お茶飲み話に脱原発とアメリカ

昨日は、午後からSさんとお茶飲み話です。 海外青年協力隊で滞在中のアフリカ・モザンビークから歯の治療で前日に帰国したという息子さんのお話を聞かせていただきました。
貧富の差というか身分社会が厳然としてあり、お巡りさんからカツ上げ?されるといいます。アチラにいる時に地震津波の映像は繰り返し流されたので知っていたが、今避難所で生活している方たち以下の暮らしがアチラでは普通と言う話です。まず朝起きて水が出るか確かめる、出たとしても茶色い水で沸騰させて飲むんだそうですが、色は少し残るとか。洗濯はモチロン手でするし・・・。パソコンを教えているが、教わる人たちはあちらのごく一部の人たち。でも、行けば行ったで何とかなるし、料理法を工夫したり、ケッコウ楽しそうにやっているということです。
中国人や韓国からも沢山来ているらしく、中国人に間違われると大変だそうです。日本人だと解ると途端に友好的で親密な態度に変るので、中国人は嫌われているんだなと解るそうです。「何でかしら? エゲツないのか、あくどいのか?」と主婦二人の想像です。
結局、文明の利器があるかないかで幸福かどうか、生きていけるかどうかには関係ないということねと二人で。「でも、いつまでもこんな生活を続けていて良いわけがないと思ってたよね〜電気使い放題のこんな生活」と言われて、そうよね〜と。

シラン(紫爛)が咲き出しました。白いシランは白蘭と書くのでしょうか。山で見かけるニワセキショウ(庭石菖)の可憐な花。
デュランタタカラヅカは鉢植えで再登場。鉢底を通り抜けて根を伸ばしていた木は冬の寒さにやられてしまいました。

オール電化」を勧める電話がここ1,2年頻繫にかかって来るようになっていましたが、私は「その気はありません」と断っていました。ガスと電気と灯油の生活を続けたい、どれか一つに頼ってしまっては何かあったとき困るだろうとも思っていました。全自動の洗濯機もまだ使う気になれないし、なるべくクーラー(エアコン?)に頼らないで夏をすごしたいとも思ってきました。
子育ての頃、電気・ガス・水道で一万円以内を密かに自慢にも思ったり。明治生まれの夫の母との同居が今から考えると良かったかなとも。用途に合わせた便利な洗剤など義母はバカにしていました。企業努力をされている会社関係の方たちには悪いのですが、確かに、使わなくてもキレイになります。
震災を切っ掛けに今の暮らし方をもう一度見直す切っ掛けにするのは良い事だと思います。電気をなるべく使わない、石油をなるべく使わない生活を一億人が心がければ大きな変化になるかも知れません。
今日の「内田樹の研究室」はチョッとビックリです。というか、確かにウスウスというか解っている事なんですが、公の立場の人でハッキリ言う人は余りいませんので、いつもながら内田先生は肝がすわっています。(http://blog.tatsuru.com/
青山繁晴さんが「アンカー」でも先週解説した通り、浜岡原発運転停止要請はアメリカからの要請だったということ、その理由は第七艦隊の母港(母港が日本にあること自体がすでに日米関係を表していますが)である横須賀の安全性確保が目的ということです。
内田先生のブログでは、加えて、脱原発路線そのものがアメリカの要請であるというものです。いつもながら明快、明解な解釈と解説です。内閣参与の平田オリザ氏が「汚染水を海洋投棄したのはアメリカの指示だった」と言って問題になった後、謝罪、撤回した「事件」についてが導入部。このお話もなかなか面白いお話ですし、内田先生の仰る通りなんだろうと思います。
マスコミの問題点の指摘も同感です。謝罪が済めば、「なかったこと」にされるという日本の報道のあり方は本当にオカシイと思います。みんなが「見て見ぬフリ」、アメリカと日本の本当の関係はタブーなんだという暗黙の了解を問題にしなければ、あらゆる分野での日本の自主性の回復=自立(=戦後を終わらせる)はあり得ないと思います。