妻の居ぬ間(井上ひさし作品と戦争責任)

今朝のコーヒータイム、コーヒーの友は昨日の宝塚みやげでした。母は炭酸せんべい、私はモロゾフのクッキーをだしました。
クッキー缶側面イラスト→

父は母の留守に服部緑地へ出かけ、ハスの花を撮ってきました。まるで落雁のお菓子みたいなハスの花の写真をプリントアウトしたのを見せてもらって、夫は「神々しいな〜」でしたが、母と私は「落雁みたい」でした。わが夫は私の留守中は来週白山登山をする仲間を呼んで計画を練っていたようです。細々とした持ち物のリストを作成したり、山で調理するメニューを決めたり半日がかりだったようです。

さて、今朝のテレビの芸能ニュースで、蜷川さん演出、井上ひさし追悼の「ムサシ」ニューヨーク公演大成功!を伝えています。
あの腰を下ろした侍ダンス?のシーンを映していました。客席からは笑いが出て、スタンディングオーヴェイション!!
良かったですね〜 そういえば先日のクローズアップ現代井上ひさしさんを取り上げていました。その中で新国立芸術劇場の芸術監督の鵜山仁氏だったと思いますが、井上氏について語っておられました。お芝居のセリフで言わせている言葉に、「人間がいま、ここにこうしてあるのは奇蹟である。人間の一挙手一投足も奇蹟。だから人間は生きなければなりません。」「普通に一生懸命生きることは苦しい。だからこそ生きるんだ。生きなきゃいけない。」

もうお一人、演出家の栗山民也氏、30年来の付き合いを通しての井上氏の戦争責任についてのお話が心に残っています。
東京裁判を取り上げた夢三部作のうち「夢の痂(かさぶた)」では、人間宣言をした天皇陛下が全国を巡幸されます(私が蛍池の飛行場で旗振りをしたのはこの巡幸の時?)。その天皇陛下へ、登場人物に言わせているのが戦争責任の問題です。
「天子さまがご責任をお取りあそばされたら、下の者もそれぞれの立場でそれぞれの責任について考えるようになります。」
「すまぬと仰せられましたひと言が国民のこれからの芯棒となります。」
井上ひさしさんは戦争責任について「とらないで済まそうとする」と「とらなきゃいけない」の2つとも自分の問題、一人ひとりの問題として考えてきた人だったと。また「戦争は人間の作り出した一番の災いである」とも仰って、書かなくては書かなくてはという使命感を持っておられたようです。

私自身は終戦一年前の戦中生まれの戦後世代です。戦争中の記憶、戦前の記憶を持っておられる先輩世代の方たちのなかで、こうやって戦争について語ってこられた方たちが又一人亡くなられた事がとっても残念です。もう一つ上の世代で、3日には「文明の生態史観」で有名な民俗学博物館初代館長だった梅棹忠夫さんも亡くなられました。
昭和はますます遠くなってしまいます。 精神の継承ということも私たちの課題かも・・・
                       クロコスミア(ハワイ島の火口山頂のホテルや火山跡に咲いていて驚きました!)