花火と「山河破れて国あり」

昨夜、8時過ぎ、ドォ〜ンという鈍い音が連続して聞こえてきました。
ヒョットしてと思って2階のベランダへ、スダレ越しに、花火が見えます!
カメラを取りに戻ってから3,40分ばかり、花火の饗宴を屋根越しに。
川面すれすれの大掛かりな花火なんだろうな〜と思われるものは、低い音と白い煙だけ。
ド〜〜ンと打ち上げられる花火は、クッキリと。
猪名川の花火が西に見えた頃もありましたが、家が建て込んで最近は音だけ。淀川の花火はとても見えないと思い込んでいました。
久しぶりの花火を楽しみました。


昨夜の「NHKスペシャル」「原爆投下・いかされなかった極秘情報」(日本陸軍は知っていた/迫るB29・警報ならず勤労学生に悲劇が…新聞の番組欄より)
組織のトップのやることは、66年経っても同じということです。情報を伝えず、証拠隠滅、なかったことに、というのは福島原発事故で政府や東電がやったことと同じではないでしょうか。広島・長崎の市民がどうなろうと・・・と人命にたいする無責任さも共通しています。空襲警報が鳴っていれば60人の女学生の命は助かったかもしれない・・・こういうケースが沢山あっただろうと想像されます。
特殊信号をキャッチ、大本営が動かず、「処置なし、あとの祭り」という手帳の赤い文字が無念さを現しています。
原子爆弾の存在自体を認めたくないという陸軍。「ただちに健康には影響がない」という枝野発言を思い起こします。
日本はあの戦争の加害者であるとともに、こういう指導者たちの被害者でもあったという意識がやはり大きいと思いました。
そこで、思い出したのが、五木寛之氏の「山河破れて国あり」(公に不信、亀裂は深刻)という記事です。

 12歳で迎えた敗戦は大事件だった。その前と後では、ものの見方が変ってしまった。今回、津波の被害を受けた町の惨状や、福島第1原子力発電所の建屋の姿を見るにつけ、原子爆弾の被害を受けた都市や、絨毯爆弾を受けて一面瓦礫となった東京の姿がダブって見える。


 ものの考え方、感じ方も、3月11日以前と以後とでは、ガラッと変った。何をするにも必ず一つの色が入り込んできて、その色を通してしか周囲が見えない、という実感がある。だから私は、「第二の敗戦」と受け止めています。


66年前の敗戦の時は、杜甫の詩の「国破れて山河あり」という状況だった。国は敗れたが、日本の里はあった。段々畑も森もあり、川も残っていた。いま私達に突きつけられているのは、「山河破れて国あり」という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草をはんでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代はなかった。


 「山河破れて国なし」と言う人もいるかもしれない。ただ、原発の再開も、復興の予算も今も国が決定する。今も国はあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇玉音放送のように、堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び、焼け跡の中から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている。   (写真は遠くに見える六甲山)

ここで、編集委員が五木氏に「原発事故で安全を強調する政府の発表に不信を強めた人も多いのでは」と問いかけると、五木氏は「それについては驚かなかった。国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、一つの政策なんだということを、私は朝鮮半島からの引き揚げ体験の中で痛感していた」と敗戦時、国策のままに現地に留まった挙句、ソ連軍の侵攻、引き上げまでの2年間の労苦の末の教訓が、大きな後遺症となって残っていると語ります。

 私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押し付けるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能がしみた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。


 だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した「きょう一日。」(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう一日、きょう一日と生きていくしかないという実感です。第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない。(日本経済新聞 8月3日の「文化」欄)

最後は著書の紹介もかねての終わり方になっていますが、「きょう一日」を大切にというのは分ります。でも、ちょっと刹那的。 1932年生まれで、「悟り」の境地の五木寛之さんなら良いかもしれないけれど、44年生まれの私でも、今日は明日につながる一日と、まだ思っていたいと言いたくなります。それでも、「山河破れて国あり」の突き詰めた見方は覚悟しなければとも。