「忖度されるリーダーは辞任に値する」(豊永郁子氏)


3月16日に母が救急車で入院した箕面市立病院。
二か月以上経って、5月も末、サツキの花が満開です。
大腿骨骨折でしたが、退院予定の6月4日には
立って歩いて退院できそうです。
インスリンの注射も一日一回、母が自分で打ち、
私たちは目盛りを確認するだけになりました。
昨日の日曜日は市の合唱祭。
夫は混声合唱団の一員で出演しました。
最後の全員合唱はハレルヤ。通院のBGMは、ず〜とハレルヤでした。
●<もはや腹を立てるだけ虚(むな)しい。それほどの惨状です。一国の首相の配偶者の振る舞いに振り回されている政治の現状も、取り繕うのに必死の内閣も、ひたすら追従するだけの与党や官僚も、そして次元の低さを冷笑するだけの有権者も、全てが最低・最悪。けれども、これが民主主義国家を標榜する日本の掛け値なしの実像なのです><結局、自分や婦人が関与していれば辞める、と断言した安倍晋三首相の稚拙な国会答弁に合わせるために、改ざんに追い込まれたとしか考えられない。官邸と官僚の異様な関係が浮かび上がりました高村薫さんが言葉にした国状と森友問題の本質です。もう一人、この問題は安倍首相が辞任しない限り収まらないと説く記事が・・・政治学の教授、豊永郁子氏です。今や首相の”腹心の友”までが忖度してウソの発表までする始末です。辞めない限りウソが蔓延(はびこ)る・・・

山崎 雅弘さんがリツイート

m TAKANO
@mt3678mt 5月19日
思えば、安倍晋三という政治家の「忖度を強いる手法」はNHK慰安婦番組の改編事件にまで遡る当時、官房副長官だった安倍が、NHKの放送総局長を呼び出し「勘ぐれ、おまえ」と言って、番組改編を迫ったのであるこうなると“忖度”ではない。脅されて改編したのである。


◎このツィッターを読んで思い出した記事があります。忖度を強いる安倍晋三という存在が罪という内容でした。記事を残していたので取り出して見ました。5月19日(土)の朝日新聞「耕論・『最強官庁』は幻想か」という頁の下の「政治季評」という別枠のコラム記事です。
書き出しがナチスの官僚アイヒマン「国会で首相の指示の有無を問い詰められる佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われるアイヒマンに重なった」ことから『忖度』について考えを巡らせます。



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 森友学園問題−−−国有地が森友学園に破格の安値で払い下げられた件、さらに財務省がこの払い下げに関する公文書を改ざんした件ーーーについては、官僚たちが首相の意向を忖度して行動したという見方が有力になっている。国会で最大の争点となった首相ないし首相夫人からの財務省への指示があったかどうかは不明のままだ


 アイヒマン裁判でも、アイヒマンヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンヒトラーの意思を法とみなし、これを粛々と、時に嬉々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)得ない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。


 ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意思に対する忖度が起こしたということになるのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。


 さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。


 冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄、ちょっとした意地の悪さ、復讐心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。


 つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な悪ーー小さな悪ーーがこっそり忍び込むナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意思」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の見えないシステムだったろう。


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 このように森友学園問題に関して、ナチスに言及するのは大げさに聞こえるかもしれない。しかし、証人喚問を見ていると、官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は、国家のためという建前をちらつかせながらも個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ、彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し、率先して行動するのだろうかと心配になった。また、今回の問題で、もし言われているように、一人の人間が国家に違法行為を強いられたために自殺したとすれば、そこに顔を覗(のぞ)かせているのは、犯罪国家に個人が従わされる全体主義の悪そのものではないか、この事態の禍々(まがまが)しさを官僚たちはわかっているのだろうか、と思った。


 以上からは、次の結論も導かれる。安倍首相はやめる必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。


 すなわち、あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき、彼はもはや国家と社会、個人にとって危険な存在であるそうしたリーダーは一見強力に見えるが、忖度がもたらす混乱を収拾できない。さらにリーダーの意向を忖度する行動が、忖度する個人の小さな、しかし油断のならない悪を国家と社会に蔓延(はびこ)らせる


 すでに安倍氏の意向を忖度することは、安倍政権の統治の下での基本ルールとなった観がある。従って、忖度はやまず、不祥事も続くであろう。安倍氏が辞めない限りは