秋の庭に咲く花と、名誉挽回できる?(初代規制委委員長)




←今朝のジンジャー。
真っ白な花が次々と咲いて芳香を放っている一角は特別です。


アメジストセージも。
モールで作ったような花をつけて咲き続けています。




←ツボミのままが長かったフジバカマも咲き出しています。

昨日は、ジンジャーに惹かれて庭に出て、丁度翌日の今日がゴミ出しの日なので、ついでに草取りもしました。
秋バラも咲いて赤い花をつけていますが、アーチの上で咲いていますので写真には収まらなくなりました。
ドクダミの葉やシダの葉、イチハツの茶色くなった葉やノウゼンカツラの葉を袋一杯に詰め込んで少しスッキリです。
↓オレンジの百日草は斜めお向かいの方から頂いた一苗から、こんなにたくさんの花が。北側のシュウカイドウ(秋海棠)も延々咲き続けています。


真っ赤な炎の舌を出したようなサルビア。そして寄せ植えの鉢の真ん中はケイトウの花。


さて、日経の11日の夕刊、「ニュースな人ヒト」というコラムは9月19日発足した原子力規制員会の初代委員長の田中俊一氏[67]。
写真の下には「『原子力ムラ』出身との批判を受け、国会同意を経ず首相権限で任命された」と書いてあります。
「ムラ」出身だから駄目という意見と、私の夫のように、改心?して「世のため人のために尽くそうと思う人もいる」と言う人もいます。さて、この方はどっちでしょうか? 端折りながら記事を引用してみますと:

「福島の声」胸に改革主導
原子力規制委員会の初代委員長―――田中俊一さん


<前略>


 福島県出身で、高校まで過ごした。山登りや魚釣りに明け暮れた故郷の景色は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で一変した。事故直後には原子力の研究者と連名で『国民に深く陳謝する』といち早く謝罪。以来、率先して福島県に入り、自らの手で除染活動を手掛けてきた。
 「今のような状態のままでは、原子力の再生は絶望的だ」。フクシマで被災した住民とともに除染に取り組む中で、そんな思いを強くした。『避難住民が返って来られる状況を作り出さない限り、同編視力政策を進めていいかわからない』と自問自答する日々が続いた。


 元々原子力を専攻したのは、エネルギーの平和利用が確立できれば、エネルギー資源を求めて太平洋戦争に突入した苦しくつらい歴史をくりかえさずにすむのではないか」と考え、東北大学原子核工学科に進んだ。
 大学卒業後は日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)に入所。1999年に研究所のある茨城県東海村でJCO臨界事故が発生した際には、緊急対応に当った経験もある。そして今回の福島原発事故が勃発した。
 <中略>


 ・・・「必ずしも十分な形での発足ではないが、国民の期待は多岐多様にわたる。虚心坦懐に耳を傾け、原子力規制行政を進めていきたい」という。
 まず「急務は地に落ちた規制への信頼を回復すること」と位置付け、委員会の運営は出来るだけ透明性を確保するように事務局に指示したばかりだ。
 「政治からの独立」も持論だ。原発再稼働の責任を規制委に押し付けようとする動きが政府から出ても、敢然とはねのけた。「科学的立場からリスクが十分に低いか判断するのが我々の仕事」と、政治判断は避け客観性を保つ姿勢を貫く。
  「いまこのときも放射線への不安に向き合って毎日過ごしている人がいる」。そんな福島の人々への思いを常に念頭に置きつつ、原子力規制行政の改革という大きな課題に挑む。「世界で最も厳しい規制にする」のが目標だ。

◎出自(原子力ムラ出身という)からくる「差別」?や「偏見」?があってはならないと思いますが、「虚心坦懐」に安全性を確保するための規制をしていただく中で、「原子力政策を進めること」が安全性とは一致しないときには勇気をもって「原子力の再生」を捨てて、脱原発に向かって下さることを願いたいものです。

←ここは、昨日の「そもそも総研」玉川キャスターのシメの言葉を贈っておきます。
◎早速こんな記事を見つけました。
「透明性」が聞いてあきれるというお話です。引用先はコチラ:http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6672339.html

先日は、「原子力寄生委員会が取材から赤旗を締め出す」というエントリーで、原子力規制委員会が毎週一回開かれる委員会終了後の記者会見の取材から『赤旗』の記者を締め出すことを決定したことを書いたが、今度は、原子力規制委員会が、委員会の傍聴者やメディアを監視するために、警察を要請していたことが判明した