美智子さま、80歳(傘寿)を迎え”戦争と平和”について…

朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASGBB4RH7GBBUTIL031.html

皇后さま80歳「争いや苦しみの芽、摘み続ける努力を」
2014年10月20日05時00分



 皇后美智子さまは20日、傘寿(さんじゅ)となる80歳の誕生日を迎え、これに先立ち宮内記者会の質問に文書で回答した。来年、戦後70年となることについて「大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います」と述べ、「私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切」とつづった。


★皇后さま、傘寿 文書で所感(全文)http://www.asahi.com/articles/ASGBL66W6GBLUTIL01Q.html


 

 皇室に入ってからの日々を振り返り、天皇陛下に対して「時に厳しく、しかしどのような時にも寛容に導いて下さり、私が今日まで来られたのは、このお蔭(かげ)であったと思います」と感謝を表した。

 55年前の結婚式の朝、母の故正田富美子さんが無言で抱きしめ、父の故英三郎さんが「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれたことに触れ、「私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います」と心境を明かした。

戦争と平和について語っておられますので、その個所をコピーしてみます:

(問2)皇后さまは天皇陛下とともに国内外で慰霊の旅を続けて来られました。戦争を知らない世代が増えているなかで、来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。


 【皇后さま】今年八月に欧州では第一次大戦開戦から百年の式典が行われました。第一次、第二次と二度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い、共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました


 私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います。

 
 戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。


 
まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、今年も早蕨(さわらび)が羊歯(しだ)になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。

 最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所等、出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれの上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。


 第二次大戦では、島々を含む日本本土でも百万に近い人が亡くなりました。又、信じられない数の民間の船が徴用され、六万に及ぶ民間人の船員が、軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、昭和四十六年に観音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後七〇年の来年は、大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。

 

 世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。


◎今朝の日経・社会面にも「争いの芽 摘み続ける努力を」という見出しで写真とともに囲み記事で宮内記者会の質問に対する美智子さまの文書による回答を取り上げています。
私は、コチラで全文を読んで、美智子さまがこんなにはっきりと、A級戦犯という名前をあげて戦争責任について言及されているのを知って驚きました。それも中学生時代の思い出という工夫を凝らして・・・。
やはり、現憲法の下で象徴天皇・皇后としての存在を生きておられる方としては、安倍首相の目指す日本、憲法を変えて、天皇を元首にして、という現憲法否定、九条もなくして戦前回帰の考えには強い危機感を覚えておられるようです。自衛隊員(あるいは国民)が「天皇陛下万歳!」と叫びながら殺し、殺され・・・なんてのはもう二度とゴメンでしょうね。
各新聞がどのようにこの美智子さまの文書を伝えるか…も見もの、いえ、読みもの?ですね。(讀賣系の日本テレビ午後の番組では「戦争と平和」について完璧スルーでした。テレ朝では皇室コメンテーターの男性が出演されていて、「A級戦犯を取り上げられたことに注目」と発言されていました。聞きたかったのですが、後は見ないで外出。)
(アーチの上に今年最後のバラ…と先日書いたところでしたが、低い処にツボミがあったのを見落としていたようです。バラが咲きました!)