🔲元旦の能登半島地震の被災者のことを忘れてはいませんか、自民党さん:
「みなし仮設住宅」は、民間賃貸住宅を仮設住宅とみなし、家賃を自治体が負担する仕組み。入居期間は自宅が半壊以上の場合は原則2年間、自宅がある地域で水道などのライフラインが途絶した場合は復旧までとされる。
能登半島地震の「みなし仮設」で暮らす80代女性に7月「自宅が半壊未満の入居者は年末を目標に退去できるように」と記した文書が届いた。女性の親族は「直すにも、壊すにも数百万円かかる」と嘆く
自民党総裁選の空騒ぎにうつつを抜かす議員各位 ――被災者に無関心ではないか?
🔲『狂気』に至る前に・・・
今の我々から見ると、昭和の大日本帝国、とりわけ戦争末期の軍や政府や社会の人命軽視の風潮は狂気ですが、当時の日本人の多くはそれに適応したというのが重要です。
一つ間違えば、現代の日本人もそうならないとは言えない。情緒的な美談や大義で人の思考は簡単に狂います。
🔲高市早苗氏が靖国神社参拝を報告。「国策に殉じられた」の表現は・・・?
【国策に殉じられた方々の御霊に、尊崇の念をもって感謝の誠を捧げる】
靖国神社に祀られている、先の戦争での日本の戦没軍人の過半数、約140万人は、戦死ではなく餓死者でした。日本軍指導部の無能と人命軽視で、飢えて亡くなった人たち。彼らの死に方に何も感じませんか?
(続き)日本軍指導部の無能と人命軽視で、飢えて亡くなった軍人たちに「感謝」とは、具体的にどのような言葉で「感謝」されたんですか?
まさか「戦う前に餓死して下さってありがとう」ではないですよね?
国を守るためでなく、日本軍指導部の人命軽視で亡くなったんです。
(続き)そして靖国神社には、140万人もの兵士を餓死させた戦争指導部の人間も「英霊」として祀られています。
餓死させた指導者と、餓死させられた140万人の軍人を同列にして「感謝」って、おかしくないですか?
140万人の軍人は、東條らのせいで未来を断たれたんですよ。
引用
国策に殉じられた方々の御霊に、尊崇の念をもって感謝の誠を捧げるとともに、御遺族の皆様のご健康をお祈りしてまいりました。
私の直前に参拝しておられた保守団結の会の仲間の皆様が待っていて下さり、嬉しく存じました。
◆
黒塗の車から降り「英霊」に云々と靖国神社でテレビカメラに向かい愛国者気取りの者たち。その愛国者気取りの高市早苗などは、日本をアメリカの属国にしている日米法的地位協定などには一切触れずに受け入れている。愛国者を、そして「保守」を気取る単なるポーズだけの薄っぺらな者たち。
◆
なにが「国策に殉じられた方々の御霊に、尊崇の念をもって感謝の誠を捧げる」だよ。「国のために死んでこい」なんて国策、恐ろしいと思わないのか?今の日本の政治家がやるべきことは、そんな国策が間違いだったと認め、戦死者に哀悼を示し、もう二度とそんな間違った国策をしないと誓うことだろ。
🔲終戦の日に問うべきは2つのこと:
【どうして日本は戦争を始めたのか】
【どうして敗色濃厚となっても戦争を止めなかったのか】
この核心部分の二つの問いが欠落した「平和は尊い」「戦争してはいけない」という言葉は、「だから平和を守るため、戦争しないために軍備増強が必要」に繋がり戦争を引き寄せる。
引用
終戦の日に政治家は戦死者の慰霊はするけれど、どうして日本は戦争を始めたのかという問いかけはしない。どうして敗色濃厚となっても戦争を止めなかったのかという問いかけはしない。失敗の本質を見究めない限り、日本人の精神構造は変わりません。 x.com/tirisawa/statu…
終戦の日になすこと。なぜに日本は戦争を始めたのかを問う。かつて日本がなしたことを省みる。「特攻」というあってはならないことを平然と若者に強いた未成熟な国であったことを深く胸に刻む。国は戦争を二度と起こさないと言いながら国を守るために防衛費を増額している現実に目を向ける。
🔲「名もなき人々の戦争を観る」、私も観ました:
私も、この番組の視聴を強くお奨めします。明治時代に入ってもしばらくは、国民の間に「天皇崇拝の機運」は根付いていなかったとか、NHKでも民放でもまず取り上げない重要な事実を多く知ることができます。 日本は昔から天皇中心の国だったとか、ウソにだまされないように。
🔲万博開催はIRにつなげる腹積もり…では?
吉村知事は今年4月のテレビ番組で万博成功の定義を聞かれ、「予定通り開催できれば経済的には成功」と言っています。これは先述の過大な「経済効果」を踏まえた発言でしょうが、その「試算」や「予定」なるものに、どれほど実現性があるのかは厳しく問われるべきでしょう。
引用
万博成功の定義を聞かれ「(動員や収支、内容を問わず)開催されれば経済的には成功」「社会的意義は数十年後に分かる」とハードルを下げまくる吉村。
天文学的な税金を投入しながら無責任極まる吉村と、それを垂れ流す讀賣テレビ。許せない
★アラン・ドロンが88歳で亡くなったというニュース。感慨深い思いで聞きました。初めてフランス映画をテレビで見たのが中学生の時。「パルムの僧院」と「愛人ジュリエット」。主演のジェラール・フィリップに注目。ところがほどなくして訃報。1959年のことでした。
その後、登場したのが「太陽がいっぱい」のアラン・ドロン。高校生になっていて、試験中、隣町の映画館で見ました。映画雑誌で知っていたので映画評を読んでから映画を観た初めての映画でした。美しい映像と音楽とラストシーンが印象に残ります。
もう一本はフィルム・ノワール「地下室のメロディ」。これは梅田の映画館でした。大先輩泥棒のジャン・ギャバンと若手のアラン・ドロンの二人組、奪った現金をボストンバックに入れて、最後警察に追われて、プールに投げ込んだバッグの中から、お札がヒラヒラと浮き上がっていくシュールな画面で終わる映画でした。そしてもう一本は1963年公開のヴィスコンティ監督の「山猫」。これは、子ども会メンバーの積立仲間と一緒に見ました。長い映画でイタリア貴族と戦争を描いています。
今年に入って2年前に録画していた「パリは燃えているか」を見ました。1966年の米仏合作です。「太陽がいっぱい」と同じルネ・クレマン監督映画の大作です。第2次大戦の米軍によるパリ解放を描いた戦争映画で3時間の長編。アラン・ドロンはパリ解放を目指すレジスタンスの一人を演じています。ヨーロッパでのナチスドイツとの闘いで民主主義国家アメリカが果たした役割が実感? 出来る映画でした。
これは『冒険者たち』の1シーンだと思いますけど、ほんとうにいい映画でした。僕のアラン•ドロンのベストはこれです。あとは『友よさらば』と『サムライ』かな。
引用
In honour of ALAIN DELON, who would you say is the most handsome actor?