「3・11を心に刻んで」(岩波書店)

岩波書店のホームページに、5月から毎月11日に、3人の著名人によるエッセイが発表されています。「 私たちは、3月11日の大震災において被災された方々のことを心に刻み、歩みたいと思います。そして、どのような状況にあっても言葉を恃むことを大切にしたいと願い、ホームページ上での連載をはじめることにしました。毎月さまざまな方に、過去から蓄積されてきた言葉に思いを重ねて書いていただきます。毎月11日の更新です。 岩波書店編集部 」。(岩波のホームページは:http://www.iwanami.co.jp/311/index.html
その中から、安全性について水俣病の教訓がいかされていないという医師の方のエッセイをここにコピーしてみます。本文は縦書きです。
最近では、 9月11日更新の赤坂憲雄さんの「ゴジラナウシカ」についてのエッセイや、8月11日更新の澤地久枝さん、詩人のアーサー・ビナードさんのエッセイもお薦めですので、ホームページで是非読んでみて下さい。


3・11を心に刻んで                                   原田正純  




  安全についての指摘は、どうしても利潤の側、つまりは実施する側に対しては”ニガイ言葉”にならざるを得ない。
                             (武谷三男編『安全性の考え方』岩波新書
 


「大量の原子力発電が行なわれた場合の恐ろしさは想像に絶する。利潤や採算ほど勝手なものはない。国民の楽しい健全な生活を犠牲に供し、尻ぬぐいは国民の税金で行なうのだから、こうして危険を警告するものを一笑に付したり、悪者扱いにして、あとは知らぬ顔である」、「一般に"危険だ"といってトクをすることはない。"危い"という人はいつも損をしたり、袋叩きにあったりする。それをあえていう人は、公衆の側に立っている人だ、だからその人の方を信用すべきだということである。もう一つは、「危い」という人は、真にその性質をよく知っている人である」とも言う。さらに放射線については「どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。(中略)"どこまで有害さをがまんするかの量"が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである」、また、許容量とはどこまでがまんすべきかという量で、絶対安全な基準ではないとも言っている。これは今から約半世紀前の1967年に刊行された『安全性の考え方』の中の武谷三男の言葉である。


 1969年6月14日、水俣病患者家族29世帯112人が原因企業のチッソに対して慰謝料請求の訴えを熊本地裁に提起した。水俣病第一次訴訟のはじまりである。チッソは「前例がなく、危険性が予見できなかったので責任はない(無過失責任)」と主張してきた。裁判を支援するために石牟礼道子、本田啓吉、岡本達明らの呼びかけで水俣病研究会を立ち上げた。研究会で激論する中で富樫貞夫が武谷氏の『安全性の考え方』を取り上げ、チッソの主張に反論することを提案した。討論の結果、「安全性が確認されるまでは有害であるとする考え方をとるべきで、有害と明らかになった時は手遅れである」と主張し、チッソの不可知論に対抗した報告書をまとめた。『水俣病にたいする企業の責任---チッソ不法行為』(水俣病研究会、1970年刊)である。そして裁判は勝利し、安全性が確認されるまでは危険として取り扱うべきという考え方が次第に定着しつつあった。


 しかし、残念ながらそのことを改めて想起しなければならなかったのが3・11の原発事故である。驚いたのは、ある専門家の「海で放射能は希釈される」というコメントを聞いた時だった。水俣病の教訓の中でも最大の教訓は食物連鎖による濃縮、たとえ濃度が薄くても自然界の中で次第に濃縮されるという事実であった。半減期がそれぞれ異なる放射性物質は水銀よりさらに予想が立てにくく厄介である。案の定、遠く離れた牧草から牛、牛乳と、食物連鎖による汚染の事実が明らかになってきた。水俣の教訓は活かされていない。 (はらだまさずみ・医師)
        

◎「さようなら原発1000万人署名」については:http://sayonara-nukes.org/shomei_faq/
★写真は比良にあるピッツァcafe”季気HOUSE”の前庭(9月12日)