今年の終わりに・・・

なかなか年の瀬、一年の締めくくりという気分になれず、去年のブログをのぞいてみました。
1年前の今日書いた記事のタイトルが「第0次世界大戦」、日露戦争のことを書いていました。
そういえば、先日ビデオで「坂の上の雲」の最終回を観たのですが、本で読んだのと、ドラマで見たのと味わいが違うな〜とか思いながら、感想は書けずじまいでいました。旅順や203高地日本海海戦をあそこまで映像化すると何だかな〜とか思いつつ、回想シーンで正岡子規が登場すると、ホッとするというか、3年がかりのドラマのハイライトはこのあたりだったかと思ったりしていたのです。でも、過去のブログで、第一次世界大戦の前の全世界が注目していた戦争として日露の戦争があったという捉え方に改めて納得しました。

さて、年末のドサクサに政府は安全保障会議で、武器輸出3原則を緩和するための新基準「防衛装備品等の海外移転に関する基準」を決め、藤村官房長官の談話として発表(27日)。そして、28日未明、政府は沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、環境影響評価書を沖縄県庁に搬入。仲井真知事は「運ばれ方に奇異な感じも受けたが、評価書が要件を満たしていれば処理しなければならない」と。とっても卑怯な方法で大事なことが進められてしまっています。

いよいよこれで私も見切りをつけました。政権交代に期待し、自民党よりはマシと我慢してきましたが、これでは、自民党以下。一票を投じた責任もあって、まだもう少し、と思ってきたのですが、本当に裏切られた思いです。民主党には見切りを付けましたが、政治には新しい動きを期待しています。この国をダメにした人たち、ダメにした責任を取らない人たちには退いてもらって、また、堂々と国民に信を問うこともせずやりたいことやり放題の今の政府にも退いてもらって、新しい代表者を選びたいと思っています。

ブログを始めて3年目の終わりを迎えています。今年は3・11以来、本当に何だか焦燥感とともに、時間の感覚が以前とはすっかり変わってしまって元に戻せなくなったままです。色んなことを考え、感じさせられた一年でした。ブログの内容も震災関係、原発関係で埋まってしまいそうでした。でも、すべてを失ってなお生きていこうとなさっている人たち、放射能汚染に怯えながら子供たちを健康に育てなければと闘っているお母さん、お父さんたちが沢山いらっしゃいます。子どもたち、青年たち、年長者も。そういう人たちとともに、関西にいて、北大阪にいて何ができるか本当にもどかしい思いを持ちつつ年を越すことになります。
迷いつつ綴ってきたブログを通して沢山のブログを書いている方たちを知ることができました。
そうした方たちが訪ねてきてくださることに励まされつつ過ごしてきた今年でもありました。


ガンジーの言葉を最後に:「よきことはカタツムリの速度で動く」


たゆまぬ努力の後によきことがやってくることを願って、終わりましょう。
みなさん、よいお年を!