです。ブログのタイトルは、読書『地球が燃えている』と『在宅ひとり死のススメ』https://spyboy.hatenablog.com/entry/2021/02/26
ということで、今週も金曜官邸前抗議はオンラインです。
★タイトルにある2冊の本の 内容も詳しく紹介されていますので是非ブログを訪ねて直接読んでみてください。
◎23日の朝日新聞「大阪/北摂」頁に直ぐ近くの団地の給水塔の写真が登場。
記事を読むと「日本給水党」の小山佑之(ゆうし)さん(38)が府内給水塔のベスト3を挙げ、その写真が掲載された記事です。ベスト3が我が町の団地の給水塔です。
そびえ立つ給水塔に恋した男 何が魅力?一緒に歩くと…:朝日新聞デジタル (asahi.com)
蛙ブログでは、2018年1月30日のブログで取り上げていましたので、その写真をコピーして並べてみます。
朝日の記者が給水党の小山さんの案内でこの団地を訪れて記事を書いていますので引用です:
・箕面駅から徒歩で15分ほど。住宅供給公社が管理する20棟の団地のほぼ中央に、高さ30メートルほどの給水塔が立っていた。
すぐ隣の広場から見上げた。「まるで『巨人』やな」。記者は給水塔の存在は知っていても、真近で見たのは初めてだ。予想以上の迫力に言葉を失った。
・そもそも給水塔とは文字通り、団地の各戸に水道水を供給するための施設だ。天辺には水槽があり、ポンプで水をいったんくみ上げてためておく。各戸へは重力で塔内を落ちる水の圧力で給水する仕組みだ。
・小山さんによると、給水塔は60~70年代に整備された団地で多く採用され、今も全国に約800基の残る。ただ、現在では地下・地上から建物の情会へポンプで直接給水する方式が一般的だ。団地自体の老朽化もあり、給水塔は取り壊しが相次ぐ。過去10年で100基以上が姿を消したという。
・府内ベスト2は大阪市平野区府住宅供給公社・喜連団地の給水塔。
・ベスト1は、堺市中区府営八田荘住宅の3基並んで立つ給水塔。
「上の方に4体の扇形の物体が張り出すようについているが、1つは、塔内に入る扉の足場になっていて、残り3体は飾り」だそうです。
記事によりますと、「給水塔巡りをする小山さんは大阪市福島区に住み、給水塔を写真付きで紹介するブログを作っています。それが『日本給水党』だ。3年前の18年に『団地の給水塔大図鑑』(シカク出版)も出した。」
普段、買い物や散歩の行き帰りに見る見慣れた給水塔が大阪府内3位の給水塔だと思うとやはり嬉しいものです。
🔲山田内閣広報官、記者会見を仕切って質問シャットアウトしたり、NHKの有馬キャスターに「余計な質問で首相は怒ってる」とクレームつけたり…ヒドイ方でしたね:
🔲 こんなことって:
🔲アベノマスク、業者とのやりとりは闇の中:
🔲愛知県知事リコール署名不正問題。当事者の名古屋市長、高須氏は知らぬ存ぜぬ:
★サンデー毎日2月28日号の表紙のタイトルの上に「堂本光一前人未到の1800回」の金文字。これは大胆な表紙です! 新型コロナウィルスの蔓延がなければ昨年の3月30日に達成されていた数字だそうです。「KinKi Kidsの堂本光一が主演するミュージカル『Endless SHOCK -Eternal-』が12日、東京・帝国劇場で上演され、1800回公演を迎えた。全公演に出演している堂本さんは自身の持つ国内ミュージカルの単独主演回数記録を更新した』のです。表紙の写真は満面の笑みの光一さんが大きなバラの花束を抱えています。共演の前田美波里さんから渡された180本のバラの花束。
堂本光一さんは昨年はコロナ禍でも頭を切り替え、いかに今まで通り続けるか届けるかに工夫を巡らせ3月には無観客の舞台を丸ごと映画に納めました。その170分の映画版「Endless SHOCK」が今上映中。
<「Endless SHOCK」20年の功績が認められ昨年は菊田一夫演劇大賞を受賞菊池寛賞受賞。作、構成、演出、主演を務める「Endless SHOCK-Eternal」は3月31日まで東京・帝国劇場で上演。3月28日にはインターネットで生配信する。>
SHOCKの舞台はチケットを譲ってもらって母と一緒に梅田の芸術劇場で一度だけ観劇体験しましたが、チケット争奪戦が厳しいと言われていますので、映画でそっくり体験できる機会はチャンス、地元の映画館でやっていれば行くところですが、残念。
写真を見ながら、野球が好きだった芦屋の少年が・・・とついつい20数年前の姿を思い出して感慨深い思いです。当時の仕事仲間?で一緒に遊んでる女の子みたいだった篠原ともえさんも素敵な女性になりました。最近NHKEテレの「Switchインタビュー」でも取り上げられていましたが、今や衣装デザイナー、余り布を出さないための四角い布で作る服とか余り布を縫い付けた衣装など斬新でユニークな作品を発表しています。お二人とも40歳を超えたばかり、中堅の働き盛り、いい大人になりましたとオバサン目線が緩みます。
★芥川賞受賞作の宇佐美りん「推し、燃ゆ」
ファンであることを「推し」と呼ぶのを初めて知ったのは、2019年3月・NHKドラマ10の小芝風花さん主演「トウサツガガガ」でした。トクサツのオタクのことを「推し」と呼んでいて、最近では熱心なファンのことをこんな風に言うのかと思いました。
この「推し、燃ゆ」は並みのオタク(ファン)ではないところに凄みがあります。私もミーハーなのである程度のファン心理や生態?は経験もあるし理解も出来ると思っていましたが、生死にかかわる程の“推し”はさすがにちょっと。でも筆力も凄くてとても生々しく、小説では推しが引退して救われる?お話ですが、できるなら自分から自立(自律)する過程を読みたかったと思いました。選者の一人、奥泉光氏:欠落を抱えた主人公がアイドルを徹底して「推す」ことで自己の発見に至る物語ー最後「推し」が芸能界を去ってしまい、アイドルとしては死んだ彼の「骨」を主人公が拾うまでの物語。
著者の宇佐美さんは現役大学生、ご自身の言葉を:「生きづらさを何とか凌いで前に進む方法の一つとして、押しを推すことに人生を懸けることもあるんだよ、という現実を書きたい。推しなんてただの趣味で、自分を預けるべきでないという見方もあると思います。実際にそういう感想も目にしました。・・・・でも、そこに切実な現実がある、そうやって生きている人がいる、そのことをただそのままに描写したいと思いました。」
私もアンダーラインの箇所と同じ考えでしたが、それは自分が別の人生を幸運にも生きているからだと思いました。そうやって(推すことで)生きていた人を間接的に知っていましたし、今も若い人でそういう人がいることを知っていますが、お節介オバサンとしては依存するのではなく、早く抜け出してほしいと思ってしまいます。
これは不思議な物語です。死んだ誠が歌う「ピアノマン」が紡ぐ4つのお話なんですが、オムニバス形式なのかと思うと8年後の父親の2回、虐めていた上司の3回では、全てが微妙に絡んでそれぞれが自分の抱える問題を解きほぐし何とか新しいスタートをピアノマンをきっかけに歩み出すことになる・・・という。次回が最終回の第4回。
土曜ドラマ「六畳間のピアノマン」制作開始のお知らせ | お知らせ | NHKドラマ
4人の主人公、そして彼らをめぐる人々の人生が、「六畳間のピアノマン」に導かれるようにからみあう。ひとりじゃない、離れていてもつながっている、人生の不思議で素敵な化学反応。 ビリー・ジョエル「ピアノ・マン」の舞台は名もなき人々が集まるバー。客たちの唱和を思わせる「今夜はメロディが欲しい気分。ピアノ・マン、君が僕たちを元気づけてくれ」という歌詞。そんな「ピアノ・マン」を動画投稿サイトで歌う、「六畳間のピアノマン」と名乗る一人の青年がいた。 彼の歌声は、やがて周囲の人々の心に響き、それぞれの人生は気づかぬうちに交錯していく。再び歩みだす先に光がさす、4つの物語。 【放送予定】2月6日(土)スタート 総合 午後9時(全4回) 【原作】安藤祐介「六畳間のピアノマン」 【脚本】足立 紳 【音楽】伊賀拓郎 ビリー・ジョエル「ピアノ・マン」 【制作統括】内田ゆき 【演出】野田雄介(1・3回) 泉並敬眞(2・最終回)
[村沢憲治役・加藤シゲアキさん コメント]
台本を読んで、人の弱さと強さを同時に感じました。本作を見てくれた方が、ほんの少しでも前に進む力を受け取ってもらえるよう、村沢という男を演じたいと思います。[夏野泰造役・段田安則さん コメント]
人の結びつきが、それぞれを思いがけず支える物語です。亡き息子に励まされ、前に進もうとする父を丁寧に演じたいと思います。久しぶりの大阪での撮影を楽しみにしております。
上河内秀人(原田泰造)
誠の元上司。パワハラが問題になり、会社を追われた。頼るところのない彼が出会ったのは、こども食堂をきりまわす芳江(麻生祐未)と二人の幼い兄弟。そして誠が残した「六畳間のピアノマン」は、なんと上河内の行く末をも照らしはじめるのだった。(↓記憶を失った秀人は工事現場で働きながら子ども食堂で食事をしている)
(子ども食堂をやっている芳江さんは自宅に訪問販売にやってくる憲治たちとも第一回から関わっている)
★宮藤官九郎脚本長瀬智也主演の「俺の家の話」(TBS/MBS夜10時)
父親(西田敏行)、長男(長瀬智也)、次男(永山絢斗)、長女(江口のりこ)、介護ヘルパーさくら(戸田恵梨香)、芸養子実は腹違いの弟(桐谷健太)
桐谷さんと言えば、型破りでヤンチャな役が多いと思っていたのですが、今回は能の宗家の真面目な養子で、芸熱心で師匠に忠実という役を背筋を伸ばして演じているのがナントも巧くて異質?な感じで、何やらクドカンさんの企みがあるのではないかと勘繰っていたら・・・このツィートで納得でした。『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフだというのです。師匠が父だと分かってからは拗ねて遅めの反抗期というのが前回でした。これからどうなるか楽しみです:
★カンテレ(フジ)月9ドラマ(月曜日9時)「監察医 朝顔」
(ネットで見つけて借用)
「俺の家の話」は介護の問題を扱っていますが、コチラは認知症です。先週見た第14回は解剖シーンのない回で、朝顔(上野樹里)の父親(時任三郎)の認知症が進み、朝顔は仕事を休んで母親の実家の近くに住む父を迎えに行きます。食堂の女主(大竹しのぶ)が面倒を見るから一緒に住もうと言いますが、「そこまで迷惑はかけられないから」と。そうなんですね、親が年を取ると身内というか親族の責任を強く感じます。老いては他人(ヒト)任せに出来ないということをつくづく思います。もし身内がいなければ、この二人が暮らしていくことも有り得ると思いましたが。朝顔に二人目の子作りを言い出す夫(風間俊介)が、聞こえていなくてガッカリなんてシーンも。一人娘のつぐみ(加藤柚凪)ちゃん、演じているのかひょっとしてそのまま!みたいな演技が可愛いです。ホームドラマと異質の職場との取り合わせがナントも・・・
★読売テレビ(日テレ)水曜10時「うちの娘は、彼氏が出来ない!!」
そろそろ見るのをやめようかと思っていたら、水無瀬空(浜辺美波)と入野光(岡田健史)のこの二人はいいカップルになりそう。碧(菅野美穂)と血縁関係がないことを知ってしまった空への思いやりとか、入野くんを演じてる岡田健史さんがとてもいいです。オタク同士で好きだけど言えないで見守ってる真摯で紳士な彼をとても上手く演じています。
★カンテレ(フジ)土曜日11時40分「その女、ジルバ」
薦めてもらったドラマ、何回かミスして先週やっと録画して見ましたが、すでに7回でした。池脇千鶴さん、しばらくお目にかかっていなくて、こんな顔の人だったっけ?と見違えました。女性陣の熟女(中尾ミエ、草村礼子、草笛光子、久本雅美、中田喜子)が並ぶと圧巻です。池脇さんの親友役に江口のりこさん、「俺の家の話」と掛け持ちですね。
◎昨日は春、4月中旬の陽気だったとか。この日は先週申し込んだ母とのWEB面会の日。面会予定時刻は1時半から30分。お昼前、ホームへ電話して暗証番号を聞いて、以前送っていただいている面会の手引きに従ってミーティング・アプリをダウンロードして準備。昼食後、「徹子の部屋」を見て時間をつぶしていましたが、早めに消してフライングで練習? もう一度1時半になって暗証番号を入れると母の顔が映りました。
とっても元気良さそうです。母も喜んで手を振っています。耳の遠い母の為にと話したい内容をカレンダーの裏を利用して大きな文字で書いて準備していました。細かいことを言うと通じないのでそれをとり出して写してみてわかりました。文字は鏡文字になって映っています。これはダメです。大きな声を出すしかありません。看護師さん(かな?ユニホーム姿)が見かねて「誕生日にと仰っています、クエ料理と仰っています」と母の耳元で通訳?です。
「あ~そうね、Yさん(夫の名前)の誕生日だったね」と母が。先ほどの看護師さんに「ロビーに来てるの?家にいるの?」と聞いています。「家からよ~」と私。看護師さんに教えていただいてやっと納得しています。夫の声は低いので話しかけてもほとんど通じず、これはダメだと諦めました。しばらくすると母の方は、これで十分と思ったらしく、ありがとう、と言って消してくださいと言ってます。
隣の夫が「退出」というので探したのですが見当たらず、看護師さんが右端に在りますと教えて下さるのですが見当たらず、その内ホームの方の画面が消えました。母らしい、時間内に自分で終了時間を決めてしまいました。夫も元気そうで良かったと言いますし、私も思った以上に元気そうな母に安心しました。
◎大役?を終えて散歩に出ました。買い物は西か南に向かいますが、今日は東に向かって近場の唐池公園へ。厚着だと汗をかきそうなので、ブラウスにカーデガン。いつもの道路ではなくて、住宅街の隠れ道をたどってHさんの向かいの畑と駐車場にでました。
足元に濃い紫色のスミレの花を見つけました。水仙が咲きこぼれるように咲いている草むらの中に青空色のオオイヌノフグリ、星が瞬くように咲いています。この小さな花を見ると春だな~と思います。ホトケノザやカラスノエンドウの赤い花も見えます。この道を来て良かったと思いました。
唐池公園に入ると、春の野草の雑草は刈られてしまっていて、
あらためて先ほどの道を選んでよかったと思いました。
大滑り台には親子連れが見えました。
グランドの空いているベンチに座って、山の方を見ました。
大滑り台の裏側の天辺に丸い時計が立っています。
唐池には水鳥の姿は見えず、代わりに亀が首だけ出してすぐ引っ込めました。
池の周りの、もうすぐ芽吹きを迎える裸木たち。
春はすぐそこまで。
◎今朝の「shuueiのメモ」さんは「日米双方にルーツを持つ日本文学・文化の研究者で、シカゴ大名誉教授のノーマ・フィールドさん」のインタビュー記事を紹介されています。引用元:「福島を切り離せない」ノーマ・フィールドさん語る分断 - shuueiのメモ (hatenablog.com)
もうすぐ、3・11から10年をこのコロナ禍で迎える私たちに最適な内容だと思って読みました。原爆と原発とコロナ禍に共通するものは・・・
1947年生まれの団塊世代のノーマ・フィールドさんを朝日デジタルの元記事で写させていただい写真をshuueiさんの記事に添えて、そっくりコピーさせていただきます。
「福島を切り離せない」ノーマ・フィールドさん語る分断
朝日新聞デジタル 2021/2/20
「自分の余生を、福島と切り離すことはできないだろう。日米双方にルーツを持つ日本文学・文化の研究者で、シカゴ大名誉教授のノーマ・フィールドさんは3・11直後、そう直感したといいます。日本の原発事故被災と、コロナ禍や政治的分断に揺れる米国の現状への思いを聞きました。
1947年生まれ、シカゴ在住。シカゴ大学名誉教授。日本生まれで、父は米国人、母は日本人。著書に「天皇の逝く国で」(みすず書房)、「小林多喜二 21世紀にどう読むか」(岩波新書)など。
――東日本大震災が起きて以来、福島に通い続けていますね。
原発事故の知らせを聞いたとき、私はこの先、福島から離れられないだろうという思いを抱きました。その直感に従い、2011年11月に初めて福島県に入って以来、コロナ禍でかなわなかった昨年を除き、年2回ほどのペースで通ってきました。
被災者に「よりそう」と安易に言うことにはためらいがあります。私は時折、米国から飛来するだけの立場であり、その地で暮らし続ける人でなければ分からない、切実なことがあるに違いないからです。それでも、福島を切り離して余生を生きていくことはできないと、3・11直後に強く感じました。
――日米双方のルーツを持つあなたが、原発事故にこだわり続ける理由はなんですか。
核災害と私の出会いは、日本での少女時代にさかのぼります。第五福竜丸事件が日本を騒がせた頃、米国による太平洋の核実験をめぐって、両親の考えが食い違っていることに気づきました。米国人で退役軍人だった父は核兵器の必要性を信じていた一方、日本人の母親は戦争経験から核実験に強く反対していました。
広島・長崎の被爆の実相を知る以前でしたが、子ども心に母親の方が正しいと感じました。半世紀後、3・11の福島で起きたことを知った時、アメリカによる原爆投下の事実が呼び起こされ、何ともたまらない思いがしたのです。原爆投下と原発事故の関係を問うことの複雑さは、徐々にわかってくることですが。
原発事故後の福島の印象を語るのは難しい。放射能汚染は目には見えません。あるとき、地元の方から、「東京の人を被災地に案内するとき、どこを見せたらいいですか」と相談されることがありました。
除染土を詰めたフレコンバッグが海のように並ぶ風景や、避難指示区域のシャッター通り、遠くに福島第一原発のクレーンが見えるような場所はありますが、それは決して被災のすべてではない。
この「見えにくさ」こそが鍵なのだと思います。視覚では捉えられないけれど、住民たちの日常や精神を明らかに縛っている。それが「核災害」です。
――著書の「天皇の逝く国で」では、日本社会に根強く存在する生きづらさを書いています。この10年、被災者が置かれた状況について、どう考えますか。
原発事故の被災者がどんな思いをし続けるか、強く懸念してきました。不安を感じているのに、それを押し殺して沈黙を守り続けなければならないとしたら、どれほどつらいことか。被災者が不安を口にするだけで「福島差別を助長する」と言われかねない状況はおかしいと思います。
「正しく恐れる」ことが推奨されましたが、「心配し過ぎるな」という意味で使われてはいないでしょうか。放射能汚染は均一ではなく、流動的でもあるので、不安が残るのは当然です。しかし、それを封じ込めることにエネルギーが費やされているかのようです。
「コロナ感染者への視線、原発被災者のそれと近い」
――日本社会の生きづらさという点では、コロナ禍で起きていることも想起されます。
たしかに、コロナ禍は、核災害と重なる部分があると感じます。昨年春、日本に寄港したダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生した際、福島の友人と連絡を取りました。政府の対応への不信感が情報隠しによって増幅していく様子は、原発事故の直後とまったく同じだと言っていました。
また、日本の報道では、新型コロナウイルスに感染した人たちが差別を受けて苦しむこともあるようです。感染者への視線は、原発被災者へのそれと近いのではないでしょうか。
その点では、米国と日本で違いがありそうです。息子夫婦が子どもを預けているシカゴの保育園は昨年3月、コロナ禍で休園しました。数カ月後にようやく再開したと思ったら、直後に1人の保育士の感染が判明し、また休園に戻ってしまったそうです。
「その保育士は気に病んでいないだろうか」と聞くと、「どうして感染した本人が気にしなければならないの?」と息子から逆に問われました。私自身、日本で当初みられた感染者への態度を吸収していたことに気づかされました。
――原発訴訟の傍聴もされていますね。
30件以上起こされている原発事故関連の裁判のうち、民事、刑事を合わせてこれまでに6回ほど傍聴しました。判決そのものとは別に、訴訟にはとても大きな意義があると思います。
もちろん、よい判決を切望しますが、勇気を出して裁判を起こした人がいるからこそ、「なかったこと」には決してできないのです。声を上げない県民でも、事故がなかったことにされることは絶対に認めないはず、と福島の友人は言います。声を上げ続ける少数者のおかげで、歴史に記録が残ります。心から敬意と感謝を表したいです。
昭和天皇死去で日本が自粛一色となった際も、女性や在日コリアンを含めた多くのマイノリティーが声を上げ、社会のひずみが見えました。世間に波風を立てたくないというのが普通のマジョリティーです。しかし、それではたまらないと立ち上がった人たちがいて、社会が改善される。進歩は少数者の闘いに多くを負うものです。
――米国のBLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命を軽んじるな)運動もそうでしょうか。
その通りです。この運動が盛り上がる契機となった昨年5月のジョージ・フロイド事件(白人警官に首を圧迫されて黒人男性が死亡した事件)では、最初に黒人たちが声を上げ、それに多数の白人が賛同しました。多くは身体を張って。社会の不当な仕組みに苦しみ、それに抗おうとする運動によって、「なかったこと」にはできなくなる。
米国の歴史で、これほど多くの白人が人種的マイノリティーと共に立ち上がったことはなかった、とよく言われます。人種差別が米社会にいかに根深く入り込んでいるか、白人警官が黒人の首を押さえつけて息の根を断った8分40秒の動画によって、やっと実感できた白人も多くいました。
この運動には、コロナ禍も影響しました。ウイルスに感染し、職を失って苦しむ人が人種的マイノリティーに偏っていることが誰の目にもはっきりと分かったのです。人種差別を意識してこなかった白人たちも無視できなくなった。半面、この間に「白人至上主義者」の姿を多く見せつけられていることも事実です。
――日本における同種の動きをどう見ますか。
3・11後の反原発運動や安保法制に抗議する国会前集会は、日本でもデモによる抗議表明ができることを示しました。もちろん、戦後の歴史を多少なりとも知っていれば、これは驚きではないのですが。
昨年の黒川弘務・元東京高検検事長の定年延長問題でも、コロナ禍に適応してネットデモも起きました。しかし、どれも見える形では継続せず、潮が引くように消えてしまいました。
格差が拡大するなか、経済的な不安を抱え、危険を冒したくないという若い世代の心理は分かります。しかし、そのような処世術は民主主義にとって致命的になりかねない。トランプ政権によって表にあらわれた米国社会のひどさは言うまでもありませんが、差別や不平等に対する抵抗もまた、米国の方が生まれやすいように思います。
「希望を持つために、まずは過酷さを受け止めて」fuk
――震災から10年、どこに希望を見ますか。
日本での震災からの10年、そしてアメリカでのトランプ政権下の4年、いかに人間の命が大切にされていないか、見せつけられた思いがしています。安全をお金で買える人の命しか尊重されない、ということを実感させられました。
年配者として、若い世代には希望を持って欲しいと思います。そのためになにができるのか。まずは、現実に起きたことを見つめ、その過酷さを受け止めること。それは絶望を引き受けることでもあります。過酷な現実を生み出した社会の恩恵を受けたものとして、当然なことでしょう。
英国の小説家、美術評論家ジョン・バージャーは生前、中東パレスチナのガザ地区に暮らす人々を見て、「屈することなき絶望」と表現しました。日本と米国の現状を思うと、どうしてもこの言葉にたどり着くのです。
どんなに苦しくても、覚悟を決め、現実を正面から見据え、伝えるすべを模索しなければなりません。そこから、不思議とエネルギーが湧いてくるものです。これが、次の一歩を見いだすことのスタートではないでしょうか。(聞き手=編集委員・真鍋弘樹)
◇
ノーマ・フィールド 1947年生まれ、シカゴ在住。シカゴ大学名誉教授。日本文化・日本文学専攻。日本生まれで、父は米国人、母は日本人。著書に「天皇の逝く国で」(みすず書房)、「小林多喜二 21世紀にどう読むか」(岩波新書)など」