「東電元幹部3人起訴へ! 人災の真実を明らかに!」(福島原発告訴団)

◎「福島原発告訴団」のサイトから(http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

2016年3月1日火曜日


東電3被告の起訴に係る「経緯・意義・展望」


福島原発告訴団の海渡雄一弁護士から、起訴に係る資料が3点届きました。
1.東京電力福島第一原子力発電所における事故に係る起訴議決事件の処理について
2.福島原発事故にかかる強制起訴議決にもとずく公訴提起の意義と今後の展望
3.強制起訴議決のポイントと起訴後の裁判展開

(コチラで:http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html#more



東電元幹部3人起訴へ! 人災の真実を明らかに!



2016年2月29日、検察官役の指定弁護士は東京第5検察審査会の起訴議決に基づいて、東電の勝俣恒久・元会長(75)ら当時の役員3人を「業務上過失致死傷罪」で東京地裁に強制起訴しました。


3被告は、東日本大震災の3年前の2008年3月、福島第一原発に高さ15.7メートルの津波が押し寄せるとの試算評価を受けて、津波対策に一時は着手しておきながら途中で方針を転換。防潮堤の建設や小型発電機の高台設置など取るべき必要な対策を怠り、2011年3月11日の東日本大震災に伴う津波による全電源喪失原発の炉心損傷を発生させましたその結果、原発近くの病院から避難を余儀なくされ、症状が悪化した入院患者ら44人を死亡させ、爆発した原発のがれき片などで自衛官ら13人に傷害を負わせました


3被告は無罪を主張するものと思われますが、「明らかな人災」と言われた原発事故の真実が、司法の場で明らかになるための大きな一歩を踏み出すことができましたこの裁判は、誰も責任を取らないで済む仕組みを改め、原子力政策の転換を求める闘いでもあります。おそらく長い裁判になりますが、なにとぞご支援ください。

◎今朝の日経新聞二面と、社会面。

日経新聞の文化欄で、月曜から、
東日本大震災5年/問いかける言葉
というシリーズが始まりました。
昨日の第1回は、哲学者の鷲田清一氏。
「答えを出せない時間に佇む」でした。
2回目の今朝は、作家の池澤夏樹氏。
「利他に向かう社会 幻想か」というタイトルです。
後半を書き出してみます:

利他に向かう社会 幻想か  池澤 夏樹


(前略)
震災直後はボランティアなどの利他的な動きが社会に広がり、店舗や地下鉄の駅が多少暗くてもいいと多くの人が思っていた。原発に依存するのはもうやめようという声も強かった。これを機に世の中が変わるのではないかという思いがあったが、結局、全ては元に戻ってしまったように私には見える。社会をよりよくしたいというあの雰囲気は、結局、災害時だけのユートピア幻想にすぎなかったのか。


 変わっていかない社会にもどかしさを覚えている
 あれだけの犠牲を出した先の戦争の後、日本には民主主義が根づいた。震災からも禍福を入れ替える発想が出てくるかと思ったが、残念ながら今までのところ、そうはなっていない。お金や経済以外の原理も少しは力を持つかと期待したが、何かが変わったという感じはしない。何といっても原発が再稼働している。今の状況のまま5年のラインを越えてしまっていいのかと思う。


 ポルトガルの首都を襲い、おびただしい犠牲者を出した1755年のリスボン自身は、欧州の人々の考え方に大きな影響を与えた。フランスの思想家ヴォルテールは「この世のすべては善である」とする(当時のキリスト教社会の)世界観に疑念を示した。同様に、私たちが生きている震災後の社会から生まれるものは、いくつかの選択肢があるときに人間は必ず最悪の道を選ぶ、という悲観論なのだろうか。


 震災は人間の良き面と悪しき面をともにあらわにする経験だった。毎年3月11日だけでは足りない。私たちは折々にあの日に立ち返ってものを考えなければならないと思う。