金曜デモと白寿の会

◎昨日金曜日、「特別な1日」さんのSPYBOYさんは、「なになに自民党は『強行採決をしても三連休を挟めば国民は忘れるだろう』って読み、なんだって?(笑)。(与党側は「3連休前に」 衆院を通過させたい?http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000054634.html) そう言われたら尚更 抗議に行かなくちゃな(笑)   ということで、官邸前+国会前へ」と、官邸前の再稼働反対デモと国会前の戦争法案反対との掛け持ち参加です。
ブログのタイトルは、読書『撤退するアメリカと『無秩序』の世紀』、『0717 再稼働反対!首相官邸前抗議』+『戦争法案強行採決に反対する国会前緊急抗議行動』(参加者5万人)
●「最も格好良かったプラカード」の言葉は、いいですね!

今日 最も格好良かったプラカード。『「どうせ忘れる」と言ったこと忘れないから!(そっちこそ覚えてろよ)』。持っていたのは若い女の子だった

そしてプラカードの写真からコピーです。一枚目はSPYBOYさんのものだそうです。スッキリですね!


(◎今回の公明党の責任は重いですね。自民党単独では出来ないことを公明党が全部手伝ってるわけですから。十分審議は尽くされたと自民党と同じことをシラ〜と言って平然としてる…創価学会ってそんなもん?でした。)
●タイトルにある本についてと一緒に是非コチラで:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20150717/1437142941

◎昨日の父の白寿の会。台風の進路が気になりましたが、なんとか新幹線も動いて、妹たち夫婦2組も無事到着。
末の妹の連れ合いは昨年脳梗塞で倒れ、その後遺症で、左手と足が不自由。電車に乗るのは初めてという事で折り畳みの車椅子を借りて、妹はリュックを背負っての参加でした。雨の降る中を階段を十数段上がらねばならず、初めて会った時は随分無理をさせて申し訳なかったと思いました。ところが、その彼が、父の白寿を祝って、俳句や川柳をたくさん作って、その作品を並べて祝辞にしたものをわざわざ用意してくれたり、東京の下町の扇職人に頼んだと言って、金地に緑の松を描いた扇に祝白寿と書き込んだ扇を準備して下さったり、父も母も大喜びでした。母は母で、内祝いに夫婦湯呑茶碗を三人分用意していたり、隣りにいる私たちは、バタバタするだけでしたが、本当に良い集まりになりました。

真中の妹の連れ合いは丁度父と30歳違いだそうです。今回、新幹線で一緒に来てくれたり、それとなくサポートしてくれています。それで思い出話になったのですが、父がまだゴルフをしていた頃、三姉妹の連れ合いたちをゴルフに誘って、それが帰省を兼ねてのゴルフ会になり、その内、カップまで用意。父が引退してからは、従兄を呼び、その内、家族旅行を兼ねてアチコチ出かけるようにもなりました。このゴルフ会のお蔭でそれぞれ姉妹の連れ合い同士のご縁も深まり、もう30年ほどのお付き合いになりますので、気心も知れて冗談も言い合える、とても良い関係になれています。両親が私たちに与えてくれた最上のものだと思っています。

母のあいさつの中に、”こんな年まで生きるとは思ってもいなかった。寝たきりで100歳になっても死ねないこともあるのに、自分のことは自分で出来る健康で、この年まで来られたのは本当に幸せ”です。母が、”みんな仲良くいって下さいね。仲良くない人もあるからね。もうこの年になったら二人で支え合って仲良くね”と。父の今日あるは母のお蔭、というのはみんなよくわかっています。
江戸っ子の彼が、「政府の方針が変わらなければ100歳には政府から銀杯がもらえるそうです、安倍ちゃんから。ぜひ元気に過ごして100歳を迎えてください」と新情報。何かの時に隣に座った彼が、「一体どうやって、誰が銀杯を持ってくるのかね〜安倍ちゃんが」というので、「来年まで持たないよ、安倍さん」と私が言うと、彼の方もあっさり、「そうだね、持たないね〜」でした。

昨夜は、せっかくの見晴らし台のようなホールからの眺めもさっぱりでしたが、今朝になって雨雲が去り、大阪のビル群が姿を現しました。宿の朝食を済ませて、写真を撮ったり、お土産を買ったり、8人でホールの椅子に座って話していると、母が「また来年、無事に100歳を迎えられたら又元気で会いましょうね」と。99歳でお祝い事はお終いにすると話していたのですが、その気になったようです。しきりに不自由な彼に話しかけて、「なったものは仕方がないから、前向きにね」と励ましたりしています。9時過ぎ、「風の杜」を出て、今度は我が家へ集合です。
先に両親と真ん中の妹と私が夫の運転する車で家へ。早速、妹に手伝ってもらって、8人が座れるテーブルをセットです。サンルームのテーブルを食卓にくっつけると8人が楽に腰かけられる大テーブルになります。一人はまだタバコが離せないので、サンルームにガラスの丸テーブルを置いて灰皿を置いて、準備完了。ところが、ピストンで迎えに行った夫の車は途中で通行止めにあったとか。

ドライブウエイのどこかが土砂崩れか何かで通せんぼ。事情を言って通してもらったそうですが、何もかもラッキーでした。8人が又集合して、今度は私がドリップコーヒーを淹れて、妹持ち込みの美味しいクッキーでお茶に。注文しておいたお弁当も届きました。
JRの在来線と阪急も雨台風の後遺症の影響を受けているようですが、新幹線は動きますので、妹たちの次の目的地、京都と大津まで新幹線で行くことになり、夫が先ほど車で新大阪まで送って行きました。夫には申し訳ないですが、夫の山行きが中止になったおかげで大変助かりました。夫も中止になって良かったと。これもラッキーだったことの一つ? (記念に売店で滝の道ゆずる君のストラップを)6時を過ぎて母が「電話が通じない。あの足ではお父さんより大変。二人は無事に着いたのかしら?」と、たった今、妹から大津のホテルに無事着いたからと電話。大丈夫でしょう、あの二人なら。

☆川柳の中から:

   
   レジェンドへ歴史眺むる一世紀


   婿姉妹白寿の父に笑い顔


   父白寿背には微笑む母が居り