「安保50年」第二回を見て

 洩れたり雑ですがメモからまとめて以下に。

日本にある米軍基地の74%が沖縄にあるという沖縄への基地集中は何故? 極東の中心という地理的な位置だけではない理由があった。それは1950年〜60年にかけて本土の基地で激しい基地反対闘争が起きた。そこでアメリカの施政権下にあった沖縄へ本土の基地が次々と。米軍基地の存在は反戦意識の強い本土住民に反米感情を強くするとして沖縄は住民との摩擦の軽減に、叉、借地料も安いというメリットが。そこで海兵隊基地候補として目を付けられたのが沖縄本島北部の名護市辺野古。55年前人口500。


86歳が語る。米軍に対する恐怖心があった。婦女暴行や自分たちの生活がどうなるのかという恐れがあった。
1955年6歳の女の子由美子ちゃんが暴行殺害される事件が。1956年基地反対闘争が激しくなる。
沖縄代表団は上京して日本政府を頼った。しかし、海兵隊基地問題は沖縄の内政問題で新規接収反対を正面に出せず黙認。
沖縄住民の基地反対闘争にもかかわらず強制収用される。「米軍はかつて日本が沖縄にしたことと同じ事をした」
「島ぐるみ闘争」はこれを機に内部分裂していく。島内ラジオ放送原稿「私たちを売国奴などと脅してはいけません」
本土の基地が減る一方、沖縄の基地は1.8倍に。1957年10月、本土の海兵隊が上陸訓練を行いながら沖縄上陸・移転。
あれから50年、米軍基地キャンプシュワブと住民は隣り合わせの生活。多い時は住民の倍の4000人という時も。


1972年の沖縄の本土復帰。日本政府は基地集中の固定化に関与したことに。
1960〜70年代に首都圏の基地71箇所が返還された。当時の佐藤総理が「首府に米軍の基地が多くあるのは良くない」、「沖縄が本土復帰しない限り戦後は終わらない」と主張。沖縄が本土並みに返還されると期待されたが、今年明らかになった「ポジションペーパー」には「基地の存続を復帰の前提」とする密約が。
軍用地交渉を日本政府がやることに。地主38000人と契約を取り付けるため一軒一軒周って説得。その説得手段は?
宜野湾市の花城氏が語る。自民党の取った手段は軍用地代を6.5倍に引き上げる事。事前に質すと9割が応じると聞いて決めた。花城氏自身それで借金返済した。「飼い慣らされた」と。9割以上の地主が加盟する「土地連」の代表として日本政府から11年前「感謝状」も。しかし、その軍用地の権利が高値で売買されたり、軍用地代を巡って家族同士が争ったり、相続問題も起きる昨今、花城氏は「なぜ基地を提供しなければならないのか? なぜ自分たちだけが苦労しないといけないのか?と自然に考えるようになる」。
 

今年4月の基地集中に反対する県民大会に、花城氏も参加。土地連のトップの参加は今までにないこと。
昨年政権交代で誕生した鳩山首相の「最低でも県外」に期待したが、政府は迷走、撤回。沖縄は再び裏切られた。
「こういうこと、軍用地がで〜〜んと居座って、こういう苦労は僕たちの時代で終わらせて子や孫にはさせたくない」
国務総省のアメリカ人は「県内、見直す気はない。政府が出て行けといえば出て行く」。日本政府は「抑止力を考えると安全保障上極めて重要」と見直す気はない。
普天間移設が決定されて15年、460億円の振興策でビルが建設された、しかし移設の受け入れは地域の活性につながらない、「基地を受け入れなければ振興策はないという差別だ」と名護市は受け入れから一転、撤回の決議。生まれた時から基地があった世代も、容認してきた人たちも揺れ動いている。
日米安保」が日本にとってそんなに重要なら、全国で応分の負担を」と。

沖縄の負担軽減の為に米軍基地を叉以前のように日本本土の各地で引き受けるとして、結局、「花城さん」が全国にばら撒かれて、そして、なぜ基地が必要なのか、何のための苦労なのか、米軍の存在は日本に不可欠なものなのか、を考えるようになります。5,60年前に本土の基地反対闘争で体験された事を繰り返す事になるのでは。その前に、本当に日本の安全保障にとって50年前の安保条約は必要なのかを考えなければ・・・。1972年、沖縄本土復帰の為、佐藤総理の密使として奔走した若泉敬の遺言のような言葉も気になります。「アメリカに守ってもらっている」というのは本当? 本当はアメリカの戦略にとって不可欠な基地を「守ってやっている」とマインドコントロールされているのでは? もっと日本は日本の国益に正直であってよいと思います。もっと強かであってよいと思います。沖縄住民が悩んでいるのは本土の身代わりです。同じ悩みを日本人として悩む必要があると思います。