文化の日・阿修羅を訪ねて

3日は珍しく夫と二人で電車で奈良の興福寺の「お堂でみる阿修羅」展に出かけました。
前々日連れて行ってもらうつもりをしていたお向いさんから夜遅く電話があって娘さんの調子が良くないのでと中止。
二人目の出産を控えて心配で出かけてられないので・・・とのことで、私は行き方を聞いて一人で行く予定でした。
山から戻った夫が文化の日の祭日を予定に入れていなかったので、3日、一緒に行こうということに。
日ごろ山行きで、妻を「若後家」ならぬ「古後家」さん状態にしているので罪滅ぼしというのもあって・・・?

現地8時半に着く予定で朝6時半駅出発の予定でした。冷え込みが厳しく冬支度。手袋も用意しました。鶴橋で乗り換えて、近鉄で奈良まで。これで一人でも奈良まで来られそうです。興福寺はいつも素通りしてしまっていたようですが、今回、駅から一番手前にあるのがよくわかりました。看板にポスターが貼ってあって、そろそろ、走り出す人も。当日券入手のための長い行列が出来ていました。30分並んで入場券を買い、それから十重二十重にロープで仕切られたコースの中で1時間近く待ちました。林の中に入ると日が遮られてシンシンと冷え込んできます。みんな帰山記念・特別公開の阿修羅像が見たくてじっと待っています。
 8時半頃


今回、私にはある思いがあって、是非、ガラス越しではない阿修羅像の姿を見たいと思っていました。中学生の時、クラブ活動で油絵をやっていました。ある日、買ってもらった油絵の道具で画用紙サイズの白いボードに飼い犬の絵を描きました。すぐ、美術の先生に見てほしくて、放課後の職員室を訪ねて先生に描き上げたばかりの犬の絵を見せました。それから何日か、何か月か後のクラブ活動でのこと、先生が大きくて立派な写真集を持ってこられました。その中に阿修羅の写真がありました。先生が半畳ほどの大きさのベニヤのカンバスにササッとデッサンされて、「描いてみるか」と言われました。私はこの写真の阿修羅に私なりに感じるものがあって描いてみたいと思いました。ところが、この出来上がった絵は市の絵画展で入賞してしまいました。私としては、自分で描いたものではないし、実物も見ていないし、何か悪い事をしたのに言い出せないでいるような嫌な思いがしこりのように残ってしまいました。あんなのは自分の絵ではなくて塗り絵だと卑下してもいました。戻ってきた絵は図書室に飾られることに。阿修羅はこんな思い出とともに小さな心の引っ掛りを引きずることにもなっていました。
 仮金堂の周りも行列  


並んで待っている間に夫が、「あの絵、処分して悪いことしたな〜」と言い出したので、初めて私の長年のトラウマを明かしました。油絵で描いた犬の絵は、一度塗りつぶしかけたのをそのままに引越しの際もずっと手元に持ち歩いていました。ここに落ち着くようになってから、夫が大変気に入ってくれて、今では額縁に収まっています。阿修羅の絵は、ここに家を建てたとき、母校の中学校の倉庫にあると聞いて、引き取ってきました。こちらはどこにも飾らないで玄関の上の吹き抜けの手摺の所に置いていました。ある時、夫が私の犬の絵と比べて阿修羅の絵を貶したことがあったので、絵を捨てたのは自分の所為だと思ったようです。実は、私は60歳になった時、こんな大きな絵を残されたら息子たちが困るだろう、処分できるのは私しかいないと思い、粗大ごみとして思い切って処分しました。そして、今日、どうしても、あの阿修羅に会いたかったのです。

 いよいよです。

堂内は一瞬暗闇で何も見えず、そのうち、素晴らしい光景が・・・
仮金堂の中央に大きな釈迦如来座像と左右に菩薩立像、この釈迦三尊像を囲んで四天王が両脇にならび、十大弟子・八武衆の13体が取り囲むその真中に阿修羅像です!
堂内は一方通行、引き返してみることはできませんが、皆さんお目当てはこの阿修羅! 右側からしずしずと進みます。
真ん中あたりから背後の通路が高くなって舞台のようになっています。去年、東京で見た薬師寺の日光月光像の展示方法の小規模な感じです。
その舞台の上で、堂内の仏像全体を見渡しながら阿修羅の真っ正面に長い間いましたが、いよいよ、通路を下って、もう一度並びながら最前列で対面できるのを待ちます。

阿修羅は古代インド神話に登場する軍神で、最高神インドラに戦いを挑む激しい怒りの姿で表わされる。仏教に帰依して守護神となってからは、その激しさで仏教を守る役を担うことになる。しかし、興福寺の阿修羅は3つの顔と6本の手を持つ異形であるが、直立する八頭身という見事なプロポーションで細身の美少年。憂いを含む表情は繊細で内向的であり、怒りや激しさは全く見られない。その背景には「今光明最勝王経」が説く過去の罪障を内省し消滅させる「懺悔」の思想があったものと考えられる。 (外で並んでいる時お寺から配られた<興福寺国宝特別公開2009「お堂でみる阿修羅像」仮金堂>のチラシより)

金色に輝く釈迦如来座像の前に、身の丈150数センチの阿修羅像は白っぽい華奢な全身をさらして、その辺りの空気は異質。
「左のお顔は唇を噛んで怒りの像、右側は内省的で押さえている様、そして正面は悟りのお顔」とスタッフの女性の解説。
「懺悔」のお顔でもなく、「悟り」でもなく、どう言えばいいのでしょう? 眉根を寄せて悲しみとも怒りとも言えない表情・・・
迷いを経ち切って何かを心に決したお顔のようでもあり、秘めたる思いを込めた決然たる表情にも・・・
「煩悩を断じた境地」を悟りとするなら、まさにその悟りに至る瞬間、煩悩を断ち切る、あるいは立ち切った瞬間の気迫に満ちた表情とも・・・
一瞬を永遠に刻もうとした仏師の心、それを形象化してこんなに美しい姿に造形できる技が見事でもあり不思議です。
前列でしばらく相い対してお顔を拝見し、手を合わせてから、そっと列を離れて後ろへ。
すでに私の心のワダカマリは奇麗に消えてしまっていました。


外に出て、野外でテントを張ってお茶とお菓子のサービスをやっていましたので、一休みして暖をとることに。
1500円のチケットで北円堂の展示も鑑賞できますが、阿修羅像で満足、ということで国立博物館でやっている正倉院展を見ることに。
かりん      宿り木
12時を回って外に出ました。来るとき目をつけていた3色旗が出してある店を目指す。外にもパラソルと椅子が並んでいるが、寒いしユックリしたいので中で待たせてもらうことに。食器やファブリック、和物のアンティークも置いてあり、元ウイーンフィルの楽団員を招いての店内コンサートの様子を組写真で紹介してあったり、自家製のハーブオイルのビンがおいてあったり、とにかく退屈しないで待っていると、やっと声がかかって、一番奥のサンルームの二人がけのテーブルに案内されました。民家の奥を全面ぶち抜いて裏庭にサンルームをくっ付けて建ててあるので、店内は明るいし、奥のサンルームに入る手前にはグランドピアノが。フランスの田舎料理を頂きました。アイスクリームと一緒に出たリンゴのワイン煮も美味しかった。夫はワイン片手に・・・これがお目当てでした。

急に思い立って、また、偶然から二人で来ることになった興福寺
阿修羅さんにもゆっくり会えて、正倉院の宝物も見て、おいしいランチを素敵なお店で戴けたし、日の高い内に戻れそう。
朱雀門もカメラに収めて大収穫の一日でした。 ]


堂内はカメラは勿論スケッチすら厳禁。前日の夕方、関西TVで一般客の公開が終わった後、ライブ中継がありました。
あわててデジカメで撮ったものです。実際にはこんな派手なライティングはありませんが、参考までに:

     

 実際に阿修羅さんに会って、先生との合作のあの絵、上手く描けてたな〜と思えて嬉しかったです。