司馬遼太郎の「日本人の二十世紀」

   冬薔薇③ この寒さで開ききれるでしょうか? 

文藝春秋 十二月号」より  <特別企画「坂の上の雲」のあとさき
                           日本人の二十世紀(再録)  司馬遼太郎>  

15日と16日のブログで少し触れたこの司馬さんの論文、読み応えがありました。
今なぜ「坂の上の雲」なのか、ということが読んでいるとわかってきます。

日露戦争が明治のリアリズムの頂点であり、かつ、それ以後雪崩を打ったように日本人が丸ごと現実離れしてファナティックになり精神論がはびこっていく分水嶺の戦争であったこと。その司馬さんの言う「明治のリアリズム」がどのようなものであったか、ドラマ「坂の上の雲」をこれからも楽しみに見ていきたいと思っています。

ところで、小見出しに「軍事的教養のない日本の知識人」というのがあり、そこから太平洋戦争に至る経過が説かれるところが抜群に面白いところでした。「面白い」というより「納得がいく」と言うべきか。司馬さんに21世紀まで生きて、今も発言し続けていてほしかったと残念です。

「日本は戦争構想を樹てる。何よりも石油です。勝つための作戦よりも、まず一路走って石油の産地をおさえる。古今、こういう戦争があったでしょうか」
「南方進出作戦ー大東亜戦争の作戦構想ーの真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。」
大東亜共栄圏・・・日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。多分に幻想であるだけにーリアリズムが希薄なだけにー華麗でもあり、人を酔わせるものがありました。」
「石油戦略という核心の部分は、むろん隠され、多くの別の言葉につつまれて窺うことができません。この構造を裏づけるに十分な経済力も戦力も日本にないということまで、さまざまなことばによっておおいかくされ、人々に輝かしい気分をもたせたのです。・・・・
「自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気が要ります。この勇気こそ死者たちへの魂鎮めへの道だと思うしかありません。」
 (ここのところの覚悟が私たちに必要だと私は思います。日本人としてここが共有できなければいつまでたってもバラバラ!)

「左翼歴史観に日本史はなかった」という小見出しのところでは:

日本史については、昭和初年の左翼は、わざとなのかどうか、あいまいに、強いてまちがってとらえていました。
たとえば、・・・・江戸時代の百姓は帝政ロシア農奴、大名は帝政ロシアの地主(貴族)だというふうに勝手に当てはめて理解していました。
・・・東京の都市労働者も、イギリスの産業革命以後のプロレタリアートとして見る。こうしたフィルターでしか日本史を見ないがために、ありのままの日本史は存在し得なかったのです。そうした歴史観に、右翼は、やはり朱子学的基盤の上に立って強烈に反発する。昭和はこの双方幻覚のような二つのイデオロギー抗争で開幕しました。
二十世紀が開幕したときに、日本は現実感覚に富んだやり方でもって日露戦争に勝った。結果としてロシアはソ連になり、イデオロギーの国になった。そのイデオロギーがこんどは日本に影響して左翼を生み、その左翼の反作用として右翼を生み、いよいよ現実感覚を失わせたということが言えるでしょう。


「日本の大正時代にゆきたい」(帝政ロシアの留学生の言葉)という小見出しのところでは、

「昭和の知識人たちが太平洋戦争勃発のとき、雪崩をうって戦争を賛美することになったのは、思想の転換ということではなく、教養の一科目であるはずの軍事知識に乏しかっただけのことでしょう。」
「戦後は、軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がずっとつづいています。現実をきちっと認識しない平和論は、かえっておそろしいですね。」
「・・・どこの国でもそれが知識人の常識なのに、日本だけは、戦後、軍事はいかんというような議論ばかりしてきたでしょう。どうも日本のインテリの風潮として、・・・、 軍事そのものを忌み嫌う傾向があります。」
「ともかくも、明治・大正のインテリが軍事を別世界のことだと思いこんできたのが、昭和になって軍部の独走という非リアリズムを許したのだと思います。」


このあと最後に「日本が難破しないために」という小見出しの締めくくりがあって、その中で、日本は商人国家のリアリズムに基づいて、「自らを慰め、相手に訴えるレトリックを生み出すべきです」とつづき、商人のイメージとして山片蟠桃高田屋嘉兵衛をあげ、最後に勝海舟とその弟子坂本龍馬の二人の名前を挙げて長い論文が終わります。


読み終えて司馬さんが作品で昭和を取り上げられない理由、昭和を思うと内臓をえぐられるようで書けないとどこかで仰っていたその理由がわかりました。現実を直視し、地に足の着いた思考、を明治の人間はしていたのに・・・ということですね。土地の価格が現実感のないほど高騰して売り買いされることを黙って見ていられないと発言されていたのも、同じ理由からでした。
千葉で、戦車が同国人である日本の民間人をひき殺して前進してもよいと上官が発言するのを聞いた時から、司馬さんはずう〜っと身を焦がしてこの国の行く末を案じておられたのですね。
私は司馬さんに、現実を見て早く警告を発してほしいとイラついて待っておりました。
もう少し、あと、もう少し長生きしてもらって、21世紀の今、もう一度、司馬さんの考えを聞いてみたいです。本当に残念!
司馬さんの作品から学び、新しい龍馬や海舟、秋山好古・真之兄弟の出現に期待を繋ぎたい思いです。

新政権ももうすぐ100日、我慢もここまで・・・という時期になりますので、平成のリアリズムに徹して
この国の行く末についての力強いメッセージを、レトリックを駆使して、国内外に発してほしいものです。
   
千両の上向きの赤い実、と橙色の実                万両のたわわな赤い実