「言葉の精度」と垂れ流し

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去年話題になった孤児(みなしご)同士のサルのみわちゃんとイノシシのウリ坊のコンビ。昨日、ラストランでした。
京都府福知山市の市動物園で、15日、”ロデオ姿”で最後のお散歩。ウリ坊の体重が40kgを超え、園内を歩き回るのが危険になったためとか。「瓜(うり)」のような縞模様は勿論消えて巨体のイノシシになりました。最近は、みわはシロテテナガザルと、ウリ坊はシバヤギと遊ぶことが多くなったが、夜は今も一緒に眠っているようです。ぬいぐるみやキーホルダーなどの販売で得た一部は義援金に充て、園内には募金箱を置いているそうです。

先日のニュースステーション津波でさらわれた我が家の周りを行方不明の妻を捜して歩く60半ばの男性を取り上げていました。
「かけがえのない人だった」と妻の写真を手に、基礎だけ残った我が家の居間あたりを指して「ここに居たはず」。この男性は、あの日から、妻の亡骸(なきがら)を訪ね歩き、夕方遺体安置所を訪ねて一日を終えるのが日課。「無縁仏にはしたくない」と。まだ、こういう人が何人もいます。
昨日の新聞一面の被害状況では、死者:13,538人、行方不明者:14,589人。なんという災害でしょう・・・
夕刊によりますと、「津波の到達が、岩手県宮古市の重成(おもえ)半島で38.9mの高さまで達していた事が、調査で判った。斜面を駆け上がった津波の遡上高として、明治三陸地震(1896年)の記録を初めて抜いた」そうです。

14日の新聞(日経)2面、小さな記事ですが、無視できない内容です。

レベル7の可能性 3月下旬に認識 官房長官


枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、東京電力福島第1原子力発電所の事故の評価が最悪の「レベル7」に相当する可能性があると、3月下旬に認識していたことを明らかにした。最終結果は発表前日の4月11日夕に、保安院原子力安全委員会から報告をうけたという。同日中に発表しなかった理由は「菅直人首相に報告下上で公表することになった」と説明した。
福山哲郎官房副長官は13日のBSフジ番組で、「レベル7」への引き上げが遅かったことは反省しなければならない」と語った。

日経スポーツ欄の「アナザーヴュー」というコラムに武智幸徳という人の記事があります。
<「与える」はそぐわない>という文章の途中から、勝手に端折りながら引用してみます。

今回の大震災を通して被災者の振るまいなどから、いろいろな「気づき」や「勇気」を被災していない側はもらった。
お礼を言いたいのはむしろこちらではないか。そういう感情を共有してくれそうな選手もいる。サッカー日本代表の長谷部(ウォルフスブルク)「今度は僕たちが皆さんを応援する番」。中沢(横浜M)「全ての人たちの思いをこめて、力を一つに」。
そこには何かを渡す前に受け取ったものがあるという自覚がはっきり感じられた。
東日本大震災が起きた「3・11」以降、心ある選手は言葉の精度に敏感になったという。言葉の重さに思いを巡らすようにもなった。震災で傷ついた人々を、心ない言葉でさらに痛めつけることがないように。
それは大震災の後、軽々しく「想定外」を吐いた人々とは対極の姿勢だろう。天災で片付けて責任逃れを計る勘定に比べたら、本当にすがすがしい。


「言葉の精度」という点で、枝野官房長官保安院が話した沢山の言葉は一体何のためだったのか?
被災者の皆さんが控えめで辛抱強く穏やかに示された人としての尊厳は国を越えて人々の心を動かしています。
一方で、政府や原子力安全・保安院のあの人たちは、まやかしの言葉を延々と垂れ流し続けてきました。
費やされた大量の言葉と時間と引き換えに、大事なものを失ったことにも気づかないで。
失った国の信用と国民の信頼を今の政府が回復できるとは思えません。憤りと怒りを覚えます。