あとからくる者のために
(坂村真民『詩集・詩国』より)
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は 詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みんなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしておくのだ
再稼動が問題になっている大飯原発の立地自治体である大飯町の町議会では、ただ一人の反対を除いて全員が再稼働に賛成しました。そのことについてカレイドスコープさんのブログに詳しく書いてありますので是非コチラで:
「最初に『再稼動ありき』の出来レース町議会」:http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1291.html
もう一つ是非読んでほしいのは、小浜市の反原発運動について語っておられる記事です。
マガジン9条の新しいシリーズ「原発のある地域から」の第一回福井県・小浜市の中島さんという方のインタビューです。
「原発の再稼働が強行されようとしている現状には、『まだ懲りないのか』と言いたい」で始まる第一回には、こう書かれています。
「大飯原発の10キロ圏内の住民分布は70%が小浜市民で、おおい町民は20%に過ぎません。小学生が見たって、実質的な地元は小浜なのに意見を聞き入れてもらえないのです。小浜市民は過去に二度も原発を拒否しましたから、関電はなんとしても立地自治体にはしたくなかったのでしょう。
1983年、大飯原発に3、4号機の増設の話が持ち上がった時のことです。私たち「原発設置反対小浜市民の会」は、小浜市民9400世帯すべてにアンケートを取りました。回収率は28%。そのうちの86%が増設反対で、94%が安全協定を大飯町と同等の内容に改めるべきと回答しています。
翌年には、大飯原発10キロ圏内の小浜市民5600世帯に住民投票を呼びかけ、90%が反対票を投じました。投票率は53%です。小浜市民の声が生かされていたら、大飯原発3、4号機は存在しなかったのです。」
人物紹介によりますと「真言宗御室派 棡山 明通寺 住職 中嶌哲演(なかじま・てつえん)1942年、福井県小浜市出身。東京藝術大学中退。高野山大学仏教学科卒。学生時代から広島の被爆者支援を続ける。68年、小浜市に原発建設の計画が持ち上がったことを機に、「原発設置反対小浜市民の会」を結成。事務局長を務める。93年「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成に参加。2012年3月25日〜31日まで、大飯原発再稼働に反対してハンガーストライキを実行。著書に『原発銀座・若狭から』(光雲社)、『いのちか原発か』(風媒社)など」
端折りながらの引用です。全文はコチラで:http://www.magazine9.jp/genpatsu/tetsuen/index2.php
全原発停止は、日本の原発政策が始まって以来、初めてのことです。推進側にはビッグピンチ。我々にとってはビッグチャンスです。
このチャンスを生かして、原発立地自治体が自立する方策を考えなければなりません。
「原発は危険だから止めろ」「命とお金のどっちが大事なのか」という単純な二者択一では、原発の地元はどうにもなりません。
地元の雇用が本当の意味で保障され、永続して自立できるビジョンを示すことが不可欠です。
私は、当面の間は、原発を廃炉にするための雇用があると思います。原発1基を廃炉にするには30年以上の年月がかかるといわれ、そのための技術開発や、科学研究は必ず雇用を生むでしょう。一般の産業においても、廃棄物処理は1つの立派な職業分野です。労働者の安全確保や賃金には十二分に配慮したうえで、時間をかけて丁寧に廃炉作業を進めるべきでしょう。
かつて日本のエネルギーの主役が石炭から石油に代わるとき、国は臨時措置法を制定し、61年から07年まで40年もの間、炭鉱のあった町を手当てしてきました。炭鉱労働者が新しい職につくまでの生活を、国が保障したのです。いろいろ問題もあったと聞きますが、私は廃炉作業も同等の時間と予算をかけていいと思います。ただし、単に新たな雇用を創出すればいいわけではありません。脱原発と同時に、中央が地方を支配する構図そのものを変える覚悟が必要です。
<略>
原発推進の構図は、かつての戦争とも重なります。旧大日本帝国は、植民地支配したアジア諸国や太平洋の島々に傀儡(かいらい)政権を作り、住民を統治しました。私には、青森や福島、若狭のいずれもが、かつての植民地国と同じように見えます。国内植民地化といいましょうか。
原発立地自治体には、電力会社や地元の推進勢力による "ミニ原子力村"が作られます。これは植民地国の傀儡政権に相当し、お金の力で陰に陽に住民を抑え込む。こんな非民主的なやり方は、植民地への侵略とあまり変わらないと思います。また、それに無関心でいることは、侵略戦争が行われているのに大本営発表だけを鵜呑みにしてきた、かつての日本国民とまったく同じです。
福島第一原発事故では、多くの人が原発の危険性に気付いたはずです。それでも、原発の再稼働が強行されようとしている現状には、「まだ懲りないのか」と言いたい。かつての戦争推進勢力は広島への原爆投下でも懲りずに、長崎の過酷な犠牲を出しました。今、懲りずに再稼働を許してしまえば、必ず長崎のように二度目の被害が起こります。
今、私たちが力を合わせるべきは、なんとしても大飯原発の再稼働を防ぐことです。仮に大飯原発が再稼働してしまえば、雪崩を打つようにほかの原発も動かされるでしょう。大飯原発再稼働は若狭だけの問題ではありません。電力を享受してきた大都市のみなさんも含めて、国民一人一人が自分のこととして捉えてほしい。日本全体として、生き方を選択する時代になっているのだと思います。
最後にインタビュアー(越膳綾子)の方が、ブログ冒頭に記した坂村真民の「あとからくる者のために」という詩を紹介して締めくくっています。
坂村真民[1931〜2006)といえば「念ずれば花ひらく」で知られていますが、私が初めて知ったのは(今は山口に居る)Wさんのご近所でお琴の先生だったNさんのお宅でのことでした。
15年ほど前のこと、Wさんがビーズ織を始められて、Nさんのお宅へ二人でお邪魔して教えてもらうことになりました。お琴を教える部屋のピアノの上に砥部焼の「念ずれば花ひらく」の人形がありました。松山出身のNさんから、ビーズ編みを教えてもらう前に、坂村真民のことと、この言葉を教えていただきました。その後、家族会で富士山のふもとの「時之栖(すみか)」というリゾート地を訪れたとき、そこに大きな坂村真民の句碑「二度とない人生だから」がありました。
久しぶりにその真民さんの詩に出会いました。
「あとからくる者たちのために今できることを」ですね。