今年の8月6日・広島

アメリカの格付け会社スタンダード&プアーズ(S&P)が5日(現地時間)、米国債長期格付けを「トリプルA]から初めて1段階引き下げると発表。同社が米国債を格下げするのは1941年の現行制度開始以来初めてのこと。」(日経夕刊一面トップ記事)
ところで、8月1日、ロシアのプーチン首相が米債務問題を取り上げて、「米国は分不相応な生活をしており、自分たちの問題の一部を世界経済に押しつけている」とし、「世界経済に寄生して生きているようだ」と批判したそうです。(8月5日の「カリフォルニア・加州ラジオ草紙」よりhttp://d.hatena.ne.jp/Mapple/20110805/p2
日本の戦後、アメリカ的生活が本当に憧れだったのか、大量生産、大量消費、なんでもお金で買えるようになり、電気使い放題の生活が本当に目標だったのか・・・今年の広島は福島と重ねて色んなことを考えさせてくれます。

広島市長の「平和宣言」のなかで、<「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます」(讀賣夕刊「平和宣言」全文より)>という部分があります。
夕方の毎日放送報道特集ではこの「核と人類は共存できない」という言葉をとりあげていました。以前、NHKで広島・長崎の二重被爆を取り上げた番組がありましたが、広島の原爆手帳を持った方で、福島の原発事故にも遭ったという方を取材していました。1963年、「原子力の平和利用」という名目で日本でも原子力発電がアメリカの後押しで導入されるとき、この「核と人類は共存できない」というプラカードを掲げて反対していた人々がありました。しかし、「資源の無い日本では・・・」というこの頃からの官民挙げての説得=安全神話にこのプラカードの言葉はかき消されて行きました。
そして、今年、反対していた人たちが恐れていた大事故が起こりました。
広島・長崎の原爆投下、第五福竜丸のビキニの「死の灰」についで、福島の原発事故が加わりました。
核の怖さに改めて気が付き、「平和利用」がまやかしであることにやっと目覚めた私を含む大勢の人々が生まれました。
もう逆戻りさせてはならないと考える人々が日本人の大半、いえ、圧倒的多数になることを望みます。