「“小さき人々”の声を求めて」スベトラーナ・アレシクエービッチ


◎先々週の日曜日のお昼下がり、夫が登山から無事帰ってきて車の手入れや片付けに時間をとられている間、私はEテレの再放送を見ることに。たまたま手持無沙汰で合わせた番組でしたが、素晴らしい内容でした。今の時代をチェルノブイリと福島を通して洞察、小さき人々の声に耳を傾け、絶望ではなく未来への希望につないでいく。聞き手の徐京植さんのお兄さん二人と母親のお話にも小さき人々の抵抗のたくましさを感じました。投獄されている息子に面会を続ける母親、息子に転向を勧めるように強要されるので、同じように面会に来る母親に相談すると、”口では言われたとおり息子に伝えて、ウィンクするの”と助言されたという話でした。
<作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん、著書「チェルノブイリの祈り」でノーベル文学賞を受賞。「私が耳を澄ますのは心の歴史・暮らしの中にある魂」と語る。NHKサイト:http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-04-09/31/14236/2008273/)>

4月9日(日曜 )午前5時00分〜 午前6時00分 (再放送・15日土曜日・午後1時〜)
こころの時代〜宗教・人生〜「“小さき人々”の声を求めて」


ノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは去秋、生涯追求する「小さき人々」の声を聞くため、福島を訪ねた。世界の現実を見つめ、未来を生きる指針を語る。
ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、独自の文学を築いた。チェルノブイリ原発事故被災者の苦悩を描き、核と人間の問題に向き合ってきた彼女は、福島の原発事故に衝撃を受ける。以来、念願してきた福島の「小さき人々」への取材が去年11月実現。2000年に「小さき人々」をテーマに対談した作家・徐京植さんと16年ぶりに再会し、未来をいかに生きるか、語る。
【出演】ノーベル文学賞作家…スベトラーナ・アレクシエービッチ,【きき手】作家・東京経済大学教授…徐京植


◎福島を訪ねたアレクシエービッチさんは、原発事故後、「原発さえなければ」と小屋の板壁に書き置いて自殺した家を訪ねます。また、チェルノブイリでは強制的に移住させられたのに、帰還を勧めらる日本の対応に驚く。日本の故郷への思いが今の世界では特別な思いであることにも注目。学生たちを前に講演し、質問にも答えます。小さき人々の声を聞き漏らさず、その声の中にこそ未来を見通すスベトラーナさんでした。(後半部分から録画をしたのですが、誤って消されてしまいました。肝心の部分が後でまた・・・と安心したのか記憶が薄れてしまっています)
◎聞き手のソさんについて:(著書のどれかを読んでみたいなと思いました)

徐 京植(ソ・キョンシク、1951年 - )は、在日朝鮮人作家、文学者。東京経済大学現代法学部教授(現代アジア思想 )。京都市生まれ。早稲田大学文学部卒業。兄に立命館大学特任教授の徐勝、人権運動家の徐俊植がいる。本人は4人兄弟の末っ子。


在日朝鮮人の父母のもと、京都市に生まれる。早稲田大学在学中の1971年、二人の兄が留学中のソウルで国家保安法違反容疑で逮捕される(学園浸透スパイ団事件)。すぐさま逮捕の不当性を訴えて母や支援者とともに救援活動を展開。1974年に早稲田大学第一文学部仏文学科を卒業するも、依然兄弟は獄中にあり、自らも進学を諦めて兄の解放と韓国民主化運動のため活動を継続する。この活動中に母を亡くす。



投獄から17年目の1988年に徐俊植が釈放され、1990年には徐勝も釈放。長期にわたる救援活動の経験は、その後の思索と文筆活動へとつながっていく。この頃より都内の大学などで「人権」や「マイノリティ」をテーマとした講義を持っている。2000年、東京経済大学助教授に就任。2009年に同教授。


作家としての活動は多岐にわたるが、その原点は兄2人の救出活動の経験と共に、在日朝鮮人としての自身のアイデンティティにあるとされる。自叙伝『子どもの涙 - ある在日朝鮮人の読書遍歴』(1995年)は日本エッセイストクラブ賞を受賞。以後、ディアスポラ(離散者・難民)をめぐる諸問題に多角的考察を試みる著作活動を展開。『プリーモ・レーヴィへの旅』(1999年)にてマルコ・ポーロ賞を受賞。ほぼ毎年何らかの著作を上梓し続けるなど、精力的な活動を行っている。


2004年には高橋哲哉らと季刊の思想雑誌『前夜』を刊行し、呼びかけ人、編集委員をつとめた。2006年より2年間、韓国留学を果たしている。2011年から、韓国の新聞ハンギョレに没落する日本の様子を報告する連載「日本通信」を開始した。


(下の写真は先週のYさん宅の桜と利休梅。今は桜は散って利休梅が満開です。昨日はヨーガの後、先週末2日間で放送されたドラマ、山崎豊子原作の「女の勲章」の話になり、見ている方たちも多く、みんなで「さすが山崎豊子、良かったね〜、銀四郎さん、怖い、ところで、あの人、モデルは上田安子?」とか、「船場の古き良き時代、浪花千栄子のあの言葉、今は話す人いなくなったね〜、玉木宏大阪弁も良かったね〜セリフが多かったけどお見事…」などと、もっと話していたかったのですが、家では夫がパスタを作る日なので、ランチの皆さんと別れて帰ることに。)
【PS】今朝の「shuueiのメモ」さんが取り上げられている記事は鎌田實氏のこの記事です。
(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20170420/1492629325

福島県で急速に増え始めた小児甲状腺がん
JBpress 4/19(水) 6:00配信
■ 想定外の多さ■ 数年で「正常」が「甲状腺がん」になるか■ 被曝ノイローゼと言われた時があった■ 甲状腺がんの第一人者はどう考えたか■ 福島は汚染が少なかったと言って安心はするな■ 子供の甲状腺がんは転移が多い■ 「放射線の影響は考えにくい」と言い切れるか■ 検診を縮小しないで


■ 「がん」になった子供の心を支えよう

 因果関係が明白になるまで、できるだけ長く検診を続け、見つかった子供の治療に最善を尽くし、長く医療費の保証をしてあげることが大事だ。同時に、子供たちの心を支えていくこと。原発を国策として進めてきた責任があるように思う。


 甲状腺がん家族の会ができていると聞いた。要望があれば応援をしてあげたいと思っている。

 子供たちに、病気になっても希望を忘れないようにしてほしいと伝えたい。ぼくがベラルーシウクライナで見てきた子供たちは皆、隠れたりせず、堂々と生きていた。たくさんの子供を日本へ招待し、保養もしてもらった。

 いつか彼らと交流させて、福島の若者も元気になってもらいたい。大きくなって、好きな人ができて、子供を生んだ女の子たちもたくさんいる。一生に一回だけの人生を捨てないでほしい。

 家族が悪いわけでもない。病気になった子も、その家族も、皆苦しんでいる。だから一人ひとりがまず勇気を持って立ち上がること。そして、前を向いて生きよう。元気になれる人から、なっていこう。

 それを見て、また勇気をもらう他の子供たちもいるはず。立ち上がれる子から、立ち上がっていこう。そう声をかけてあげたいと思う。この文を読んでくれたらうれしい。日本の空気に負けないで、新しい波を起こす若者になってほしい。     鎌田 實

(左の写真はツボミの3か月が過ぎてやっと咲き始めたミニラン、微かな芳香を放っています)