「インクルーシブ教育と復興の在り方(克服するのではなく)」(ゆめ風だより)

(二つ目です)
◎あれは、20年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災でした。高速道路を支える太い橋脚がグニャリと曲がり、今にも落ちそうなトラック、町々が次々と猛火に襲われる映像。明け方、いつになく音を立てて揺れ、家が軋んだあの地震が、神戸でこんな恐ろしいことになっていると震える思いがしたのを今でも覚えています。ボランティアという言葉が広く使われるようになったのもこの地震がきっかけだったように思います。私が誘われて近くの障害者センターへ顔を出すようになったのもこれがきっかけでした。その後、永六輔さんたちの呼びかけで、被災障害者を支援の「ゆめ風基金」が設立されました。現副代表の河野秀忠さんが箕面市民だという事を送られてきた「ゆめ風だより」で知りました。
ところで、つい最近、菊池桃子さんが「1億総活躍国民会議」の初会合後の記者団の取材に応じた中で、「1億総活躍」のネーミングが分かりづらいと「ソーシャル・インクルージョン」という新名称を提案されたことがありました(蛙ブログ10月31日)。この言葉は最近の障害者教育の現場でよく使われる言葉だそうです。菊池桃子さんの言葉は:


・1億総活躍のその定義につきましては、ちょっとなかなかご理解いただいていない部分があると思いますので、私の方からは、1つの見方として、言い方として『ソーシャル・インクルージョン』という言葉を使うのはどうでしょうかと申し上げました。ご存じのとおり、ソーシャル・インクルージョンというのは、社会の中から排除する者をつくらない、全ての人々に活躍の機会があるという言葉でございまして、反対の言葉は、対義語は「ソーシャル・エクスクルージョン」になります


・2人の子供がおりますが、長男は健常で、就学の際も何も問題がなく、平等に開かれた義務教育というサービスの中で勉強させていただいていたんですが、ハンディキャップを持った2番目の子供につきましては、就学も難しく、また学習機会というのも、義務教育であるにもかかわらず、なかなかその場所がなくて、探すのに苦労したことがございました。その辺りの社会的構造に関しても、それはまさにソーシャル・エクスクルージョンになるかという思いがございました
(引用元:http://www.sankei.com/life/news/151029/lif1510290029-n1.html

◎高齢者の場合、介護でお世話になる「地域包括支援センター」がありますが、この「包括」という言葉もインクルージョンという言葉の日本語ではないかと思います。インクルージョンによく似た言葉にインクルーシブという言葉があります。日本語にすれば「包括的な、包摂的な」ということになりますが、エッセイに入る前の予備知識として、言葉の説明も兼ねて、同じ「ゆめ風だより」から八幡隆司さんの記事を写してみます。


インクルーシブ防災は世界の潮流
 今年3月に仙台で開かれた国連・防災世界会議ではアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)のマーシー・ロスさんが「アメリカでは緊急的な疾病の場合を除き障害者を集めたりしない。福祉避難場所も作らない。平常時も非常時もコミュニティの中で安全で合理的な配慮を行うように、情報へのアクセスを保障するように、連邦政府から各州に要請している」と報告しました。
 今回の世界会議では「インクルーシブ防災」の重要性が打ち出されました。「インクルーシブ防災」とはだれも排除しない、障害者のニーズを特別なニーズとして捉えるのでなく、様々な人たちが持つ個性的なニーズととらえること、そしてそのニーズに応えることが当然のことだ、という防災の考え方です。(10頁の「インクルーシブ防災をめざして」より)

◎それでは、本題のエッセイを:筆者の今村登氏のプロフィールは:1964年長野県飯田市生まれ。1993年に不慮の事故にて頸椎を損傷し、以来電動車いすユーザーとなる。2002年に仲間と「どのような障害があっても自分の住みたい地域で自立生活を送れるようにする事」を目ざし、NPO法人自立生活センターSTEPえどがわを設立し、事務局長に就任。運動を通じて見えてきた問題を切り口に、他の分野の問題点との共通点を見出し、他(多)分野の人々とのつながりを作っていく活動も手掛け始めている。

リレーエッセイ 災害と障害者―第48回ー
   日常生活の中に潜む問題が顕在化する時
   そして教訓を活かした復興とは                               今村 登

インクルーシブ教育

 あれは確か2011年の1月ごろのことだったと思う。障害者制度改革推進会議の抜本改正が議論されている最中で、教育の項目でインクルーシブ教育をしっかりと書き込もうという推進会議での第二次意見に対し、文科省が相当の抵抗をしていると聞いて、当時の内閣府副大臣にロビーイングに行った。
 なぜそんなに抵抗されるのかと聞いたところ、副大臣曰く「インクルーシブ教育にするのだと基本法に書かれると、来年度から全国の小中学校を全部バリアフリー化しなくちゃいけなくなり、それには莫大な予算がかかり費用対効果もどうだかわからないし非現実的」と言って、文科省が強く反発しているとのことだった。
 それに対し私は「基本法にインクルーシブ教育を推進すると書いただけで、来年度から一気に全国の小中学校のバリアフリー化工事が始まるなんてありえないでしょう(あってほしいけど)。確かに、全国のどの学校でも、毎年確実に車いすユーザーの生徒が入学してくるとは限らないかもしれないし、入って来ても極少数人数だろうから、対象人数から見たら費用対効果は薄いという判断が出るかもしれない。だけれどそれよりも、効率の小中学校は災害時の一次避難所になっているでしょう。そうなれば地元には体の不自由な方はもっといるでしょう。公立学校の校舎をバリアフリー化することは、そういう方も使いやすい避難所となるわけで、充分意味も必要性もあり、費用対効果もあると言えるのではないですか。また、そういうことであれば、バリアフリー化を全部文科省の予算でやるのではなくて、他の省庁の予算に組み入れることも考えられるのではないですか。」というような反論をしたことを覚えている。
 そしてこの2か月後に3・11東日本大震災が起き、避難所の学校がバリアフルで、また住民の理解も乏しく、苦労したり引き返したりしたという被災障害者、家族のエピソードは後を絶たなかった。中でも、普段から地元の普通学校に通っていた重度障害で呼吸器ユーザーのAさんが自分の学校に避難したら、みんな顔見知りなので、「Aさん、無事でよかったね。」と寄ってきて受け入れられた一方で、普段は地元から遠く離れた特別支援学校に通う知的障碍児のBくんは、まわりから排除されたというエピソードは、まさに分離教育の弊害をよく物語っている。



障害当事者参加で災害に強いまちづくり
 煙などで視界が遮られた時、騒音で音声案内が聞こえなかったり、サイレンやスピーカーが壊れて機能しない時、パニックの時、避難経路などの案内表示が判り難く、より一層パニックになってしまう時、通路が狭くて倒れたもので行く手を阻まれた時や段差に躓く時、災害時は誰もが障害者となるといっても過言ではないと思う。
 だからそれぞれの障害の特性を参考にしたまちづくりができれば、その地域は災害に強くなれるのではないだろうか。多種多様な障害者が参加して、それぞれの障害特性に対し、避難に必要な合理的配慮を考えたまちづくりが実現できれば、そのまちは災害に強いまちになるだろう。完成後も検証やメンテナンス等に、障害当事者の就労など、持続可能な活躍の場も創り出せると思う。その時のキーワードは「社会モデル」。


復興のあり方(克服するのではなく/人権だけでなく)

 日本一とも東洋一とも言われたスーパー堤防でさえ、3・11の津波で破壊された。その他多くの建造物もことごとく破壊された。私たちはここから何を教訓とし、復興はどちらの発想の方向に向かうべきなのか。
 一つは、「自然を克服するという発想」。これは、もっと頑丈で高い堤防を作って、自然の猛威を人間の英知で克服できる(抑え込める)まちづくりをする!(景観、観光破壊はお構いなし)
 この発想を原発に当てはめると、もっと頑丈な原発を造る!(壊れることは想定しない、低線量被ばくは無視、差別の継続)となり、障害に置き換えると、障害はない方がいい。もっと訓練して克服するもの。乗り越えるべき。それができないのは自己責任。弱肉強食、格差・差別容認の社会となり、これまでと何ら変わらず、何の教訓も活かされない。これでは復興ではなく復旧である。

 一方もう一つは「自然と共存するという発想」。これは、時に自然は猛威を振るうことがあるという事が当たり前として、工夫して受け入れるまちづくり。(自然の恵み、景観に感謝)  
 これを原発で考えれば、誰かの犠牲の上でしか成り立たない原発、ひとたび事故を起こしたら取り返しのつかない原発はやめて、多様な自然エネルギーにシフトする。そして障害はありのままでいいじゃないか! 多様性を認め合えるインクルーシブな社会にしていこう!となると思う。 人権は大切だが、そればかりが行き過ぎて、人命さえ守られればよいとなってしまって、人間以外のあらゆる生命に対する尊厳を忘れた復興では、やがて人類は滅びていくと思う。
 リアス式海岸の美しい景観を遮る巨大な堤防や、地元の山を切り崩し、その土を24時間ベルトコンベアーで運び出して広大な土地に10m以上の高さの盛り土をし宅地を新設する。津波の直撃は免れるかもしれないが、人工的に盛った地盤は、地震に耐えられるのだろうか。大雨で崩れたりはしないのだろうか。森を失った海は、豊かさを保てるのだろうか。
 全ての生命の尊厳を大切にするとともに、インクルーシブ社会を目指す障害者権利条約の完全履行こそ、軌道修正の希望の光があると思うのだ。
 (「ゆめ風だより」No.72)

(桜並木を越えた西側、お地蔵さんから下る道と交差する角のお宅の紅葉と一番下のヒイラギ南天、そして筋向いのYさん垣根の白山吹の黒い実とビナンカズラの赤い実)