「『18歳成人』時代の高校教育はどう変わる?」(前川喜平さんロングインタビュー1)


山崎雅弘さんがリツィート
望月衣塑子
@ISOKO_MOCHIZUKI 5月26日
#前川喜平 さん「下村博文元大臣は任命権をフル活用しました『この学者はこんなこと言っているから外せ』とか『その代わりこの人入れろ』とか。『思想調査』みたいなことをずいぶんしました。2013年の中教審櫻井よしこさんが委員になられたが、まさに政治任用そのものです」https://imidas.jp/jijikaitai/f-40-167-18-05-g733

◎教育現場で道徳教育がどうなっているのか? 孫がいない私にはとても興味のある分野。前川氏のお話、長いですが、そのままコピーしてみます。以下引用: 

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imidas. 時事オピニオン
前川喜平さんロングインタビュー1
18歳成人」時代の高校教育はどう変わる? 学びの先にある民主主義の未来 新科目「公共」や地理、歴史の記述をめぐる政治的な圧力とのせめぎあい
2018/05/25
前川喜平 (前文部科学省事務次官
(構成・文/川喜田研)

今年(2018年)3月、政府は成人年齢を18歳に引き下げる民法の改正案を閣議決定した。2007年に成立した国民投票法に続いて、2016年に施行された公職選挙法の改正で既に「18歳選挙権」が実現しているが、今回の民法改正案が成立すれば、2022年以降、18歳は名実共に「大人」となり、高校教育は文字通り「大人になるための学び」の最終段階となる。 そこで気になるのが2020年から導入される予定の新しい学習指導要領だ。18歳成人時代に向けて高校の教育内容はどのように変わるのか、その背景には政府や文部科学省のどのような意図があるのか? 前文部科学省事務次官前川喜平氏に聞いた。

──2020年に文部科学省(以下、文科省)が導入するという今回の「学習指導要領」の改訂では、特に高校教育の見直しに重点が置かれていると言われていますが……。

前川 学習指導要領というのは学校教育を行う上でのカリキュラムに関する「国が定めた基準」で、およそ10年に一度見直しをすることになっています。平成20年(2008年)頃に行われた前回の学習指導要領改訂のときには、文部科学省も小中学校のほうに一生懸命で、高等学校の指導要領はほとんど見直していないんですね。
 だいたい5年スパン、つまり前回の学習指導要領が実施されて4〜5年目から見直しの議論を始めるので、今回の高校学習指導要領の見直しも2013年頃から、いろいろと議論をやっていたことになります。ただ、実はその前に「政治的な議論」や「圧力」があったのも事実です。

──「政治的な議論」や「圧力」ですか?

前川 つまり、日本の保守政党――私はもう最近は「右翼政党」と言ってもいいと思いますけれども――政権を握っている自民党から文科省に対していろいろと注文が飛んでくるわけです。
 具体的に言うと、小中学校に関しては道徳教育、道徳の教科化というのがずいぶん言われていて、これは今年の4月から始まったわけですが、高校に関しては、まず「日本史必修」という話があって、これまで世界史が必修で日本史は選択だったのを「日本人が日本の歴史を学ばないでどうするんだ!」って言う人たちが文科省に圧力をかけていた。
 もう一つは、小中と同じように「高校でも道徳教育が必要だ」という議論。中には「徴兵制を導入して高校生も鍛え直すべきだ」なんてことを真顔で言う人もいるぐらいで、高校生のための道徳教育、あるいは日本人としての自覚を持たせる教育、愛国心教育みたいな内容を高校教育に織り込ませたいという声が、常に自民党の中にあるわけです。
 新しい高校学習指導要領で導入される「公共」という教科などは、まさにそういう議論の中から出てきたものです。実は2006年に教育基本法の改正があって、その中に新たに「公共の精神」という言葉が入れられたのですが、その「公共の精神」を養うための教科が必要だ……と。小学校、中学校では「道徳」があるけれど、高校にはないから、「公共」というものを設けるべきだという、そういう政治的な思惑から始まっているんですね
 ただし、文科省はそうした「政治的な思惑」をそのまま受け止めるのではなく、それを中央教育審議会(以下、中教審)にお任せして、委員の皆さんにご議論いただく……というプロセスを通します。もちろん、中教審の委員にも、例えば右派政治家の立場を代弁する、櫻井よしこさんみたいな人がいたんだけど、彼女も30人いる委員のうちの一人ですから、決して櫻井よしこさんの言う通りになるわけではありません。
 しかも、中教審の下にはいくつかの分科会、部会、専門委員会という組織を設けてあって、そこで日本中の学者や教育関係者の知恵を集めて議論する。その過程で、「右」の人たちからの極めて単細胞的な政治の思惑というのがある程度打ち消され、まっとうな方向に議論を方向転換させていく……というのが文科省の常套手段です。
 新たな高校学習指導要領で現在の「現代社会」に代えて導入される「公共」という科目もこのプロセスを経ていますから、教科の名前という「包装紙」は変えても、実質的には「現代社会」の焼き直しに近い内容に収まっているとも言えます。
 ただ、それでもある程度は「政治」の側の人たちが望む「公共」的な味付けをしないと「政治的にもたない」ので、領土問題に関する記述や、おそらく自衛隊の扱い方などについても相当書き込むことになるでしょう。今の学習指導要領との違いという意味では、そのあたりが大きいのではないかと思います。

──中教審の委員の人選というのは誰に任命権があり、通常、どのような形で行われているのでしょうか?

前川 中教審の委員の任命権は文部科学大臣にあるので、最終的に大臣がうんと言わない人は任命されないわけですが、もともと、いろんな教育に関わる世界の人たちをバランスよく集めようという考え方があるので、小学校の関係者、中学校の関係者、高等学校の関係者、大学の関係者、社会教育の関係者というような教育関係者は一通り揃っていないと中教審にならないよね……という、一種の「相場感」は存在するわけです。 
 そういう人たちの存在がある意味、安定性の担保になっている。

 ただし、そこに、いわゆる「政治任用」みたいな人が入ってくるわけです。特に下村博文元大臣は任命権をフル活用しましたから、「この学者はこんなこと言っているから外せ」とか「その代わりこの人を入れろ」とか……。まあ、言ってみれば「思想調査」みたいなことをずいぶんしました。確か、2013年の中教審櫻井よしこさんが委員になられたのだと思うのですが、あれなんかはまさに政治任用そのものですよね。

──現行の「現代社会」と新科目の「公共」の違いは?

前川 表向きの議論としては、「現代社会」は、ただ現代社会を認識するための教科で、「公共」はより積極的に、この社会の形成者として新しい社会の形成に能動的に関わっていくという、そういう態度を養うんだ――みたいな説明になっているんじゃないかと思います。
 一方、具体的な内容の変化という意味では、先ほどもお話ししたように、ある程度「政治」の側からの声を反映せざるを得ない部分もあって、例えば、領土については政府の見解をそのまま書くべし……というのがあって、これも、本当は問題がありますよね。
竹島は日本固有の領土だ」って書くのか、「日本政府は竹島が日本固有の領土だと主張している。その理由はこうだ」と書くのでは、当然、大きな違いがあるわけですが、新しい高校の学習指導要領では、「竹島は日本固有の領土だって教科書に書け」と言っている。
 現実問題として、そういう「政治の言うことを聞きましたよ」という部分を見せて、権力を持っている人たちが「うん、わかった。それでいい」というような形に持っていかなきゃいけない部分というのは、残念ながらあるわけです
 でも、一方で、教育の現場に対して、そういう政治の「単細胞的な議論」をそのまま押し付けたらまずいという気持ちも文部官僚は持っていますし、中教審のまっとうな先生たちだって、大半はそう思っているだから、中身としては、できるだけまっとうな形に、しかも新しい時代にマッチした「新時代性」みたいなものも追求しながら、教育の現場に下ろしていこうという気持ちはあると思うんですよね。

──とはいえ、今、お話に出た領土問題などは、両者がそれぞれの言い分を持って対立している問題ですから、お互いが一方的に自分たちの立場の正当性を主張し続けている限り、絶対に解決しません。話し合いで解決しようとすれば、当然、相手の言い分も聞かなければならないはずです。
 学校教育の場において「わが国の主張はこうであるけれども、それと異なる主張をしている国もある」と言うのではなく、「わが国の主張が正しいのだ」という形に変えることは「立場の違いを話し合って議論する」という前提を教育が否定することになりませんか?

前川 まったくその通りだと思います。
これは領土問題に限らず、歴史認識だってそうですね。社会科系の教科にはそういう問題があちこちに出てくるわけですが、そこで政府見解をそのまま教えなさい……なんて、これはもう全体主義国家の始まりです
 だから「竹島は日本固有の領土だ! はい、おしまい!」っていうような、そういう教え方をしちゃいけないんです。仮に教科書にそう書いてあったとしても「教科書にはこう書いてあるけれども、韓国政府はこう言っている」というように、対立する考え方を提示して批判的に思考するっていう、そういう態度を養うというのが大事なのであって、今、政治の世界で起きている様々な問題を見てもわかる通り、権力者や権威ある人から言われたことを、そのまま鵜呑みにするような、そういう人間ばかりになったら民主主義なんて機能しません。
 そうやって「自分で考える」力を持った人を育てることが、本来のあるべき「主権者教育」なのであって、「これはこうである」っていう一方的な考え方を刷り込むような教育は、僕に言わせれば教育じゃない

 ところが、領土問題だけじゃなく、歴史認識なんかも「教科書に政府の見解だけを書け」というふうに教科書検定基準を変えてしまったんですね。ただし、文科省が作る「学習指導要領解説」という、現場の先生に向けた「学習指導要領」の解説書があって、そこにちゃんと「一方的な考え方を押し付けてはいけない」とか「考えて議論するということが必要だ」という、文科省のホンネ、あるいは中教審で議論した内容が書いてある。
 ですから、仮に教科書には「政府見解」だけが載っていたとしても、実際の授業では先生が「他の国はこのように主張しています」と紹介しながら、生徒たちが議論できる余地を残してあるんです。まあ、こんな話をして「今後は教科書だけじゃなく、学習指導要領解説もしっかりチェックしなきゃ」って考える政治家が出てくると困るんですけどね(笑)。

──政治が教育の現場に直接手を突っ込んでくる……という意味では、先日、前川さんご自身が愛知県の公立中学で講演をされた際に、自民党の国会議員が文科省に圧力をかけ、名古屋市教育委員会に講演内容などに関して質問し報告を要請したという事件がありましたよね。

前川 政治が教育に手を突っ込むというのは、大抵、こういうやり方なんですね、要するに「騒ぎ立てる」。今回のように国会議員が騒ぎ立てる場合も多いのですが、怖いのは地方議会ですよ。あと、もっと怖いのが地方自治体の首長です。教育委員会に圧力をかけて「右の教科書」を採用しようとしたりしますからね
 防府市の松浦正人市長が会長を務める「教育再生首長会議」という団体があるのですが、彼らは教育、特に教科書の採択は教育委員会でも、現場の教員でもなく、選挙で選ばれた自分たちが決めるべきだと主張しています。「新しい歴史教科書をつくる会」から分派した団体で、安倍首相直属の諮問機関「教育再生実行会議」の有識者委員でもある八木秀次麗澤大学教授が理事長を務める「日本教育再生機構」とともに、育鵬社の教科書採択を広める活動を積極的に展開しています
 また、現場の先生が領土問題や歴史認識について「いや、韓国政府はこういうことを言っているよ」みたいなことを言うと県議会議員や市議会議員などの地方議員が「これは反日教育だ」と言って騒ぎ立てるというのもよくあります。そうやって、地方政治家が騒ぎ立てたり、あるいはPTAの役員がなんか文句を言ったり……と、「偉い人」が騒ぐと、学校側としては騒がれたくないので、それなりに萎縮効果がありますからね。
 その点、今回の名古屋の中学校の件では、文科省の態度と市教委の態度との違いが際立っていましたね文科省が一部の右翼的な政治家の圧力に屈して、教育現場への不当な介入とも言える動きをしたのに対し、市教委はそれを学校現場まで及ぼさないよう対応した。名古屋市教委の振る舞いは立派だったですよ。

──ちなみに、そうした「地方自治体の首長」や「地方議会」、あるいは「市民運動」の形で騒ぎ立てて、国政に影響を与えてゆこう……という手法は、保守系政治団体日本会議」が改憲運動などで行っている戦略とよく似ている気がします。

前川 似ているというか「そのもの」ですね実際、国の形を教育から変えていきたいという勢力は、政治の世界でどんどん強まっている。おそらく日本会議に参加しているような人たちなんだけど、近年になって、こうした動きがはっきり出てきた。ただし、これって、本を正せば、これは戦後ずっとくすぶっていた問題でもあると思うんです。
 つまり、日本という国も国民もあの戦争をきちんと清算していない清算しないまま戦前的なものを残したまま戦後を始めてしまったから、きちんと害虫駆除していないんですよ。「害虫」という表現が強すぎるなら、日本を悲惨な戦火で焼き尽くした、その「火」をきちんと消し切らなかったために、その「残り火」が戦後70年を経て、今また、一気に燃え広がり始めている状態とでも言えばいいのかな。
 例えば学校で「道徳」の時間が始まったのは、「安倍首相のおじいさん」である岸信介内閣のときで、1958年から週1回の「道徳」の時間が始まっていますけれども。あれも松永東(とう)という文部大臣の鶴の一声によって、学習指導要領の後づけで作ったもので、その背景には戦前の「修身」の復活という、右派政治家の執念みたいなものがあったわけですね。それが、この4月から始まった「道徳の教科化」へとつながっている。(つづく)