「大坂図屏風」の複製・上海万博に出品

昨年の11月7日のブログ「オーストリアにあった大坂図屏風」でとりあげた大坂城と城下町を描いたあの屏風の後日談?
というか複製について讀賣新聞本日夕刊の文化欄で、<立身出世描いた?謎の「太閤屏風」>と題して取り上げられています。
 ← 写真の屏風は関西大学が作った複製の屏風。
(上海万博に出品されるのはこの1.5倍の複製)

開幕まで約3ヶ月に迫った中国・上海国際博覧会(上海万博)で、大阪館に出品される「豊臣期大坂図屏風」の複製品の製作が、
大阪府大阪市などでつくる上海万博大阪出展実行委員会の手で進められている。豊臣秀吉・秀頼時代の大坂城と、
その城下町などを描いたもので、大阪の歴史をアピールするメーン展示物だが、この屏風には以外に謎が多い。

8曲1隻(縦役1.7m、横約4.7m)からなる屏風は元々、17世紀半ばに描かれたとみられるが、作者は不明。
秀吉はそれより前の慶長3年(1598年)に亡くなっており、豊臣家も滅亡した後になぜ、その繁栄ぶりを描いたのか。

大阪城天守閣跡部信・主任学芸員のお話が紹介されています:「顕彰目的で描かれた可能性が高い。
異例の立身出世をとげた秀吉が、伝説化していたからこそ、その足跡が分かる屏風が作られたのではないか」
もう一つの謎は、ブログで取り上げたあのお話:屏風の実物は、オーストリアグラーツのエッゲンベルグ城で、
2006年に発見され、現在は1枚ずつ元のように城の壁にはめられている。

上海万博では、屏風を複製した陶板画を公開している関西大学の協力で、実物の1.5倍に拡大した新たな複製品を作るという。
栄華を彩った”太閤の屏風”が再び、海を渡る。(早川保夫)