古代史ドラマ「大仏開眼」と「無縁社会」

 昨日、5時ごろ、西日を受けた桜通りの桜
昨年から少し古代史に興味を持った私としては見逃すことの出来ないドラマ、と番組宣伝がある度に、4月3日土曜日夜7時半と復唱したり、今朝は新聞の番組欄に印をつけて楽しみにしていました。
衣装、建物、と奈良時代の余り取り上げられない時代背景と物語の紹介のような前半。吉備真備といえば遣唐使としてとして名前だけ知っているぐらいの人物。聖武天皇光明皇后、後の孝謙天皇になる娘と、次々登場。中だるみのような中盤を越えて、藤原仲麻呂吉備真備が対立する後半がビックリするくらい良かった!です。
吉岡秀隆のあんな毅然とした吉備真備は予想外。「唐では兵学も学んだ。兵学の根本は闘わずして勝つこと。闘うべき敵を作らぬことです。」という台詞が生きてきます。藤原一族との対立を武力ではなく政治的に解決しようとする真備の真骨頂。見ていて、政治とはこういうこと〜!と改めて思ったり。国家がまだ態をなしていない時期、唐のような律令制度に基づく中央集権国家が日本でもなぜ必要なのかというあたりも分かり易くドラマ化されていました。
来週の後編が楽しみです。

10時からは「追跡!AtoZ」、昨年12月末に放送された「無縁社会」の続編?でしたが、夕方4時から2時間番組で「NHKスペシャルとニュース企画一挙放送・解決の道はあるか? 厚生労働大臣政務官有識者が討論で探る」と番組案内に書いてある放送がありました。見たいなと思いつつ整骨院へ行く時間でしたので摘み食い程度見ただけでした。
年末の番組の反響が大きく、特に30〜40代の人たちからの意見がNHKに寄せられたとか。「自分たちもいずれああなるんじゃないか」という意見を寄せた方たちを取材した中で印象的な言葉がありました。「人とのつながりが無くなる事は、自分の存在が無くなる事だと思った」という言葉です。
無縁社会とは、働き方の変化や便利な社会を追求してライフスタイルが変化したことにより、一見、一人で生きていけるようになってしまった社会が、実は人と人の絆をバラバラにして、行き着く先が人生最後の無縁死、引き取り手のない死にまで至ってしまった現実。
夜の番組では最後に内橋克人氏がまとめを。若い世代が自分もそうなるのかと考えるのは、すでに日本社会の未来が現実化した証拠で、社会の構造的なものである。若者たちは「自立」を求めて、実は、不安定労働という荒野のなかに「孤立」を与えられている。
そして、いまやその「孤立」を埋めることが、新たなビジネスの対象になっている。たとえば、貧困ビジネスとか保証人ビジネス
地縁・血縁・家族力の衰退・崩壊が招いたことではあるが、封建的な地縁・血縁の回復に解決は求められない。
では、封建的ではない新しい地縁・血縁とは?
今日(日曜)の午前中は自治会の総会で、今年度の自治会の世話役が回ってきましたので、私も出席しました。
私たちの地域はまだまだ古い絆が有効で組織率89%だそうです。普通は47〜50%といいますので、地縁のまだまだ残っている地域だといえます。
区長さんと今日初めてお会いして、二筋離れて住んでいて、会ってお話したのは初めて。こんなことでもない限り…と話しているうちに同い年だということも解り、これで一年副区長やっても、お知り合いが増えると思うと、月々の班長さんへのチラシ渡しや年一回の自治会費の集金や、年数回の募金とかのお手伝いも苦にはなりません。中には4,5歳の子供連れのお父さんが区長をされていました。こんなに若くて自治会の世話役をされる方がいてくださるのは本当に心強い限りです。
人間関係の少しの煩わしさを避けた結果がどうなるのか?・・・「無縁社会」のことを考えると、
煩わしさ、手間隙のかかることこそ楽しいと思わないといけませんね。