3・12…甲状腺がん・事故調元委員長・追悼式辞と”無関心は無責任”

天災の後の人災


3・12 福島第一原発事故




◎昨日は雑誌の交換(「いきいき」と「ステーション」)を兼ねて午後からSさんとお茶にしました。二人寄ればボヤキ万歳みたいになりますが、昨日は嘘つき日本について、トップの安倍さんが世界を相手に「アンダーコントロール」、作曲家が詐病ゴーストライターで被災地や障害児まで騙す、その上、ひょっとするとSTAP細胞の論文もウソ?かも知れない…日本人てウソつきって思われて恥ずかしいね〜とこれこそ自虐ネタですね。

今日はヨーガの後、Uさんから毎日新聞の記事を切り抜きを渡されました。日本人は考えなくなった、ズルズルと平和ボケで政治に丸投げして無責任になっているという、映画「家路」の監督さんの記事でした。そして、昨日3・11のNHKのドラマ(夜10時〜)を見ていたのが3人ほど。その時間に報道ステーションでは甲状腺がんが取り上げられていたそうです。お孫さんが関東圏にいるUさんはコチラを見ていました。内容は:「今まで、若い方の甲状腺がん、子どもの甲状腺がんは、『100万人に一人か二人』と言われていた。ところが、福島では現段階で、27万人の方が検査を受けてうち33人が甲状腺がんと分かり、摘出手術を受けている」。詳しくはコチラで:「子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション」(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3607.html

●事故後3つの事故調査委員会が出来ました。その委員長を務めた3人がそろって再稼働批判です。
東京新聞3月11日朝刊から:(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014031102000134.html?ref=rank


原発ゼロ 国民の総意」 事故調トップ3人、再稼働の動き批判


 東京電力福島第一原発事故から三年を迎えるのを前に十日、事故の原因や対応を検証した政府、国会、民間の各事故調査委員会の元委員長らを集めた討論会が東京都内で開かれた。国会事故調の黒川清元委員長は「あれだけの事故が起きても日本の社会が変わる気配がない。誰も責任を取らない」と指摘した。

 民間事故調北沢宏一元委員長は稼働中の原発がゼロであることに触れ、「国民の総意としか言いようがない」と強調再稼働後に事故が起きれば「(日本は)世界の笑い者」と述べ、慎重に判断する必要があるとの考えを示した。

 政府事故調畑村洋太郎元委員長は「一番、学ばないといけないのは、どんなに考えても気が付かない領域があること」と指摘。それを踏まえた上で、国民全体で原発再稼働の是非を判断すべきだと訴えた。

 討論会には米原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコ元委員長も参加し、「原子力は100%安全はあり得ない。社会としてメリットをどう考えるか、リスクがあっても受け入れられるかがポイント」と述べた。

●昨日3月11日、『東京都千代田区国立劇場であった政府主催の追悼式には、遺族や、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長を含め約1200人が参列。首相は「復興をさらに加速し、被災者が一日も早く普通の生活に戻れるようにすることが犠牲者のみ霊に報いる道だ」と決意を語った。天皇陛下は「国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べた。』 その中で伊吹文明衆院議長の「追悼の辞」はニュースで聞いてもオヤッと思う内容でした。「日本がアブナイ!」さんが全文を掲載しておられます:(http://mewrun7.exblog.jp/21774644/

 『天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年の追悼式が行なわれるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

3年前のきょう、東日本を襲った大地震津波により、東日本の国土は破壊され、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々と、ご遺族のみなさまに改めてお悔やみを申し上げます。

 そして被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。

 多くの関係者のご努力により、復興に向けた歩みは着実に進んでいます。
震災後、被災地の惨状に心を痛めた方々が、被災地を支援するボランティア活動に参加して下さり、多くのきょうお見えの諸外国からの温かいご支援を頂いたことは、物心両面で、復興の大きな助けとなりました。ご支援いただいた皆様に対し、深く感謝申し上げたいと存じます。


一方で、震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。しかし、被災地では仮設住宅等で、ご不自由な生活を余儀なくされている方々もなお多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では住み慣れたふるさとに戻ることができず、今なお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現状を、私たちは忘れるべきではないでしょう


 そういった方々の事を思うと、電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。 思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。 それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです


 科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。
 
 
 3年目の3.11を迎えるに際し、私たち一人一人が、電力は無尽蔵に使えるものとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、日本人として言行一致の姿勢で、省エネルギーと省電力の暮らしに舵を切らねばなりません
 

 主権者たる国民より選挙を通じて主権を委ねられている我々国会議員は、被災地の復興に全力で取り組むとともに、震災で得た教訓を元にエネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます。


結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉と致します。
                 平成26年3月11日 衆議院議長 伊吹文明

●最後に、「マガジン9条」の「雨宮処凛がゆく!」から”無関心は無責任”!
「第289回 あの日から3年の日に思ったこと。の巻」(http://www.magazine9.jp/article/amamiya/11441/)の後半を:


あれから、この国の人たちは少しずつ、変わった。

 国は情報を隠すのだ。一部の人や地域を見捨てるのだ。そんなことを、多くの人が嫌というほど痛感したからだ。


 だからこそ、多くの人がデモに参加し、官邸前に集まり、脱原発の声を上げ続けている


 しかし、あの日以降、「分断」も絶え間なくしかけられ続けている。「あいつらだけ賠償金もらって」というようなやっかみなどは、その典型的なパターンだろう。

 だけど、今一度、問いたい。
賠償金が貰えるなら、自分の生まれ育った故郷が2度と戻れない汚染地帯となり、思い出のある家も仕事も奪われ、そして情報が錯綜する中、結果的に置き去りとなってしまったペットや家畜の生死に気が狂いそうなほどの夜を過ごしてもいいという人など、この世に一人でもいるのだろうか? と。 そして今、その賠償金は、避難区域の再編などでどんどん打ち切られているという現実がある。東電と国による被害者の「切り捨て」は、とっくに始まっているのだ。
 


 そんな中、安倍政権は「再稼働」に向けての準備を着々と進めている。

 3・11から約一ヶ月の「原発やめろデモ」で、非常に印象に残っている言葉がある。

 それはプラカードに書かれた、「今まで無関心でごめんなさい」というものだ。

 私たちの無関心が、ある意味で原発安全神話を補完し、そして地震大国であるこの国の原発を稼働させ続けてきた。 

 あの時まで、「無関心」なことは、「無害」なのだと思っていた。しかし、無関心も沈黙も、「有害」だし「罪」だし、何より「無責任」なのだ。 

 もう2度と、あんな後悔はしたくない。 

 無責任な大人でいたくない

 あの日から、3年。

 改めて、この国に生きる一人としての「責任」を考えている。