
◎今朝、私は、駅前ビル建て替え工事のため中央学習センター和室に引っ越し月一回になったヨガ教室の当番のため少し早めに家を出ました。2階の事務所で鍵を受け取って3階和室の鍵を開け、電気をつけ、4月並みの暖かさなので暖房は入れず、書類の必要項目を埋めて、先生を待ちました。
忘れもしない1985年12月、ワルシャワのショパンコンクールでスタニスラフ・ブーニンが優勝、そのドキュメンタリーをNHKが放送、ショパンのピアノ協奏曲第一番の演奏を観て聴いてブーニンファンに。と同時に、母が私の小学校の同窓生のお母さんと一緒に学習センターのヨガ教室に通っていたのに倣って、MさんとサンプラでやっていたOさんのヨガ教室に顔を出すことになりました。ブーニン(クラシック音楽)とヨガのスタートが同年同月でした。
あれから、今年は40年目です。その間、阪神淡路大震災、オウムのサリン事件、東北大震災、コロナなど、大災害や事件もありました。最近では、自力整体ヨガの先生役をして下さる方や自宅を提供していただける方にも恵まれて、週一回のヨガも実現しています。101歳で亡くなった母ですが、95歳くらいまでは元気にヨガを続けていましたので、私もまだいけるかな・・・と思っています。
◎帰り道、しだれ紅梅が満開でしたが、曇り日で上手く撮れるかな。
近づいて撮ってみましたが、満開の紅梅がしっかり写っていました。

🔲「崩れよ! 燃えよ! アジアの癌。」と平気で、というより憎しみをもって言っていたのですね。戦争は人を変えてしまいます:
東京大空襲についての報道は多くても、日本軍による重慶爆撃の報道はほぼ無いと思うので、今までに何度か投稿してますが、またこの画像を投稿します。
当時の雑誌ですが、なんだと思います?「主婦之友」なんですよ。こういう時代、こういう国だった。
被害と加害どちらも考えないと片手落ちです。
🔲原発事故から14年。こうまで変わっていいのか・・・健忘症?喉元過ぎれば熱さを忘れる?ふりをする?
原発事故から14年、この国の政府は愚かにも「再稼働」「老朽原発使用の長期化」に加えて、「原発新設」すら掲げています。野党の中にも、「原発活用は当然」として同一歩調の勢力も少なくありません。私は、14年前から続く原発の重大事故を経験した以上、原発ゼロをめざすしかないと考えています。
🔲ファクトチェックしていただかないと困ります:
「コメに700%の高関税」 米大統領報道官が日本を名指し批判
日本が一定量のコメを無税で輸入する「ミニマムアクセス(最低輸入量)」の仕組みに言及していないうえ、700%という税率の根拠も示しておらず、日米間で混乱を招きそうです。
🔲何でも外国人の所為にする悪いクセです:
雑な主語を使ってはいけない講座。
「そういう懸念をしている学者はたくさんいる」
たくさんって何人?誰と誰と誰?
「高校無償化は日本国民に限定すべき」維新・高橋氏、「教育環境が荒らされる」衆院文科委
「日本は教育環境が素晴らしく整っている国だと思う。どんどん荒らされてくると思う。そういう懸念をしている学者はたくさんいる」と強調し、改めて制度を見直すよう求めた。
🔲日本学術会議の成り立ちに注目。だからこその自主性・独立性なのですね:
軍の指示で原爆研究を行っていた
原爆投下後の広島を調査した博士は、その惨状に息を飲み、心に誓う
「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないという、我々の固い決意を表明する」
🔲フランス語はわからないけど、答えは確かに「間違ってない・・・」:
最初のが面白いですね。「1945年に終わったものは何ですか?」
引用
引用
C’est le fils à qui ça 
🔲大阪も、維新以前、大震災に大阪市営バスが駆け付けるという事もあったのですね~それに、内田樹氏が教育の特別顧問だったとは:
これまで何度も書いていますが、2010年の市長選挙で平松さんが再選されていたら、君が代条例も教育基本条例も制定されず、府立大と市大の統合もなく、教組への弾圧もなく、教員志望者の激減もなかったはずです。だって僕が大阪市の教育に関する特別顧問だったんですから。
引用
このときの市長は平松さん
維新がはびこる前
「ええやん、待ってられんし
行こや」
みたいな精神がまだあった頃
この写真をみたら
胸を張って言えた時期。
今は恥ずかしくて
言いたくない。
🔲組織のトップの人間性が大切だということが、この一例でもよく分かりますね:
雪の中を走る大阪市バスの有名な写真は、当時の交通局職員が金曜夜に支援要請を受け、独自判断で救援物資を積んで出動したもの。「帰ったら一緒に怒られましょか」と。そういう職員の自主性を平松市長は高く評価していた。ちなみに、平松氏が訪ねた避難所には市水道局の水「ほんまや」が積んであった。