「システムと個人」(シンビジュウムの花に)

昨年の3月お餞別に頂いたシンビジュウムの花が今年も咲きました。7年半の間、福祉行政の末端のお手伝いのお役をしていました。
村上春樹さんがエルサレム賞の授賞記念講演で話された「システムと個人」を体験するには充分だったと思います。

システムというのは人間が生み出した効果的、効率的に成果を得るための大変便利な仕組みだと思います。まず、そのことを忘れないで意識すること。また、その仕組みを維持し、うまく機能させる為には、一見無駄とも思える話し合いや手続き等の時間や経費もかかるということを納得すること。そして、往々にして、人間は自分が生み出したシステムを主体的に利用するのではなくて、所属する組織の上から降りてくる決定に盲目的に従って消化するだけになり、自分の頭で考えることを止めてしまいがちになる。その結果、組織に利用されるだけとしか意識できなくなる。強制されて、というよりは、個人が孤立すると無力感でそうなってしまうケースも多いのです。

私が体験した組織、システムというのは末端であり、規則も罰則もゆるいもので、それが機能していたわけでもありません。しかし、システムが巨大になっていくに従って、組織の存在意義も自覚されなくなり、個人の疎外感も大きくなるはず。究極のシステム、「暴力装置」である警察や軍隊をもつ「国家」ともなると、今度は村上氏の指摘した深刻な事態、国家が個人を利用しはじめます。国家の意思とは反対の意見だとしても、生殺与奪権を持つ国家に歯向かうことは私たちのような一般人にはとうてい無理。例えば、戦時下に戦争反対が如何に困難なことかは先人が経験済み。戦争状態に入る前、まだ物が自由に言える今のような段階で、そういう事態にならないよう意思表示することが大切だということです。

システムは人間が利用すれば大きな成果が得られる幸福実現の有効な手段です。そのことを忘れてシステム自体を否定したり、システムの一員でありながらシニカルになって無政府主義的な言動をする人、あるいは反体制気取りの人を見かけたこともありますが、本末転倒。
大切なのは、そのシステムの中で目的を忘れず、同じように目的を見失っていない仲間を探し出して、共に踏みとどまることだと思います。
人間的であろうと努力し、踏みとどまれば、必ず仲間がいるし、仲間は増える、人は変わる。あきらめないこと、信じることが大切。
今、組織の中にあって(たとえば何かの事務所、会社、PTAなどのボランティア団体等々)、その中で踏みとどまって闘っている人たちに(組織と闘っている人たちに)、心からのエールを送りたいと思います。