スター・ウォーズとジョセフ・キャンベル

昨夜はスターウォーズ全6話の最後の「ジェダイの帰還」でした。珍しく8時台に帰宅した息子が食事をしながら一緒に見ました。
最初に出来たのが後半の3作シリーズで、最初のエピソード1は1977製作。3作目の「ジェダイの帰還」は80年代半ば?ごろ。
99年〜05年にかけて、前半の3作が映画化され、今回、NHKが6作を物語の時系列に放送したというわけです。
一緒に見たのは次男で「小学生の時の作品やから、僕らの上の世代、今40代の人たちが夢中になった映画」ということです。

ジョージ・ルーカスはジョセフ・キャンベルの講義を受けて世界の神話のエキスを集めて物語を作っている」と息子が言うので、「ジョセフ・キャンベルって?」「世界中の神話の原型を集めて研究した学者で、60年、70年代に影響を与えた学者」「そう〜! そうなの〜やっぱり!」
「コレなんか、ハムレットやし〜」。 画面は丁度死んだオビ・ワン・ケノービの亡霊?がルークに父親との闘いを勧めているシーンでした。なるほど、亡き父王の亡霊と話しているハムレット王子そのままです。なるほどね〜。
「ブログに書くときは調べてから」と言われましたので、今朝、調べてみました。

あった! あった! 検索のトップが「千夜千冊」の松岡正剛さんで、ドンピシャの情報です。
ジョセフ・キャンベルの著作「千の顔を持つ英雄」について書いてあります。
少し引用してみます。(引用先:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0704.html

 超有名な本。有名になったのはいろいろ理由がある。
 俗っぽいところからいうと、ジョージ・ルーカスが大学でキャンベルの授業をうけて大いに感動し、その英雄伝説の基本構造を『スター・ウォーズ』3部作にそっくり適用して大成功を収めた。何が基本構造であるかは、あとで述べる。
 やや学問的なことをいうと、神話学上で初めて「英雄」を規定した。英雄とは「生誕の再現」がたえずくりかえされる人間であり、その生命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差の上に幾度となく成立するような人間のこと、総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことである。なるほどとおもわせる。
 キャンベルはまた、神の造形はあらゆる民族に共通する「欲求」にもとづいているという原理を提示し、どんな神の造形も解読可能であることを示した。さらには「神話の力」を現代に通じる言葉であらわした。すなわち、神話には集約すれば4つの力があって、それは、①存在の神秘を畏怖に高める力(これはルドルフ・オットーが「ヌミノーゼ」とよんだものに等しい)、②宇宙像によって知のしくみをまとめる力、③社会の秩序を支持し、共同体の個人を連動させる力、④人間の精神的豊かさに背景を与える力、というものである。

 キャンベルの功績はそのくらいにして、本書のテーマである英雄についてであるが、ルーカスが『スター・ウォーズ』に適用した世界の英雄伝説に共通している構造というのは、単純化すると次のような3段階になる。
 (1)「セパレーション」(分離・旅立ち)→(2)「イニシエーション」(通過儀礼)→(3)「リターン」(帰還)。

とこれから、英雄について延々と続くのですが、これで十分! 
スターウォーズ」はルーカスが古今東西の英雄譚のエキスを盛り込んで作ったお話だったのです! 納得です。

最後はメデタシ、メデタシ。森の中の花火とお祭り騒ぎで終わっていたのに、97年版の今回は、ビル群が見える都会の場面が挿入され、ルークが振り返るとジェダイの師匠オビ・ワンとヨーダ、それに息子の危機に、残っていた善の心を回復して皇帝を滅ぼしたアナキン・スカイウォーカーが、新シリーズの若いアナキンに入れ替わっていました! 
なるほど、ワーグナーの楽劇、4夜連続の超大作「ニーベルングの指輪」もドイツの英雄伝説からと言われています。ギリシャ神話や日本の神話のヤマトタケルオオクニヌシノミコトなど、皆、この英雄伝説に当てはまるわけです。河合隼雄さんもよく言っておられた、イニシエーション・若者が大人になる通過儀礼(=試練の克服)のことで、冒険譚の真髄はコレなんですが、な〜〜るほどのスターウォーズでした!
(原題は「帰還」でした。80年代公開時は「復讐」で、子供には一寸キツイ表現だな〜と当時思ったのを思い出しました。)
今回、改めて3夜連続でエピソード4,5,6を見て感じた事は、コレは未来物語の形はとっているけれど、まさに桃太郎の鬼退治で昔からのヒーロー物語。今となってはその「未来形」が一部現実化しているので、かえって危険? 例えば、戦闘シーンが湾岸戦争時、「スターウォーズ」のようと言われた事もあったし、アメリカはベトナム戦争以来、味方の犠牲者を限りなく0にする戦い方を追及して、ヴァーチャル化は現実のものとなり、アメリカ人の死者の出ない戦争は国内でも話題に上らないというまでに。
過去の御伽噺を当時は絵空事の未来の戦争や架空生物(よく、まあ、あんな造形を考え付いたもの!!)を駆使して新しい御伽噺に心躍らせた子供や大人?がいたわけです。もちろん、話の内容は、今見ても、善悪の対比は鮮やかですし、人間の成長や心の葛藤を描いていて共感できますし、勧善懲悪は痛快です。(欲を言えば、オリジナル版で放送して欲しかったくらいです。CGの挿入部分は前後3シリーズの辻褄合わせに必要だったのでしょうが…)

PS:小さい声で、レイア姫が美しくも可愛くもないのが残念、とか、ルークの老け顔が可哀想〜とか二人で・・・