先々週の土曜日に見たETV特集でした。名嘉(なか)幸照(ゆきてる)さんという沖縄で1941年に生まれ、第二の故郷となった福島で原発技術者として原発事故にあうという数奇な半生を描いた番組です。沖縄では、学生時代の反米反基地闘争を経て、本土東京へ向かう。その時同じ船に乗った少女が口にした言葉を今も覚えていて、それを口にするとき今も涙が滲む。少女は沖縄の言葉でこう言ったそうです、「お母さん、どうして私をヤマトンチューに産んでくれなかったの」。
東京で船乗りの仕事(日本郵船)に就き、同僚の原潜に乗っていたというアメリカ人から、アメリカに来ないかと言われ、大学の原子力関連に籍を置き、ゼネラルエレクトリック社の技師となる。アメリカに渡ってアメリカ人に聞いてみたいことがあった。「昔から民主主義の国のアメリカが、どうして沖縄の人たちのことを尊重して民主主義を適用しないのか。そしたら、沖縄は前線基地だから、前線には民主主義はないんだよ」と。
GE社の技師となって福島の原発建設のため日本へ。過疎の町に突如できたアメリカ村で暮らした。福島で出会った女性と結婚、子供も生まれた。1980年にはGEを退社、原発の保守点検の会社を設立、今は廃炉にも携わっている。妻の墓も福島にある。そして、先祖のお墓のある沖縄へは毎年の墓参りも欠かさない。
「原発は夢のエネルギー」であると考えていたが、良かれと思ったことが悪い結果になった。子供たちはそれぞれ福島を出て生活しているが、名嘉さんは第二原発が見える岬の高台の帰還禁止区域との境界に建つ富岡町の自宅に戻った。「原発作ってきた人間だから、言う資格はないけど、ちゃんと計画を作って、原発ゼロにしたほうがいい。これ以上の負の遺産はもう私たちはいらないんじゃないですか。」 日本の本当の姿をさらす沖縄と福島、その両方で生きてきた名嘉さんの言葉が胸にずしんと重く響きます。
ETV特集「境界の家 沖縄から福島へ・ある原発技術者の半生」
[Eテレ]
2017年4月8日(土) 午後11:00〜午前0:00(60分)
番組内容
沖縄出身の原発技術者、名嘉幸照さん。アメリカGEの技師として福島に赴任、富岡町で原発と共に生きてきた。震災から6年、現地で生きる決意をした名嘉さんの半生を描く。
沖縄出身の原発技術者、名嘉(なか)幸照さん75歳。1973年、福島第一原発の建設を受注したアメリカ・GEの技師として福島に赴任した。その後、東京電力の協力会社・東北エンタープライズを設立し、富岡町で暮らしてきた。震災から6年、廃炉作業を続けて福島で生きる決心をした名嘉さん。沖縄からアメリカそして福島へと転じた数奇な半生を振り返る。原発と共に生きてきた名嘉さんの目を通して沖縄・福島の戦後を見つめていく。
◎名嘉さんは光文社から著書も出しておられます。(引用元:http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334977726)
“福島原発”ある技術者の証言原発と40年間共生してきた技術者が見た福島の真実名嘉幸照/著 2014年3月18日発売 定価(本体1,400円+税)
原発は発展途上の技術だった。
私はあわやという事態に幾度となく遭遇した。
その後、原発の技術的な改良が進み、システムは安定しても、機械の想定外の劣化や操作ミスなどで、危うい事態は絶えなかった。現場では福島第一原発の津波に対する弱点は、すでに認識されていた。認識されながら、対策は一日、また一日と先送りにされていた―。
目次
プロローグ 安全神話の崩壊
第一章 福島原発の知られざる事故
第二章 東電と福島原発
第三章 事故処理の現場と政府・東電
第四章 福島の真実と未来
エピローグ 日本人と原発
著者紹介
名嘉幸照(なか ゆきてる)
1941年、沖縄県伊是名村生まれ。GE技術者として福島に移り住み、福島第一原発の運転スタート時から現在までの約40年間、同原発に携わる。建設当時から現在までの同原発の現場を知る、数少ない技術者の一人。主に福島第一原発の保守・点検を担当し、’80年に東京電力の協力会社、東北エンタープライズを設立。自ら技術者として現場の指揮をとる傍ら、若い技術者を育て、福島を含む日本各地の原発に派遣し保守管理を行っている。「3・11」以降、ドイツの公共放送局(ZDF・第二ドイツテレビ)制作のドキュメンタリー番組『フクシマの嘘』を始め、スイス放送協会、ロイター通信社、ニューヨーク・タイムズ等、国内外のメディアで現場の意見を発信し、福島の現状を訴える。東北エンタープライズ会長。
★「2013年7月13日 (土)『原発技術者の良心を感じた名嘉 幸照さん 7月13日「技術者が見る原発事故 名嘉(なか)幸(ゆき)照(てる)さん」』(http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-3549.html)
☆一部を:
【問 い】 政府は経済成長のため原発を輸出するといいます。
《名 嘉》 原因究明も含め、事故の後始末はまだ途中。なのに原発を再稼働、あるいは輸出するなんて、あり得ない。原発は、放射性廃棄物や使用済み燃料をどう処理するかが大切だ。国によってはテロ対策も重要になる。国内でもそれが満足にできないのに、輸出するのは理解できない。
それより廃炉だ。世界中の原発はいずれ廃炉に向かう。そのための技術を確立すれば、商機は十分にある。福島原発は廃炉技術を磨く場。優秀な技術者を集め、過酷な状況にある原子炉で世界一の廃炉技術を身につけるべきだ。日本では原子力を学ぶ学生が減っていると聞くが、今後、原発技術で日本を救おうという若者にぜひ、出てきて欲しい。
【問 い】 福島にはこれからもずっと?
《名 嘉》 ここで結婚し、家を建て、墓もつくった。第二のふるさと、永住の地だ。いまは住めない富岡町の自宅から、第二原発がはっきり見えた。『監視小屋だよ』と言ったら、近所の人が『名嘉さんがいてくれるなら安心だ』って。地震後、避難所で再会したとき、『監視小屋、役に立たなかったね』と。切なくてね。
かつて沖縄で、『俺たちは日本人ですか』と本土の人によく言った。同じ言葉を福島の人に言わせたくない。福島を見捨てられた地にしたくない。この地で原発と共に生きた技術者の、それが最後の願いなんだ。
(聞き手・吉田貴文) 2013年7月12日「朝日新聞」より