菖蒲湯祭り

6月4日は山代温泉の菖蒲湯祭りの日です。義弟夫婦が声をかけてくれましたので昨日、夫と車で出かけました。
下の子がお腹にいる時に沼津から山代温泉にある夫の実家に引っ越して同居、その後2年間を過ごしたのですが、担ぎ込まれた菖蒲が湯船にドッサリという温泉に入った事はあっても、菖蒲湯祭りそのものは見た事がなく、楽しみです。
ドライブは快調、名神から北陸自動車道へ入るあたり、大らかな山容の伊吹山が見えます。
  いよいよ米原JC。この看板を見て初めて「まいはら」と読むのに気づきました。米原は、汽車で田舎に帰っていた頃から東海道本線から北陸線への分岐点で「まいばら」と呼んでいました。湖西線が出来てからは米原は電車で通ることはなくなりましたが、高速道路を使うと懐かしい米原を通ります。
  杉津(すいづ)というSAの展望台は北陸自動車道が一番海寄りになる場所で敦賀湾が一望できます。左手の腕のように帯びている先に原発があります。この辺りは汽車で7時間かかっていた頃も景色の一番きれいな所でした。車窓に海が見えると皆声を出して身を乗り出して見たものです。でも、すぐ、トンネルに入って、あわてて窓を下ろして、又、開けるというのを何度も繰り返して結局はいつも煤で顔が黒くなるほどの名所でした。さて、福井県をひた走ると山代温泉のある石川県加賀市はお隣りです。
  加賀インターを降りて、まず夫の友人宅へ顔を見に。玄関に菖蒲が飾ってありました。門も、玄関も、車庫も開けっ放しですが、人気はなし。都会では無用心な事ですが、さすが田舎?です。お土産の紙袋を置いて、さて山代へ。
江沼平野から左手に鞍掛山、右手に富士写ヶ岳が見えます。
 
お墓参りを済ました後、義弟の用意してくれた選りすぐりの日本酒を飲み比べながら、M子さんの手料理で美味しい山の幸、海の幸を頂き、M子さんのお母さんと楽しいお喋りをしたり、お祭りで帰っていた息子さんの近況を聞いたりしている内に、時間が来ました。M子さんはお母さんを車で橋立の自宅へ。私たち夫婦は菖蒲の御輿が担ぎ出されるのを見ようと温泉街の中心地にあるお寺へ。お酒の入った若い衆が興奮して睨み合ったり、周りで見ている者にも興奮が伝わってきます。



長い引き綱のあとに本体の御輿が出てきて、それを下に下ろしたり、挙げたり、横に倒したり、また担ぎ上げたりと、その間ワッショイワッショイとかけ声や囃し声が沸き立つし、こんな感じで出店の出ている長い道を練り歩き、総湯と呼ばれる市民温泉の周りを3回ほど廻って、その総湯の4つの湯の中へ菖蒲を担ぎ込むのがクライマックス。私たちは夜店の始めの所で引き返しました。帰りにお寺に寄って、お寺と隣り合わせになっている県社と呼ばれる大きな格式ある神社へ寄りました。お寺からも見えた椎の大木が聳えています。夫は観光地化が著しい町の変わりようの中、ただ一つ、この県社だけが、変わらぬ思い出のままだとしみじみ懐かしい様子でした。
義弟は今年が最後のお勤め。来年の3月で定年を迎えます。それまで20数年、金沢勤務で週末帰宅というのを続けています。M子さんはその間、地域での活動を続け、今やかなり責任ある立場のよう。定年を控えて、お互いの生活の変化に向けて話し合ったりして調整中という感じかな。お酒も入って、日ごろの職場での鬱憤を兄にぶつけている義弟の話を聞きながら、筋を通した働きぶりに私は感心。頑固な点は兄弟似ているのかもしれません。
今朝は菖蒲湯の朝風呂につかってきました。息子たち二人を連れて、亡き義母と毎日通った湯の道を通って帰りました。幼児、乳児のお風呂は母親の大事な仕事でしたし、内風呂代わりの総湯通いは本当に楽しい仕事でした。混まない昼間とか夕方に済ましたり、寒い冬でも温泉のお湯は湯冷めしないので、家までの道中はほてりをさますのにも丁度よいくらいでした。そうした習慣が未だに残っている温泉の街のお祭りを義弟夫婦のお陰で存分に楽しめました。
M子さんお手製の柿の葉寿司  酢加減が程よく上出来。帰り、お弁当代わりに持たせていただき、途中で頬張りました。山代の柿の葉寿司はご飯の下にしめ鯖を挟み、ご飯の上には地域によって彩りの具をのせますが、M子さんのはエビと生姜、アッサリと美味しい!!

昨日、今日と見たニュースは民主党の代表選挙の菅さんについて。昨日、選挙結果をお昼に見て、お酒の入った二人が夜のニュースを見ながら、何を期待するかについて話していました。ほかの事ではナカナカ意見の合わない兄弟が「一生懸命働いている若い者に少しでも希望の持てる社会にしてやってくれ!」が二人で一致したことだったようです。両親亡き後も変わらず実家に帰ったような気持ちにさせて迎えてくれる義弟夫婦に有難いな〜と大感謝の一泊帰省でした。