大原騒動・飛騨高山の一万人が決起した百姓一揆

まず本題に入る前に、3月6日(水)には、ゴーン前会長保釈ともう一つ大きなニュースがありました。大阪地裁の籠池夫妻の初公判です。

内田樹さんがリツイート

異邦人

@Beriozka1917 3月6日

補助金詐取事件とは無関係の安倍首相に関わる資料を、検察が全て持ち出して返却してくれないというのが、事の本質を物語っていると思う。そちらが目的だったのだろう。

森友学園籠池泰典・前理事長「安倍首相はエセ保守」元NHK記者のインタビューに断言。3月6日に初公判

寄付金100万円は「内緒に」と口止めされていたことも明かした

すべてはここから、すべてはここに、という画像を張り付けておきます(キャスト・テレビ朝日から)。 

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上の2枚目は「もし関係していたら私は総理大臣をやめるということでありますから」。この後「国会議員もやめる」と続く。ここから、忖度、公文書改ざんのスタートです。そして、自殺者まで出しています。従弟一家が帰った日の午後、一緒に見ていた母が、安倍首相の「関係ない」発言に続いて、「関係してたんじゃないの」と言い、私が、「こんな写真があること自体が親しくしていた証拠。篭池夫妻と意気投合して学校設立に一生懸命協力、名誉校長まで引き受けて、関係、大有り」。

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さて、本題です。もう一週間も経ってしまいました。早く片付けてしまいたいと思っていましたが、なかなか進みません。

先週の木曜のBSプレミアム夜8時、「英雄たちの選択」は大原騒動という江戸時代の百姓一揆を取り上げていました。番組ホストの磯田道史氏が今の政治状況から是非と意気込んでおられる様子で、俄然、興味がわきました。
まず、NHKの番組ブログから:英雄たちの選択 - NHK

 

午前8時00分~ 午前9時00分
英雄たちの選択 大原騒動・1万人が決起した百姓

一揆「壮絶な戦いのすべて」

 

今からおよそ250年前、飛騨高山で異彩を放つ大規模な百姓一揆が勃発した。1万人の農民が19年にわたって代官に戦いを挑んだ未曽有の一揆「大原騒動」の真実に迫る。

金権政治田沼意次を後ろ盾として、幕府の直轄地(天領)に着任した代官・大原彦四郎は、農民たちに次々に、無理難題を押し付ける。農民たちは、駕籠訴(かごそ)、強訴など、あらゆる戦術を繰り出して、自分たちの要求を訴え続けた。ところが、代官は隣の藩の鉄砲隊を引き入れ農民たちに発砲する。完全に敗北した農民たちが訴えた最後の手段とは?これまでの百姓一揆のイメージを大きく変えた「大原騒動」の真実をたどる。

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】若尾政希,中野信子,宮崎哲弥,【語り】松重豊

 

飛騨高山の代官屋敷を訪れたことがありますが、こんな悪代官がいたことは知らないままでした。親子2代の悪代官の悪行や悪政に百姓たちが命がけの抵抗を繰り広げます。
当時、百姓には「強訴・徒党・逃散」が禁じられていました。請願権、集会の自由、移動の自由がなかったということです。

中央政府はあの悪名高い老中田沼意次。その意を汲んで年貢の取り立てを厳しくして成績を上げようとする大原代官(親)。そのためには民百姓の生活なんて知ったこっちゃない。一方、百姓たちは禁じられている徒党を組み(集会)、代表を選んで江戸まで出かけて嘆願したり、直訴して不正を訴え、叶えられなければ直接行動に訴えたりして抵抗します。首謀者が分からないように血判を楕円形に並べて押したりの工夫も。しかし、結果は報復、見せしめの死罪、獄門、磔(はりつけ)、さらし首の極刑でした。

江戸時代の飛騨国は幕府の直轄地として高山陣屋が置かれていましたが、大原彦四郎紹正(つぐまさ)、子の正純が飛騨代官となった時代には、「大原騒動」として有名な百姓一揆が勃発します。

これらは元号をとって明和騒動、安永騒動、天明騒動の3つにわかれており、特に安永騒動では1万人ともいわれる百姓が蜂起し、代官の要請で郡上藩など周辺諸藩の藩兵が鎮圧に当たり、百姓らに多大な犠牲が生じたほか、事件後には飛騨一宮水無神社の神官らが磔、18歳の若き指導者だった本郷村善九郎らが獄門などの極刑に処せられました

安永騒動の発端は検地と増税でしたが、代官の大原彦四郎は逆に検地を成し遂げた功労で布衣(ほい)郡代に昇進しています。

引用先:「本郷村善九郎  義民のあしあと」welfare.so-good.jp/gimin/026.php

なお、本郷村善九郎が処刑前に16歳の妻のかよに残した書状には、「拙者義もかくご致し申候、其の方にもあきらめ成さる可、此の世にてはあひ申さず候」と暇乞いの文言がみえ、現在は岐阜県重要文化財として指定され、国史高山陣屋に写しが展示されています。

 

  安永騒動では、幕府は「島原の乱」以降鉄砲の使用を禁じていたのに、この時鉄砲の使用を認めて、水無神社の神域に逃げ込んだ百姓たちを撃ち殺したとか。

昇進までした大原彦四郎のその後ですが、天罰がくだったのか、多くの百姓の恨みを買い、妻は夫の苛政を戒めるために自害、自身も眼病により失明するなどして熱病で死去。神仏にすがって安永8年(1779)に水無神社に寄進した灯籠一対が残ります。

天明騒動」を引き起こした大原紹正の子である大原亀五郎正純は不正により八丈島流罪、駕籠訴をした農民も死罪となっています。

 〇騒動の全容を書き留めた「夢物語」という書物について:

 著者は大沼村忠次郎。安永騒動最初の犠牲者大沼村久左衛門(江戸で牢死・獄門)の養子。自らも騒動の渦中にあったが、明和・安永・天明と続く騒動の全容を全10巻107項目にまとめてある。当然農民側に立つ著作と評価されるが、安永騒動の部分第1~第6巻は「夏虫記」を参考に書かれており、農民側一辺倒ではない。高山図書館には原文のコピー本がある。古くから写本・異本が流布していたが、昭和48年に大野正雄の校訂で「続飛騨○書」として刊行され、大原騒動研究に大きく寄与した。

 〇ここからは、出席者による話から印象に残ったものを:

天明の騒動で、駕籠訴が成功したのは、8人一組で次々と制止されるのをかいくぐって最後の一人がやっと松平定信の駕籠にたどり着いています。まるでラグビーの連係プレーみたいだ。

・それと、田沼意次が失脚して老中が松平定信に代わっていたのがよかった。田沼の政治を否定する良い材料として取り上げたのでは。

・幕府は各藩に巡見使を派遣して訴えが出ないよう徹底的に監視。しかし、隣藩の巡見使に訴えが出されたとき、藩を越えて訴えると幕府から処罰されるので帰るよう助言している。こういう役人こそ能吏という。

増税は、民を豊かにしてこそ。搾り取っては民が困る。納税は、税を取る側も取られる側も信頼関係があって初めて成立する。政治不信=税の使い道に不信感があっては、納める側も納得がいかない。

・抵抗しつづけたからこそ生き延びたのですね。いつか立ち上がるんだと・・・

◎最後は脳科学者の中野信子さん、ウルウルしながらの感想でした。私は、すさまじい抵抗の歴史であっけにとられました。それにしても農民側の犠牲の多いこと。最後の天明騒動ですら、非は為政者にありと判断されていながら、駕籠訴を行なった者が死罪となっています。命と引き換えの訴えを起こさないと事態は変わらなかったのです。

◎司会の磯田氏はじめ皆さんが今の政治状況を踏まえて話しておられるのが良くわかりました。沖縄のことを思うと、今も同じ。抵抗する側に犠牲者を出さないで民主的な解決を迫るには・・・相手は稀代の『悪代官』ですが。

一揆の指導者善九郎、NHKでは18歳と紹介されていました。達筆な書状です。

高山陣屋」記事より

 1774年、大原騒動にて獄門に処せられた本郷村の農民善九郎(19歳)が妻のかよ(17歳)に書いた遺書。
要約するとこんな意味になる。

「聞くところによる、一揆の刑罰は厳しいものになるというので私も極刑に処せられるだろう。私は覚悟ができているので、あなたも私のことは諦めてください。この世ではもうお会いできませんが、死ぬ前に一度お会いできたので、心残りもなく死んでいけます。私が死んだ後は、ご両親を大切にしてください。おふり殿とも仲よく暮らしてください。そして、私たちの愛する息子松之亟を大切にしてください。又、私が獄につながれている間に随分とお見舞いの品をいただきましたので、お礼をよく言っておいてください。この間も鉈見村の与十郎殿や石神長十郎殿より柿を一ついただいたので、お礼をいっておいてください。
もし、お裁きが軽くすんで遠投や追放にでもなるのであればあなた様とお会いできる日が来るでしょうが、それは無理でしょう。なので此れにてお別れです。さようなら」

 涙を誘う遺書ですね。善九郎さんの時世の句

 寒紅は無常の風に誘われて 莟みし花の今ぞ散り行く
    常盤木と思うに居たに  落葉かな