◎先日の鳥取の地震では気象庁のお馴染みの担当の方がテレビで気になる発言をしていました。今回は活断層のないところでの地震だったと。
山崎 雅弘 @mas__yamazaki 10月22日
これは重要な話。気象庁「活断層なくても大地震は起きる」(朝日)
◎今朝のテレ朝羽鳥さんのモーニングショーでは、4月の熊本地震の際、番組で、これから危ないところと指摘していた3か所に鳥取が入っていた、ということを。写真に撮ったので並べてみます。
1)鳥取、2)四国北部、3)琵琶湖の西側
四国北部というのは中央構造線が走っていて、あの伊方原発がすっぽり含まれています。
指摘した4月から、5カ月経って、(1)の鳥取が震度6弱の地震でした。
下の地図の赤い線は、GPSがとらえた2013年から3年間のデータが示す地面の動きです。動いていない白い部分がひずみが溜って危ない部分。
最後に示された地図が怖かったです。
南海トラフがいつか動くと言われていますが、
フィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかることで、境界線上よりも、ユーラシアプレートの上に乗っかっている近畿地方の小さいプレートがバラバラと崩れるような動きをする、という。それに糸魚川の中央構造線は割れています。
線をたどると、西から春に動いた熊本・大分から、伊方原発を通って、淡路島から神戸。
20年前、阪神大震災で動いたところです。その先はわが箕面を貫いて琵琶湖西に至ります。
その先は福井の原発群のある日本海へ出て能登沖へ。脱原発を急がないと!
◎その脱原発、また先を越されました。台湾が決めました。
内田樹さんがリツイート
金子勝 @masaru_kaneko
【台湾の選択】鳥取の地震で避難生活の方が、1500人を超えるという。余震が収まることを祈る。日本と同じく地震の多い台湾が2025年までに原発をゼロを決めて、3基の稼働をやめ、再エネのイノベーションを進める。また取り残される日本。
台湾が原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止
台北=鵜飼啓
2016年10月22日21時03分
台湾の蔡英文(ツァイインウェン)政権が2025年に「原発ゼロ」にすることを決め、行政院(内閣)は、再生エネルギー事業への民間参画を促す電気事業法の改正案を閣議決定した。太陽光と風力発電を中心に再生エネの割合を20%まで高めることを目指す。東日本大震災後の反原発の民意を受けたもので、改正案は近く立法院(国会)で審議に入り、年内の可決を目指す。
世界的にはドイツが2022年までの原発全廃を決めるなど、欧州を中心に脱原発の動きがある。一方、増える電力需要に応えるため中国やインドが原発を増設させており、アジアでは台湾の取り組みは珍しい。
(全文はコチラ:http://www.asahi.com/articles/ASJBQ5Q7SJBQUHBI014.html)
◎もんじゅであきらめたのかと思えば・・・
内田樹さんがリツイート
想田和弘 @KazuhiroSoda 10月22日
本当に無駄な計画でため息が出る。世界の最先端は完全に再生可能エネルギーへシフトしてるのに、いまだに原発にこだわる時代錯誤な政治家や官僚。これじゃ取り残される。→仏高速炉:日本負担の「天井」見えず 技術空洞化、懸念も ー 毎日新聞仏高速炉 日本負担の「天井」見えず 技術空洞化、懸念も
毎日新聞2016年10月22日 07時00分(最終更新 10月22日 08時32分)
「ポストもんじゅ」をにらむ日本政府の高速炉開発計画で、フランス側が次世代実証炉「ASTRID(アストリッド)」の共同開発費として、約50億ユーロ(約5700億円)の折半負担を日本側に求める意向であることが明らかになった。日本は共同開発をテコに国内の高速炉導入を目指しているが、費用負担の「天井」は見えないままだ。【岡田英、宮川裕章】
高速炉の日仏共同研究は、2013年の日仏首脳会談で決まり、14年にASTRID研究への日本の参加が…(http://mainichi.jp/articles/20161022/k00/00m/030/160000c)内田樹さんがリツイート
金子勝 @masaru_kaneko 10月21日
小泉純一郎元首相が、新潟、鹿児島の県知事選に触れ「目に見えない、うねりが出てきた」と言い、次期衆院選で野党が統一候補を立て「原発ゼロ」を争点化すれば、自民敗北と表明。憲法9条改正は民意不在でできないとも。蓮舫さん、世論を味方にです。
小泉元首相
「原発ゼロを争点化なら自民敗北」
毎日新聞2016年10月21日
次期衆院選で野党が統一候補を擁立の上
小泉純一郎元首相は共同通信社の単独インタビューに退任後初めて応じた。次期衆院選で野党が統一候補を擁立して「原発ゼロ」を争点化すれば、自民党が敗北するとの見通しを表明。原発再稼働に慎重な候補が当選した新潟、鹿児島の県知事選に触れ「目に見えない、うねりが出てきた。衆院選に影響がある」と述べた。安倍晋三首相が目指す憲法9条改正は、民意不在を理由に「できない」と明言した。インタビューは19日、東京都内で行った。
小泉氏は2009年の政界引退後、約3年前から原発ゼロの即時実施を講演などで訴えている。
(http://mainichi.jp/senkyo/articles/20161022/k00/00m/010/036000c)
内田樹さんがリツイート
東京新聞けいざいデスク @tokyokeizaibu 10月20日
福島第一原発の処理や核のごみ対策等で30兆円もかかることが本紙調べで判明。国民は電気代、税金で14兆円を負担しておりさらに16兆円以上の負担を迫られる可能性が。議論をウオッチしないととんでもないことになりそうです。http://ow.ly/4Tnf305lRlP
◎昨日は、東京都と福岡で選挙が。どちらも自民党が当選。新潟のようにしっかりした共闘ができないと野党は無理ですね。その野党共闘に民進党の野田幹事長が足を引っ張っています。
内田樹さんがリツイート
金子勝 @masaru_kaneko
【新潟との違い】衆院補選東京10区は、東京地検特捜部副部長・公安部長だったわかさぎ勝が当選。だが投票率は34.85%で過去最低。野党共同演説会にも候補者が現れず、連合が内部にいて足を引っ張った。連合=民進党単独では潰れるだけだろう。https://goo.gl/j09qqQ
◎「日本がアブナイ!」さんに日刊ゲンダイの記事が引用されていましたのでコピーさせていただきます。コメント(青色)はブログ主の"mew"さんです。
高野孟氏が、民進党の野党共闘に対する姿勢に関して、苦言を呈している記事を読んだのだが。9割がた、その通りだと思う。(`´)
『永田町の裏を読む ごちゃごちゃ言って民進党の足を引っ張っているのは誰か
民進党が8日の全国幹事会で、次期衆院選でも野党統一候補の擁立を目指す方針を決めた。野田佳彦幹事長は、昨年末の自分のブログでは「共産党とは思想も政策も全然違うので、共闘することはありえない」と言っていたし、今年春には生活の党を含む野党結集について「一番ごちゃごちゃ言って(自分の政権の)足を引っ張った小沢一郎さえ来なければ、生活の党を受け入れる」と言っていたのだから、これはほとんど“変節”と言えるほどの路線転換である。
しかしそれは当然で、目前の2つの衆議院補選も新潟知事選も、さらに1月と噂される総選挙も、独力で勝つ可能性が絶無なのだから、野党選挙協力をさらに深化させていくほか民進党の生き残る道はない。ところが、野田の本心である「反共産・反小沢」感情は根深いものがあり、そのためこのせっかくの路線転換もまだいくつもの問題点を残している。
第1に、自力で勝てないからこそ他党に頭を下げて協力をお願いする立場だというのに、野田は補選に関して「政策協定は結ばない」「推薦は受けない。支援は自由だ」などと偉そうな口をきいている。政治家という以前に社会人としての礼儀を欠いている。
第2に、参院選の場合には各選挙区ごとに候補者調整をしたり政策協定を結んだりしたのだが、次期衆院選についてはそのような“地方自主権”を認めず、すべて野田幹事長=馬淵澄夫選対委員長が取り仕切るという制約条件をつけた。しかし参院選の多くの1人区では、候補者は単に「野党統一候補」だったのではなく「野党プラス市民の統一候補」だった。地元で安保法制反対のデモ・集会を組織してきた市民団体などが積極的に政策協定の議論に加わり、場合によっては全国レベルの「市民連合」も出かけて行って市民と政党との調整役を果たすことで、それぞれに特徴のある政策協定と選挙体制が出来上がった。中央で仕切ったのではこういう知恵はむしろ圧殺される。
第3に、野田も蓮舫代表も「共産党とは選挙協力はしても連立政権は組まない」と繰り返し述べている。党内反共派を安心させるためだろうが、思想や基本政策が違う党とも当面の課題で一致する限り、政策協定を結んで政権交代を図るのが連立で、それが違わないのなら1つの党になればいいのである。何を言っているのか分からない。
◎写真のカップ、土曜日の同窓会でいただきました。描いたのは松戸市から日帰りで参加したMさん。本当はい組の担任だった先生へのプレゼントでしたが、今年欠席で、「もらって」と言われ「私でいいの〜」と言っていただきました。母と同い年のい組の男先生は特養に入られたとか。ろ組の担任だった女先生には猫の絵のカップでした。先生とは私の席の隣に座っておられたとき、たっぷりお話ししました。ほとんど先生から橋下批判。いかに教育現場が無茶苦茶になったかを、橋下と呼び捨てでお話しくださいました。試験用紙のざら紙までコストダウンの影響を受けているそうです。公募の校長の問題もありましたねと私も。
19人の出席でいろんな方とたくさん話ができました。病気で奥さんを早く亡くした弁護士のMくん、赤いシャツにショッキングピンクのトートバッグ、爪にネイルを施して親指の爪にはお花がついていました!?。現役で大阪と東京を往復して仕事もこなしています。お母さんが父と同い年、今年4月に100歳。足が悪くて施設で過ごしておられます。Mくんが「もうええやろ」というと、「今度は東京オリンピックが目標」と話しておられるそうです。大正生まれの生き残り組は元気です。4時過ぎ、健康を感謝して、”来年も会おうね”で山を下りました。会場は箕面山荘・風の杜でした。帰り、Iさんが母に会いたいと。一緒に帰って母とご対面。5年生の時に引っ越されるまで家が近くで松の木を譲り受けています。雨が渋ってきたので、駅まで夫の車で送ることに。