加佐岬のなでしこ

昨日は朝8時出発で加賀市へ向かいました。夫が剣岳へ出発するので、途中、実家のお墓参りをして一泊。ついでに、8年の川崎暮らしを退職と同時に引き上げて、加賀市大聖寺で、畑仕事に勤しむF氏ご夫妻をお訪ねする事に。来年夫婦二組の2度目の海外旅行を計画中です。父は、退院後初めて大阪天満の写真教室に出かけるとのこと。そういえば、私たちも父の退院後初めての遠出です。

良いお天気に恵まれて、米原(まいばら)で名神からから北陸自動車道に入れば渋滞もなく快調なドライブ。遅れ気味なので本当は休憩したくないのですが、杉津はパスできません。原発銀座の敦賀半島は見ておきたい。大急ぎで展望台まで行って穏やかな海のいつもの美しい景色を眺めて一路加賀インターへ向います。大阪から石川県加賀市まで、京都と滋賀と福井を走り抜けます。穀倉地帯の美味しい越前米の田圃の中が快適です。
杉津の美しい景色には思い出があります。昔、半世紀以上も前になりますが、加賀市出身の両親の里へ、私たち姉妹だけで夏休みを過ごすため汽車に乗って毎年のように帰っていたことがありました。大阪駅で、母が隣や向かいの席の方たちに、「宜しくお願いします」と頼んで、小学生と幼稚園にまだ行かないくらいの姉妹で7時間の汽車旅です。帰りは大聖寺駅から年上の従姉妹や従兄弟たちに見送られて、柿の葉寿司や大きな海苔巻きのオニギリを持ち込んで7時間の汽車旅です。日本海沿いに鉄道が走っていて、若狭湾の海岸沿いになると子供心に見とれるほどの景色が現れます。顔を外に突き出すと、先頭の機関車が雄たけびを上げて驀進していくのも見えます。
そのうち、「はよー閉めんか!」と大声が。トンネルです。窓側に座った者の役目が窓の開閉。トンネルを過ぎると素早く開けて、きれいな景色に歓声を挙げていると、叉すぐトンネル。何回か繰り返すうちに結局いつもススだらけになります。このトンネルの開け閉めの忙しい景色の美しい場所を過ぎるといよいよ北陸に入ったと思うし、帰りは、ここを過ぎると北陸ともお別れだと思ったものです。窓の開閉の出来ない電車になって、線路が内陸に入ったか長いトンネルになってしまったかで、あの海岸沿いの山と海の眺めは楽しめなくなりました。唯一、北陸自動車道の杉津からの眺めが、当時の汽車からの美しかった眺めを思い出させてくれます。左の半島が敦賀半島敦賀原発がどこかにあるはず。どこの原発も人の近づかない美しい場所にあるようです。
Fさん宅では収穫されたトマトや懐かしいほのかに甘いウリを頂いて、海沿いの町の料理屋さんに予約を入れてあるということで橋立(はしたて)へ。橋立は昔からの漁港ですが、私にとっては、小学生の頃の田舎の思い出の海水浴場でした。大きな茶屋があって、カキ氷とイカ焼きの臭いと新聞紙に包んだオニギリの海苔の香りです。あんなに大きくて広かった海岸が今見ると意外なほど小さな砂浜です。子どもたちが数人いて、静かなものです。内海になった静かな入り江には漁船がたむろしていました。
美味しい海の幸をタップリ頂いたあと、奥さんの運転で、次に向かった所は尼御前という松林の高台。白砂青松の美しい景色。尼さんの銅像があります。この海岸沿いに北へ向かうと歌舞伎の勧進帳で有名な安宅関があります。言い伝えを読みますと、義経一行にただ一人いた尼さんが、女の身は足手纏いになるとここから身を投げたのだそうです。安宅関を目前にしてそう思ったんですね。(写真左上)
次は加佐岬に。ここには白い灯台が建っています。小道に沿って下っていく道の草むらには沢山の花が咲いています。その中に、ナデシコがありました。「これが撫子よ〜」というと、案の定、男性二人は「へぇ〜、ナデシコってこれか〜。初めて見る!」「いつもなら、忘れるけど、今度は女子サッカーのお陰で忘れないぞ〜」とか。よく見ると、本当にあちこちに自生しているようです。
岬の先端は砂が剥きだし。板囲いで砂止めがしてあって、中には防砂林用の松の苗木が風除けのカバーをかけて植えてありました。先端の海に向かって右手は白い砂浜になっています。左手には崖があって、隠れ浜があります。どう見ても下の砂浜に降りる道はないようです。お墓参りの後、夫の弟の橋立出身のお嫁さんの話では、隠れ浜の方は、断崖になっていて降り口はなく、小さい頃から、右手の浜辺から泳いで岬を回って辿り着くしかなかったとか。
5時過ぎに山代温泉まで送ってもらい、お墓参りを済ませて、弟夫婦と夕食を頂きました。昨年、お祭に呼んでいただいてからの再会。弟はこの3月で定年退職。長年の夢だった、家の増改築が出来て、快適な新居になっていました。両親が亡くなったら山代とも縁が切れると言っていた夫でしたが、弟夫婦が声を掛けてくれますので、こうやって、両親が健在だった頃と同じように実家が消えずにあります。私も2年暮らした街ですし、下の息子の生まれた地でもありますので、今も懐かしい街です。
今朝は、夫は早々と車で立山へ向い、私はお嫁さんのM子さんに車で加賀温泉駅まで送ってもらって帰阪。車の中でお向かいの奥さんのその後を聞いて驚きました。上の息子の3つ年上の男の子がいたのですが、生さぬ仲のもらいっ子で東京へ行ったきり、実の親(夫の弟夫婦)から40歳過ぎてまだ結婚しないのは、母親の育て方が悪いんだと今頃責められるんだとか。あの見事な植木の盆栽を沢山並べていたご主人はボケが始まって、機嫌が悪くなると、「ここはお前の家じゃないから出て行け」と喚くんだとか。「そう〜、さっきご挨拶したとき涙目だったけど〜苦労してらっしゃるのね〜」と私。M子さんは「厳しい姑さんに仕えた上に、女の不幸を皆抱えたみたいで・・・」と。
我が両親の故郷であり、夫の故郷であり、私の故郷ともなった加賀滞在24時間でした。