沖縄「慰霊の日」と6月のお茶のお稽古


昨日、6月23日は沖縄「慰霊の日」でした。梅雨明けの摩文仁の丘の「平和の礎(いしじ)」のある平和祈念公園では、戦没者追悼の式典が行われました。72年前のこの日、沖縄では事実上の敗戦を迎えました。

山崎 雅弘‏ @mas__yamazaki 8時間
返信先: @mas__yamazakiさん


6月23日は、1945年の沖縄での地上戦(組織的戦闘)が事実上終了した日で、沖縄では「慰霊の日」として毎年特別な扱いを受けていますが本土で「6月23日って何の日?」と聞かれて「沖縄の慰霊の日」と答えられる人がどれだけいるでしょうか。


沖縄県民が経験した苦難の歴史への本土の人間の無理解も、沖縄の外国軍基地をめぐる悪意に満ちたデマ攻撃の跋扈を許す温床になっているように思います。沖縄戦の歴史を知れば、基地反対運動も違って見えます。6月23日は「沖縄の慰霊の日」だという認識が、本土でも「常識」になるようにしたいです。


山崎 雅弘さんがリツイート
布施祐仁‏ @yujinfuse 19時間
今日6月23日は沖縄戦の「慰霊の日」ですあの戦争で本土防衛のための「捨て石」とされた沖縄。二度と同じ過ちを繰り返さない誓いを胸に、戦没者の方々に静かに黙祷を捧げたいと思います。
3分でわかる沖縄戦 - 琉球新報 - http://ryukyushimpo.jp/pages/entry-519092.html



これも沖縄戦の一側面。「住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにする」日本兵の悪行を「見るに堪えない。もう限界だ。同じ日本の兵隊として許せねえ」と別の日本兵が殺害。http://ryukyushimpo.jp/news/entry-417850.html

日本兵日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」2016年12月26日 08:30


・当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。


・飯田さんは米軍との戦闘前、那覇市の住民宅で寝泊まりし、沖縄の人々から温かくしてもらったことへの「恩義」もあって「住民を殺す日本兵が許せなかった」と言う。ある晩、井戸で住民に嫌がらせをしている佐々木を見つけた。人影がなくなったのを見計らい、軍服を引き裂いた布で拳銃を隠し持って近づき、水を飲んでいる佐々木の後頭部に銃を近づけ引き金を引いたという。


・飯田さんは「軍隊は住民を守るどころか、軍隊がいることで戦場になってしまう。(辺野古に)飛行場を造ることはいいことではない。沖縄の人々にとって戦後は終わっていない。戦争は絶対に駄目だ。勝っても負けてもよくない。自分の命を落としてでも俺は絶対に反対する」と語った。(新垣毅)

◎昨日の午後はお茶の日。日傘を差して先生宅へ向かう途中、塀から顔を出しているアジサイの花がぐったり気味。それほど午後の日差しは梅雨の晴れ間にしては夏日のよう。先生のお宅につくと、お座敷には扇風機が回っていました。この日、Naさんはお孫さんを預かって出てこられず2人で立礼式でお茶を点てることに。

またピント外れの写真ですが、竹籠には小海老草とブッドレアと斑入りのススキ。
掛け軸はアジサイの花が描かれた「滴翠」。緑滴(したた)る季節という意味かな。
平茶碗を用意してあるので…と言われて水屋へ。
夏茶碗の浅くて口の広いお茶碗が並べてありました。

棗(なつめ)は漆塗りの黒地に
赤で紫陽花が描かれているもの。
替え茶碗には高麗茶碗と言われましたが、
萩焼風の模様に一刷毛模様が入っている
少し深さのあるのを選びました。
これはお茶を点てるときの茶筅
使いやすくてとてもよかったです。
↓主菓子を入れる陶器の蓋物は先月と同じイタリア製の白い楕円形。
お菓子は薄紫のアジサイに透明の露を模した寒天が乗っていました。


↓お干菓子は寄せ木細工のお盆の上に。先生のお母様のお土産だったとか。
Noさんが選んだテッセン(クレマチス)の花の京焼のお茶碗。


↓蓋置は笹の葉が描かれたもの。


←タイプルーのこの水差し。いつ見てもとても美しい藍色です。

空港のショッピングセンターの上の棚に飾ってあって
目に飛び込んできたと仰っています。
今回、よく見ると形も変わっています。
切り込みが入って、ねじれています。

水差しにピッタリですが、そういう目でみているから飛び込んでくるんでしょうね。
持ち帰ってから漆塗りの蓋を誂えるのに高く付いたとか。
帰り道、今は千葉にいるFさんのお宅跡の角の家、
オープンな玄関わきのアジサイの大株、
ピンクや紫、薄紫とみごとな七色でした。