大きな瞳の少女(中原淳一)のこと

NHK朝の連続ドラマの「カーネーション」は主演の芸達者な尾野真知子さんの好演もあって快調、展開も早く、毎朝見逃せない15分が楽しみです。
それに、このところは、ほっしゃん。さんに感心しています。こんなにお芝居の上手な方だったの?と驚いています。鶴瓶さんの息子の駿河太郎さんにも驚きましたが・・・。
キタナイ?岸和田弁が小気味よく聞こえて朝が始まるなんてことはこのドラマが始まる前には考えられないことでした。
ところで、昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、このカーネーションつながりで、コシノ家に大きな影響を与えた中原淳一が取り上げられました。
新聞のタイトル欄には「昭和ファッション革命元祖カワイイ」という称号?がつけられていました。なるほど「カワイイ系」なんですね、そういえば。
中原淳一といえば、私からすると前の世代というか、母の思い出話を通して知った名前と絵でした。(イラストは中原淳一ホームページより)
奥さんが確か宝塚のスターだった葦原邦子さんで、戦前の女学生の憧れの的だった洋服姿の瞳の大きな少女の絵で一世を風靡したというような事を覚えています。私の少女時代には既に古めかしさを感じる絵で、塗り絵は別の人の絵だったはずです。
「それいゆ」という雑誌の名前の謎が解けました。な〜〜んだ、フランス語の「太陽=ひまわり」だったんだ〜!
そして、心臓病で倒れ、その後25年間も闘病生活や脳梗塞からの療養生活の末、70歳で千葉県の館山で亡くなったこと。
その間、男性の人形を作り続けていたことなどは初めて知りました。
お星さまが入った大きな瞳の少女像は、その後、漫画の少女に受け継がれました。思い出すのは水野英子さんの絵です。
そしてメークにも。浅丘ルリ子さんのお話は有名で、昨日の番組でも少し出演してお話もしておられました。
竹久夢二の絵を小さいころから真似て書いていたそうですが、雰囲気が似ているところもありますね。
日本のファッションや女性像、インテリアデザインなど、美しいものの創造に大きな役割と影響を与えた人物だったんですね。