「右」も「左」もない。

先日、高齢者のパソコン教室へ、もう数年通っているお茶会仲間のお一人から、教室でこのブログを覗いていたら、元教員の方から、「それ、どっち? 右? 左?」と聞かれ、逆に「それ、どういう意味?」と、とっても腹が立ったというお話を聞きました。

そういえば、小泉さんがイラク自衛隊を派遣するという頃、この右、左、に関して話したことがありました。
その方は、イタリア語の通訳を仕事にされていて、海外から、あるいは、外国人から見た日本、日本人が、情けないと話しておられました。たまたま自衛隊派遣の是非について意見を交わすことになって、「是とすれば、右翼的、右がかっている」と思われないかと自由に発言できないと言われ、私は逆に「小泉さんの政策に反対すれば、左だ、と思われないかと」と言って、二人で「レッテル貼りはやめて話しましょうね」と電話でお話したことがあります。その方は私より少し年上で学生運動盛んな頃の世代、私は、後の全共闘世代と全学連後のちょうど狭間の世代。ともに学生時代を過ごしたあの頃の余韻を引きずっていたのかも知れません。

今回の衆院選挙を通して私が一番感じたことは、「もう(あるいは、やっと)、右だ、左だ、という時代が終わった」ということです。

1989年にソ連が崩壊して丁度20年です。世界はとっくに冷戦体制から新しい時代に入っています。でも、日本(私たち)は意識の上でも政治の面でもやっと「冷戦」の時代を終えて、新しい一歩を踏み出したように感じます。
日曜日のお昼、「たかじんのそこまで言って委員会」は選挙後初の番組で(前回は選挙前の録画で面白くありませんでした)、皆さん、自民党の不甲斐無さを嘆き、民主党政権交代が当面軌道に乗るまで温かく見守って、というところでは一致していました。
これからは意見の違いで論争はあっても、戦後、冷戦下の「右」や「左」の対立から相手を色眼鏡で見て、非難し合うということは無くなるのではないでしょうか。前回の勝谷さんの「非国民」発言も、すでに浮いてしまっていましたもんね。(この番組も面白くなくなるかも?)

たとえば、「世界から見た日本」と言っても、小泉さん(自民党)の場合は、「世界=米国」で「米国から見た日本」で日本の役割を考える、それも小泉さんの場合は「ブッシュ政権から見た日本」で、「世界=米国=ブッシュ政権」で、期間限定、地域限定の「世界」でした。先日の寺島実郎さんのニュースステーションの解説では、「憲法があるのに、なし崩しに自衛隊を際限なくどこにでも出すというここ数年の日本のやり方に世界は不信を持っている」と発言されていました。これは、もう、右とか左とかの話ではなくて、日本が何をよりどころにどう「世界」と対処していくかという問題です。

今朝の新聞によりますと、この寺島実郎氏が民間から鳩山次期総理を支えるスタッフとして名前があがっていると報じられています。小泉政権の時の岡本行夫さんのような役割でしょうか。いよいよ明日、スタートです。