「米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!!」と内田先生

「今頃、原発が良いという人はいない」という言い方は、私の周りにも何人かの方たちから実際聞いた言葉ですが、この言葉は『だから問題は、今すぐ脱原発か時間をかけて脱原発かで、自民党だって脱原発に違いない』と続くのだろうと思いますが、本当にそうだろうか?
3・11以前から原発の恐ろしさや経済的には割に合わないとか、核ゴミの最終処分問題のどうしようもなさ、などが解っていた、解っていながら推進していた”確信犯”がいたと思います。40年間、原発に反対してきた小出裕章氏も最後に行き当たったのがそういう勢力であったと仰っています。
「今どき原発が良いと思っている人はいないはずなのに、なぜ?」を考えるとき、ここに紹介するスクープ記事は一つの解答です。3・11をキッカケに自民党核武装を考えていた人たちが反省して核武装計画を捨てる決断をしたのなら「フクシマ以後、原発を良いと思っている人はいない日本」になります。そうでない限り、脱原発を望む人は自民党のそういう人たちに諦めてもらうために出来ることをしなければならないということになるのではないでしょうか。
内田樹氏によれば、<震災だの原発事故だのという「辛気くさい話」はもう止めたいのだ。それよりはもっと「景気のいい話」をしようじゃないか。相当数の日本人がそういう気分になっている。その苛立ちが列島を覆っている><選挙では「原発再稼働」やTPPだけでなく、「改憲」や「徴兵制」や「核武装」といった幻想的なイシューが「熱く」語られていた><彼らが震災と原発事故の話は「もうしたくない」と思っていることはよくわかる。「厭な話」はもう忘れたいのだ。 それよりは、どうすれば経済が成長するか、どうすれば税収が増えるか、どうすれば国際社会で威信が増すか、どうすれば国際競争に勝てるか。そういう話に切り替えたがっているのはよくわかる>ということです。
ところで、日本は自民党時代に核武装を考えていた、それも密かにということについて、「原発のない日本を目指して福島から叫びます」さんが昨年12月13日に取り上げられた記事をいつか…と思っていましたが、ここで、貼り付けてみたいと思います。アメリカのNSNの昨年4月のスクープ記事についてです。「やはり日本の原発は核開発目的だった! 」http://blogs.yahoo.co.jp/phkhn641/14454021.html

やはり日本の原発は核開発目的だった!!
米政府 日本の軍事プルトニウム備蓄を支援・容認!!
開発担当窓口は電力各社(米NSNSスクープ)


April 9th, 2012
http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/united-states-circumvented-laws-to-help-japan-
accumulate-tons-of-plutonium.html


米国の国家安全保障問題専門通信社のNSNS( National Security News Service)は9日、米国のレーガン政権が核技術などの国外移転を禁ずる連邦法(カーター政権下、制定の原子力法)をなおざりにし、日本が原子力の平和利用の名の下に、核兵器の材料となる軍事級のプルトニウムを70トンも備蓄するのを手助けしていたことを明らかにする、1991年以来、20年がかりの 調査結果を報じた。


それによると、米側は日本が1960年代から核開発の秘密計画を保持しているのをCIAなどの諜報活動で確認していながら、米国内で頓挫したプルトニウム増殖炉の設備や技術の日本への移転を認めるとともに国防総省の反対を抑え込んで、英仏からの再処理プルトニウム海上輸送を容認さえしていたという。


米国によるプルトニウム対日支援」は、1988年に米上院が批准した日米原子力協定によって承認されたものだが、NSNSによると、発端はカーター政権時代に遡る


米海軍の原子力の技術者で、核問題に精通したカーター大統領は、サウスカロライナ州のサバンナ・バレーやワシントン州のハンフォードの核施設で、米国が続けていたプルトニウム生産の増殖炉研究を停止する決断を下すとともに、核技術・設備の国外移転を禁じる「1978年核非拡散法(原子力法)」を制定した。


これにショックを受けたのはサバンナ・バレーのクリンチ・リバー増殖炉を中心にプルトニウム増殖の研究開発をあたってきた米国の原子力推進派。


カーター政権に続くレーガン政権下、巻き返しを図り、核武装を狙って兵器級プルトニウムの備蓄を進めようとする日本側に、サバンナ・バレーのクリンチ・リバー増殖炉で蓄積した増殖技術や遠心分離器など設備を日本側に売り渡す日米原子力協定の締結に漕ぎつけた。


レーガン政権による、このプルトニウム対日支援の直接のキッカケは、1984年の米ウエスチンブハウス社の中国に売り渡し。これに抗議する日本側を宥めるために、レーガンの「原子力の右腕」と言われた、リチャード・ケネディが工作に動いた。


米国のCIA、NSAは盗聴など諜報活動により、日本政府は1969年、トップレベルで、「必要とあらば、外国からどんなに圧力をかけられようと、 核兵器開発の技術的・財源的な手段を維持する」秘密決定していたことを知っていたが、CIAはこの日米秘密合意から干されていたという。



合意された日米協定は、日米の科学者が5年間にわたって研究協力を行ない、米国から輸出された核燃料(の再処理)について、30年間にわたり、日本のフリーハンドを認める内容。日本が米英の再処理施設に委託して使用済み核燃料から抽出したプルトニウムを日本まで輸送することも同時に認められた。


このプルトニウム輸送については国防総省がハイジャクなどを恐れて洋上輸送に反対(一時、空輸も検討)したが、国防総省内の知日派などが動いて、容認されることになった。


NSNSのこの調査報道記事は、高速増殖炉もんじゅ」の事故などに触れているが、米国が売り渡した増殖技術、遠心分離機など設備が、日本でどのようなかたちで生かされ(あるいは生かすのに失敗し)、使われたか(使うのに失敗したか)までは踏み込んでいない。



しかし、日本の権力者にの核開発(核武装)の明確な意志があり、そのためのプルトニウム生産のテクノロジー、及びハードウエアを、国民が知らないところで、ひそかに米側から受けとっていたことは、きわめて重大な問題である。


NSNSの報道はまた、日本の宇宙開発が核の運搬手段開発の隠れ蓑であり、また1991年には、日本の諜報機関旧ソ連のSS20ミサイルの設計図とハードウエアに入手に成功している、とも報じている


さらに、日米プルトニウム協定でも、日本側の窓口を電力各社が担うなど、核開発ではなく、あくまで「民生利用」のカモフラージュが施されていた、と指摘している。


福島原発事故の陰には、日本政府の裏と表の二重の原子力政策があったのだ! 原発事故の責任追及は、当然ながら、日本の当局による核開発疑惑の解明へと向かわなければならない。

(以上転載終了)(転載元:http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/220.html

先に引用した内田樹氏の記事では続きがあって、<日本人はいつのまにか二極化しつつある。それが「ポスト3・11」のもっとも際だった日本社会の変化ではないかと私は思う。 一方に「賑やかだが空疎な言葉をがなり立てる人たち」、「何かを激しく攻撃する人たち」、「他責的な言葉づかいで現状を説明する人たち」の群れがいる。メディアはこの「うつろな人たち」の言動を好んで報じている。
だが、他方に、個人としてできることを黙々と引き受けている人たちがいることを忘れたくないと私は思う。誰かを責め立てても事態がすぐに好転するはずがないことを知っており、まず自分の足元の空き缶一個を拾うところからしか秩序を再構築することはできないということを知っている人たちがいる。この人たちの声は小さく、表情は静かである。だが、彼らこそ「地の塩」だと私は思っている。>、<もともと彼らを駆り立てていたのは、個人的な「惻隠の情」であった。被災者を支援しない奴は「非国民」だというような攻撃的な言葉遣いで被災者支援を語る人間は私の知る限りどこにもいない。他者の痛みや悲しみへの共感は政治的な語法となじみが悪いのだ。>とも。引用先;「内田樹の研究室」の「新年のご挨拶がわり」より:http://blog.tatsuru.com/2012/12/31_1203.php

◎日本の政治の中枢は、いつも日本国民を欺くことで政治を進めてきた。密約はバレても認めない。秘密文書は残さず無きものとする。戦前からの体質と言えば体質。民主主義が根付いていないとも言えるし、国家の私物化とも取れるし。国民をないがしろにしているとも思うし。そんな政治家や政府を日本国民は選び続けてきたと言われればそうだし。
しかし、権力を握った方たちに国民の代表というより、国民をコントロールできるという考えが強いようにも思います。日本のどうしようもなさ・・・と情けなくなりますが、変えていかない限りこんな日本のままです。事実を追究して問題提起すべきメディアがその役割を果たしてもいないし。変えたいと思う方は大変です。でも、諦めたら・・・思った通りの方向に行ってしまうでしょう。
騙されない・・・から、暴くこと、知ること、広がること、繋がること・・・Occupy my heart!  Occupy your heart!
(写真は先週のカニサボテン。今冬最後の姿です。百を超える花が咲いたと思います。今はツボミがポロポロ落ちて、咲いた花も萎んでお疲れさまでした状態です)