折紙教室再開(アジサイ)

今日は沖縄慰霊の日。66年前の今日、沖縄の地上戦が終結した日です。
糸満市摩文仁の丘にある平和記念公園では沖縄全戦没者追悼式が行われました。
NHKのお昼のニュースの後ライブ中継の式典前、カメラは宜野湾市普天間飛行場を写していました。

摩分仁の丘にある沖縄戦跡国定公園は、戦跡として唯一の国定公園です。
Wikipediaによりますと、「1965年(昭和40年)、琉球政府立公園に指定され、1972年(昭和47年)の本土復帰に伴い、国定公園に指定された。公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地である。1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍の攻撃により、首里那覇市)にあった日本軍司令部は、この沖縄本島南端部(島尻)に撤退した。狭い島尻には、南下侵攻する米軍から避難する一般住民と撤退・抗戦する日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥った。日本軍による組織的抵抗は、同年6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したが、アメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けた。」とあり、8月15日の終戦まで、まだ1ヶ月、広島・長崎があります。
66年は、長いですね〜。沖縄戦の後の苦労を、福島の震災と原発事故の後の被災地の人たちの苦労に重ねて語る沖縄の人がいました。この二つの戦後と事故後が共感を持って語られるには、日本政府の犯罪的なサボタージュが共通してあるように思います。それを許してきた国民がもちろん居るわけですが、目を覚ます時だと思います。



さて、今日は午後からお約束の折紙教室再開です。
1時過ぎに、Mさんが見えて、しばらく話していると、母がご挨拶に顔をだしました。
そうこうする内に先生のKさんがいらっしゃいました。Kさんが大正9年生まれ、母が大正10年、Mさんのお(義)母さんが大正11年生まれということです。(89〜91歳ということ)
Kさんの溌剌とした様子に母もビックリ。母はお茶菓子を差し入れてご挨拶のみで隣の自宅へ。
葉脈の入った葉っぱを3枚用意して、画用紙の上に貼り付けます。宿題だったアジサイ3色の花を9個づつ折ったものを花の形にまとめて貼り付けます。最後にカタツムリを教わりました。私はこのお手本になった写真を先週見せてもらった時、ついつい、「まぁ、ナメクジまで」と言ってしまいました。
先生に、「あなた、これは、カタツムリでしょ」と注意されました。頭の中では”カタツムリ”と思っていながら、口では”ナメクジ”と言ってしまう典型的な老化現象です。言ってしまってから、さすが恥ずかしくなりました。
Mさんと先生の作品は和紙の折紙で、透明感のある柔らかな色合や、落ち着いた色合がとってもよかったです。
私のは普通の折紙を使ったので色合が派手目です。
明日父のお見舞いに行く時に持って行って、病室に置いて来ようと思っています。