◎昨日のブログのコメント欄でも触れておられた「安倍晋三氏の水俣『克服』発言」というのは前年に被害の申請を打ち切った翌年(2013年)の国際会議でのことでした。この時の外務大臣が今首相の岸田氏でした。
「水銀に関する水俣条約外交会議」が熊本市で10月9~11日まで開催され、「水俣条約」が採択された。会議には約140カ国・地域から1000人以上が参加。問題になっている安倍晋三首相の「水銀による被害と、その克服を経た我々」発言は、その開会式で飛び出した。(オルタナ編集委員=奥田みのり)
◎「克服発言」に、なんだか既視感があると思ったら、五輪招致の時の同じ安倍晋三氏の「アンダーコントロール」発言です。政府は水俣では加害者側に立っていましたので、加害者側が一方的に「克服」宣言した結果は、残る被害者を切り捨てるということです。今日これから取り上げる朝日の特集記事に出ている数字をコピーです:
水俣病認定申請状況
認定 2283人
棄却 1万7442人
結果待ち 1414人
申請延べ 2万8114人 (熊本県と鹿児島県による。2021年8月末現在)
◎ジョニーデップ主演の映画「MINAMATA-ミナマタ-」の全国公開が9月23日でした。これに合わせて朝日新聞は10月3日の朝刊一面トップと2面に「プレミアムA MINAMATA ユージン・スミスの伝言」と題する特集を組みました。水俣は過去ではない、今も終わっていないという事を訴える記事です。映画を見てから取り上げたいと思っていましたので、遅れてしまいました。
▼朝日新聞デジタルでは写真にアイリーンさんのキャプションがついています:
MINAMATA ユージン・スミスの伝言 - プレミアムA:朝日新聞デジタル (asahi.com)
◎それでは、10月3日の一面トップ記事から:
実子の瞳に 心かき乱され
水俣の声なき声 ユージンは世界に警告した
田中実子(じつこ)さんは今年、68歳になった。2歳11ヶ月で水俣病を発症し、言葉を失った。65年間、食事も排泄処理も入浴も、自分では出来ない。水俣病の原因物質メチル水銀は脳に深刻なダメージを残した。
半世紀前、カメラのファインダー越しに、その瞳を見つめた米国人がいた。写真家ユージン・スミス(1918~78)。70年、ニューヨークの仕事場を訪ねてきた日本人男性から工場排水によって水俣で多くの被害者が出ていると聞き、翌71年から水俣に移り住んだ。
患者家族が原因企業チッソ(東京)の責任を問い、初めて起こした水俣病第1次訴訟(69~73年)の只中。ユージンは結婚したばかりのアイリーン・美緒子・スミス(71)と共に原告家族を訪ね歩いた。その一人が田中さんだった。
水俣でユージンの助手をした写真家の石川武志さん(71)は「ユージンは実子さんの声なき声を代弁することで、人間の尊厳が傷つけられた様を表現しようとしていた」。だが、納得のいく田中さんの写真は最後まで撮れなかったという。
当初数か月の予定だった水俣滞在は74年まで3年に及んだ。75年にアイリーンさんと2人で出した写真集「MINAMATA」の序文に記した。
私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった・・・この本を通じて言葉と写真の小さな声をあげ、世界に警告できればと思う。
45年後の2020年。映画「MINAMATA-ミナマタ―」がベルリン国際映画祭で初公開された。写真で水俣病を伝えたユージンを描く。
作品に深く関わったアイリーンさんは撮影に入る前、監督らを患者と合わせた。「世界が、多くの人が、色んな世代が、被害の実態を知り、大きなうねりが生まれれば」
製作者でユージンを演じたジョニー・デップ(58)は脚本を読んだ時、作品への参加を迷わなかった。ベルリンの記者会見で語った。「最初に水俣で起きたことを読んだ時は『悪夢』と思った。事実を知って衝撃を受け、それが今も続いていることは、より衝撃だった」
今も続いている事実とは何か。「MINAMATA」の今をめぐった。
(奥正光、奥村智司)
◎2面は「水俣病は、過去ではない」と題して力のこもった記事になっています。
確認から65年 全容不明 続く訴訟
弱い国 弱い立場 成長の犠牲に
水俣病をめぐる歴史
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