「大津波と原発」を読んで

本題に入る前に、大阪二題。


大阪市の水道の水がモンドセレクションの金賞を受賞したというニュース。
何年か前から淀川の水を利用している大阪の水道水がおいしくなったと言われるようになり、金賞!とは。因みに「モンドセレクション(Monde Selection)とは、食品分野を中心とした製品の技術的水準を審査するベルギー政府系の民間団体、またはそこから与えられる認証(この組織では賞)」のことで、「1961年、ベルギー政府の主導により独立団体として同国の首都・ブリュッセルに作られた」そう。絶対評価でPRに使うために日本からエントリーする企業が多いそうです。そんなに有難いものでもないような・・・いえ、「ほんまや」の金賞・おめでとう!(写真は昨夕の「ちちんぷいぷい」から)
もう一つは大阪維新の会が出すという国歌起立斉唱条例について。俳愚人さんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/haigujin/)で世界各国の国旗国歌状況をリストアップされました。アメリカの「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」という1989年の国旗焼却事件での最高裁判決は民主国家アメリカを象徴しています。
立憲君主国では強制がほとんどなく、かえって革命を経た共和国で強制があるというのは、なるほどと思いました。本当に共産主義国以外には強制している国はないの?(思い当たると言えば、ロシアとフランス…)というぐらい強制している国を探すのが大変です。くだらない理由で強制するようなことを大阪府が決めてしまえば恥ずかしい事になりそうです。ここから、本題へ。


この本は2011年4月5日に行われた鼎談「いま、日本に何が起きているか?」(主催:ラジオデイズ)に加筆・修正して、朝日新聞出版から本として出されたものです。内田樹中沢新一平川克美の三氏による鼎談ですが、そろって1950年生まれの還暦の方たちです。

大津波と原発

大津波と原発

読みやすい本ですのでおススメです。
内容は原発事故をどう捉えて、そこから、どう変っていけるかという本質的なお話まで、解り易くてかつ深い内容です。
内田氏のブログで訴えられた「疎開のすすめ」も登場。「素人が造る原発」の項では平井憲雄「原発がどんなものか知ってほしい」からの引用があります。
原子力と『神』」では人類の歴史とエネルギーとの関係で、第七次エネルギー革命までの「おさらい」があり、一神教的思考について述べられます。フランスでは原発周辺地域でヨウ素が配られている。それに比して、福島の原発建屋のカジュアルな塗装は・・・ゆるキャラが描かれてなくてまだよかったという話は日本の原発の捉え方、「安全神話」の深刻さがよくわかる話だと思います。そして、「『緑の党』みたいなものへ」では、復興への行動が取り上げられ、話して終わりでは済まさない三者の覚悟が示されます。
振り返ってみて、あの年のアレが21世紀の日本の分岐点だったと言えるような大転換が出来るかどうか・・・やってみたいですね。
私もこの震災と原発事故が、日本人の右も左も、老人も若人も、政治的な考え方や世代を超えて日本人として一つになれる切っ掛けになればいいなぁと思います。いままで、必ず、意見が分かれる問題では二つの考え方が、まともに議論されて、何かよい結果が生み出されたという経験がありません。二つの意見は互いに相手を完璧に否定して、自らは「絶対」としてかえりみる事がありません。高村薫さんが指摘されていた通りです。
「一つになる」という言い方がマズければ、言い方を変えて、世の中の力のある方たちの一方的意見に対して、反対する側も知恵と力(説得力?)を蓄えて、国民の多数派にならないと日本の信用回復は出来ないですね。天災で示された辛抱強さ、助け合い、礼儀正しさが世界の称賛の的となっても、その後の人災ともいえる福島原発での政府と東電の対応のまずさに、世界は驚き呆れています。
人のせいにしないで人任せにしないで私も出来る事は何かを考えながら・・・ 2年前の政権交代が上手くいっていないぐらいでガッカリしていてはいけませんね。福島の避難先では母親や父親が子供の命を守るために立ち上がり始めています。この本を読むと少し元気になれます。

「はじめに」と「あとがき」から、お三方の言葉を引用してみます。

中沢新一「はじめに」より:
今回の出来事をきっかけとして、日本人が大きく変っていくだろうということ、また変っていかなければならないということについて、私たちは認識を共有していた。とても大切な内容が語られていましたね、というたくさんの人の声に押されて、大急ぎでこの鼎談を本にすることにした。一粒の麦が地に落ちて、のちに多くの実が結びますように。



呼びかけ人平川克美「鼎談までの経緯とその後」より:
今回の問題で、原発を損得の問題、つまり経済効率と言う観点からのみ見ることの背後にどれほど重大な見落としがあったのかが露になりました。この問題を考えるということは、私たちの世界には、私たちが想像も出来ないような出来事があり得るという科学技術の限界の問題について考えることであり、同時に人間はよかれと思ってしていても、必ず過ちを犯すものだと言う人間の行動の限界について理解を深める事だろうと思います。私たちは、なにが解っていて、なにができるのかということを考えると同時に、なにが解らなくて、なにができないのかということを考える謙虚さを欠いていたのです。
思想の問題というのはそういうことであり、エネルギーや水や空気について、損得や経済効率といったこととどのようにしたら切り離して論ずることができるのかということこそ、いま立ち上げなければならない思考だろうと思います。そして、この鼎談が、その第一歩となれば幸いです。



内田樹の「内田からもひとこと」から:
人類の歴史が教えてくれるのは、安全で豊かな社会に暮らせることは例外的幸運であって、人類史のほとんどの時期をぼくたちは窮乏と危険にさらされて生きてきたということです。窮乏と危険をベースにして、それに対処できるように人間は能力開発プログラムを作り出してきた。そして、その能力の開発を怠った人々、「眼に見え、耳に聞こえるもの以外のものは存在しない」と豪語した人間たちにどのような「罰」がくだることになったか、それを神話時代から現代のホラー映画に至るまで人間たちは語って倦まなかった。せめてその事実については「合理主義者」たちにも同意して欲しいと思います。
ぼくは今回の震災と原発事故については、「アラームの劣化」ということが大きくかかわっていると思います。そして、日本人が二十一世紀を生き延びるためには、もう一度「霊的再生」のプログラムについての対話が始まらなければならないだろうと思っています。