国会事故調の「メイドinジャパンの人災事故」の読み方について

しばらく前になりますが、国会の福島原発事故調査委員会の最終報告書が出て、その結論「人災事故である」が、海外で一寸意外な?捉え方をされているということを「Various Tpics」さんの記事で知りました。(記事全文はコチラ:http://afternoon-tea-club.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/post_ded3.html
事故調は海外向けには、(解りやすくと思ってか?)福島原発事故を「メイド・イン・ジャパン」と表現したんだそうです。
「Various…」さんも「違和感」があると書いておられますが、また、海外の記事が3つ紹介されています。
英国のフィナンシャル・タイムズの記事と、3番目のアーニー・ガンダーセン氏の意見の一部をコピーしてみます。


7月6日付フィナンシャル・タイムズ

福島原発事故は「日本製」の危機

国会事故調、英語版の要約で日本文化を反省 (FT)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35617



黒川委員長は最終報告書の英語版の要約の中で、原発事故の原因は「我々の反射的な従順さ、権力者を疑問視したがらない態度、『計画を守り通す』ことへの情熱、集団主義島国根性」にあったと述べた。
 「極めて辛いことだが、認めざるを得ないのは、これが『日本製』の災害だということだ」。黒川委員長はこう付け加えた。「ほかの日本人が今回の事故の責任を負う人たちの立場にいたとしても、結果が同じだった可能性は十分ある」

 だが、黒川委員長は報告書の日本語版の序文では、危機の文化的な背景についてもっと慎重な批評を加え、日本の文化全体ではなく、一党支配や年功序列、終身雇用などに原因があるとした。

<後略>

「マスコミに載らない海外記事」(全文はコチラ:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e978.html

「福島事故は"人災"で"回避可能"と日本の事故調は言うが、核施設への恐怖は世界的に増大」

2012年7月6日、金曜日

デモクラシー・ナウ!



日本の国会調査は、昨年の福島第一原子力発電所炉心溶融は"大いに予想され得、防ぎ得たはずの人災"だと結論した。報告書と、それがアメリカの原発施設、特に福島原発と同じデザインの23基にとってどのような意味があるのかについて、元原発企業幹部アーニー・ガンダーセンと対話する。"最初に破壊した福島第1号炉については若干奇妙な情報が実際にあります。" ガンダーセンはいう。"あれはアメリカ企業、ゼネラルエレクトリック社と、アメリカの設計者/エンジニアによって建設されていたことです。ですからこれらすべてがアメリカ製だったのに、自分たちの責任なのだとは、日本にとって認めがたいのです。... 業界、アメリカ合州国原子力産業は、それは日本の問題だというのを懸念しています。しかし、そうではないのです。" [以下はとりあえずの書き起こし]


ゲスト:アーニー・ガンダーセン、アメリカ中の原子力発電所で70のプロジェクトをとりまとめた元原発企業の上級副社長。ガンダーセン氏は、NRC、国会や州議会や、アメリカ国内や海外の政府機関や幹部に対して、原子力放射能問題に関する独立の証言を行っている。彼はウェアウインズ・アソシエーションのチーフ・エンジニアで、グリーンピース報告書、"福島の教訓"の共著者である。


<略>


アーニー・ガンダーセン: はい、実際に福島第1号炉については奇妙な情報があるのです。最初に故障した炉です。また興味深いのは、それがアメリカ企業、ゼネラルエレクトリック社と、アメリカの設計者/エンジニアによって建設されたことです。ですから、これらすべてがアメリカによる設計であったのに、自分たちの責任だとは、日本は認めがたいのです。津波が福島第一の一号炉を襲う前に、奇妙なことが起きました。


福島第一の第4号炉には若干たわみがあるのです。そして、こうしたたわみにはある呼び名があります。オイラーの第一次支柱座屈です。しかもそれは明らかに地震でひき起こされるものです。ですから、原子力産業は、自分たちの耐震基準が間違っていた可能性があるとは認めたくないでしょうが、私はそういうことは確かに有り得ると思いますから、報告書に同意します。


<略>


フアン・ゴンザレス: それに、報告書が、日本文化、お上に異論を唱えない国民の性向、異義を唱えるのを許さないこと等いくつか批判をつきつけ、日本国民の態度と文化が変わる必要があると実際に示唆しているのは極めて異例です。この種の報告書で、これは異例なことと思われますか?


アーニー・ガンダーセン: 文化的に、自分たちが本当にお上を敬っていることを認めるのは、日本にとってつらいことです。また私は、あれこれ言い合う、より健全な対話が必要だという報告書の指摘は正鵠を射ていると思います。しかし日本だけの問題ではないのです。私が上級副社長だった時に、首にされた際、ワシントンで、原子力分野で高名な弁護士と話をしました。そして彼は言いました。"アーニー、この業界では、あなたは我々の味方か、敵かのいずれかですが、あなたは最後の一線を越えてしまったのです。" ですから、アメリカであるか日本であるかと無関係に、業界は本質的に閉鎖された要塞であり、無所属の専門家が自分達の意見を放送してもらうというのは実に大変なことなのです。


フアン・ゴンザレス: また、この報告書がアメリカ合州国に対して、どのような影響があるとお考えでしょうか? 明らかに、オバマ政権は、アメリカ合州国国内における原子力発電所の増設を支持していることを公表しています。またこれが、オバマ政権や、議会の多数の共和党議員の支持の行方にどのように影響するとお考えですか?


アーニー・ガンダーセン: はい、私は、業界、アメリカ合州国原子力産業が、それは日本の問題だと言うのではないかと懸念しています。しかしそうではありません。大企業の資金の効果は議会に対し陰険な影響を及ぼします。そしてそれは実際、民主党やら共和党やらという問題ではないのです。核の話になると、民主党共和党もありません。彼ら全員が原発推進派です。我々はそれをまざまざと見たばかりです。NRC原子力規制委員会委員長だったヤツコ委員長に対する聴聞会が何度かありました。業界は彼が規制しようとしていたという事実が気にくわず、実際に彼を叱責しようとして、連中は議会聴聞会を開催させました。そしてその結果、彼は辞任しました。ですから、議会に対するこの種の大企業の圧力は、委員以下、ずっと下まで機能します。委員は五人います。そして委員は職員に影響を与えます。ですから、日本同様、アメリカでも陰湿なのです。そして実際、世界規模だと思います。

そして、同じことを小出裕章京大助教に問いただしているブログ(http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65814566.html)から小出さんの意見です:
(会話文ですので、適当に端折って、一部のみコピーです)

水野「え…まずはですね。福島第一原発事故を検証してきました、国会の事故調査委員会の最終報告が出た。これについて伺いたいと思います。」

小出「はい」

水野「これはですね。今回の事故は、自然災害ではなく,人災であると。人災であるというふうに結論づけていて、ま、これについて、一方、他の報告とは違う、突っ込んだ印象を持つ方も多いかと思うんですが」「この人災だという結論の付け方に、小出さんはどんな印象、感想を持たれます、かしら

小出はい。当たり前だと思いました



水野「はい。それはどういう意味ですか。当たり前だとおっしゃるのは」

小出「え…事故報告書の中に詳しく書いてありますけれども。え…これまで東京電力自身が、こんな事…事故は全然起こらないと、いうふうに思ってきて、何の備えもしなかったと、いうことだったわけですし…え…それを規制するほうの、え…組織、いわゆる原子力安全委員会を含めた組織がまったく役に立たなかった、そして法律すらが役に立たなかったということは、詳しく検証されていますので、え…日本というこの国で、原子力をやろうとしてこれまで来たわけですけれども。その、やる組織が全くないまま、ここに来てしまったという指摘なのですね」「え…まさに、人災です」


<略>



水野「はあ。私は1つ、」「あの…こういう…記述があって、気になったんですが」「地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態で震災を迎えたと」「いう記述があるんですね」「ただこういうことであれば、じゃあ、あのぅ、地震津波にも耐えられる保証のある、脆弱でない状況ってのは、どうやったら作れるんだろうと、思うんですが。これは、科学的にどう思われますか」


小出「まああの、国会事故調のかたに聞いていただければいいと思いますが。私自身はそんなものはありえないと思いますし。特に日本というような、世界一の地震国で、(ため息)、マグニチュード、8.5、9.0というような地震が来るようなところで、完璧に安全なんていうものはありえないと私は思っていますので。え…事故調の、ま、記載自身…がですね、あるのですけれども。多分事故調の人たちも、それを信じているわけではないと私は思います」


<略>


近藤「だけどその人災だっていう結論だって、言われたら、さも鬼の首とったみたいに言うんだけど。しかしそれ自体、逆にあの、つけこまれる余地が、あるっていう、あの、気がしてるんですが。先生、結局そういうことですよね」<「人災だったら、欠陥を直せば原発OKにならないか?」という心配に対しては、日本は地震国だからと反論できる・・・という近藤さんの意見(蛙まとめ)>


小出「はい。あの…近藤さんのご指摘の通りですけれども。私はもう1歩あの…ふ…思うところがあって。え…日本は地震国だから、どんなに手立てをしてもダメなんだという、そういう今、近藤さんおっしゃったと思いますが」「私は、別に地震国じゃなかったとしても、」「原子力発電所というのは機械だから、壊れるときには壊れますよとずっと言ってきたのです」
近藤「(笑)うーんなるほど」


小出「はい。」「地震国でなくても、最終の処理の仕方はわからないままですしね

小出「もちろんです、あの、核分裂という現象を起こしてしまえば、自分が作ったゴミの始末すらが出来ない、のが今なの、です。それで事故にしたって、どんなに注意を払ったところでやはりダメな時というのはあると、覚悟しなければいけないと思います」


水野「うーん。今回の事故報告書はですね。衆議院議長に渡されましたけども、政府に申し入れるべきものは申し入れます、っていう答えがあったようで」

小出「(苦笑)」

水野「こっから先、どういうふうに取り扱われるかというのは、決まっていないんだそうです」

小出「はい」

水野「これ以上、こ、こっから何かが始まったり何かが改められたりという、ものでは、なさそうですね」

小出「まさに、人災ですね」

水野「まさにそういう意味の人災でありますね」

小出「はい」

水野「はい。どうもありがとうございました」

小出「はい、ありがとうございました」

水野「京都大学原子炉実験所、小出裕章さんに伺いました」

国会の事故調が、今回の最終報告で、海外向けと国内向けで表現を変えた文章を発表したということ自体初めて知りました。
それで、「日本文化特殊論」というのが一時流行ったことを思い出しました。少し自意識過剰だと思います。
ガンダーセンさんが指摘しているように、原発に関して文化論は通じない、それよりは推進か脱原発か、原発の持つ根本的な危険に対していかに謙虚になれるかという問題で、それは世界共通の問題だという方が大切なように思います。
チェルノブイリの事故後、推進派のやり方が世界共通だという告発の写真集を思い出しました。
放射能被害を認めようとしない、御用学者の安全宣言を広める、住民の反対運動を無視する、分断したり潰そうとする、などやり方はどこも同じでした。政官財の癒着も同様です。海外に「日本の特殊性」を「日本製=メイドインジャパンの事故」と名付けて理解の手助けをしたかったという意図があったのだろうと思いますが余計な気遣いだったように思います。