「10万年の安全は守れるか〜行き場なき高レベル放射性廃棄物〜」
国谷裕子:白紙に戻すことを覚悟で見直すことをどう思われますか?
植田和弘(環境経済学の専門家で京都大学大学院教授):重い重要な提言だと思います。地層処分のリスクである活断層と地下水に根本的疑念が出たので白紙に戻せと。
国谷:「リサイクルされた時の高レベル放射性廃棄物がガラス固化され敷地内に大量にたまっている。半世紀もの長い間放っておかれたのは、なぜ? どうしてそのままに?」
植田「:公害国会と言われた1970年(S45)に産業廃棄物処理法が出来て、最終処分が決まらないものは生産出来ないようになりました。廃棄物処理できるということが解って初めて生産出来る。日本の工場で最終的処分の処分場所が決まっていないところはない。あるとすれば法律違反です。
ところが、放射性廃棄物に関しては、1957年に原発の場所で管理するとされたままで、続いて2000年の時に、あふれそうになって、最終処分を決めないといけないということになって法律が出来て、2002年から公布するとしたが、動かず、結果的には全く放置されたまま。例外的な扱いがまかり通ってきた、しかし、去年の3月、事故が起きて改めてこの問題を見つめざるを得なくなった。福島の原発事故はもちろん事故リスクの問題を大きく顕在化させたと思いますが、同時に原発という技術の持ついろんな問題を表にだした。その1つとして放射性廃棄物の問題がある。産業廃棄物と同じで廃棄物の最終処分が明確になっていなければ本来生産してはいけないという原則が本当は確立しないといけない。ところが、私たちは電気の向こう側のことを余り考えないまま電気を使っていた面が、やはりあった。」
日本学術会議の今後の対策についての提言の柱の一つは『暫定保管』という考え方。
直ぐ地層処分に踏み切らず暫くの間、人間の目が届く場所で管理するという方法です。
カナダで採用されている方針を参考にします。
最初の60年は原発の敷地内または浅い地下施設で管理。その間に、より安全な貯蔵方法の改善とその賛否などを問う国民的な議論を行おうというもの。その後、深い地下への地層処分をすることになっても方針変更があった場合に備えて200年は廃棄物を回収できるようにしておく。
日本学術会議検討委員会・今田高俊委員長:「回収可能性と安全性への配慮。この二つを柱にして数十年から数百年保管する。廃棄物の処分が上手くいくように研究を続ける。そういう意味では特に無駄な期間というわけではないと我々は考えているんです。今すぐ(地層処分を)やる方がリスクが高すぎるということです。」提言のもう一つの柱は、高レベル放射性廃棄物の『総量管理』です。
現在の原子力政策には高レベル放射性廃棄物の量を制限する決まりは全くない。これまでに日本の原発から出された使用済み核燃料は既に六ヶ所村で一時保管できる容量の8倍になります。総量管理とは高レベル放射性廃棄物の上限を決めるべきだという考え方。原発を再稼働すべきかどうかなど様々な原子力政策を廃棄物の量という視点から議論しようという提言です。
日本学術会議検討委員会・船橋晴俊幹事:「総量管理」というのは一つの議論のテーブルを作っていく非常に大きな促進要因になる。それで原子力に対する批判の人、推進の人、その人たちが一緒の議論を出来るようにするためには「総量管理」という考え方をまず共有する。そこから生産的な議論が始まるだろうと。そこに今回の学術会議の回答の1つの大事な論点があるわけです。」
報告書を受けとった原子力委員会、今後、その内容を検討して参考にしていきたいとしています。
原子力委員会・近藤駿介委員長:「地層処分の問題が原子力界の中で議論が閉じていた。皆さんが技術的可能性とか問題点について十分に情報を共有していない、ということ、そこに非常に大きな問題があることを今回の報告書は教えてくれたということだと思う。」(→)
国谷:「学術会議は今後の対策として『総量管理』という考え方を提示して高レベル放射性廃棄物の上限を設けて、そこから議論したらどうかということですが、この意義はどうですか?」
植田:「そのですね、当たり前のことですが、廃棄物を無限に貯めていくということはできないです。明らかに限界がある。ですから、総量としての限界を明らかにせよというのは、現実に一杯になってきているということもあって、おのずから合意しやすい。そこから、あらゆるエネルギー政策の諸問題を考えて行こうという提起に意義を感じます。廃棄物の量から将来のエネルギーがどうあるべきかを遡(さかのぼ)って考えるという。
もう一つは、総量管理というある種の原則だと思うんですが、そういう原則をみんなの合意事項にすることが出来れば、そこを前提にして共通の土俵で議論する言う可能性が開かれていく、そういう意味で一つの国民的議論の可能性を確認するという趣旨も込められているという風に思います。
国谷:「総量管理」と同時に「暫定保管」ということを提言しているわけですけれども、60年は目の届く所で、200年は取り出し可能にしましょうということですけれど、処分のあり方、処分問題を先送りしているのではないか?という声も出てきていますが?」
植田:「そうですね。ただですね、再処理をしますとか言っても、今すぐ直接処分をしますと言っても、どちらもリアリティがないんです。再処理は動いていませんし、直接処分の場所がきまっていない。
むしろ暫定保管という考え方はこの二つの点である種積極的意味をもっている。 1つは、暫定保管の間に議論を積み重ねて解決の方向性を見出そうという国民的議論のための時間を作る。もう1つは、実際に地層処分するためには研究が必要、調査が必要、出来れば放射能の影響をもっと小さく出来るような技術の開発の時間もありますから。
国谷:「貯まり貯まって、今までキチンと向き合って来なかった問題・核のゴミ、負の遺産ですけど、誰がどういう風に受け入れるということで納得いくものなのか?」
植田:「そういう負の遺産は誰も受け入れたくないわけですね。でも、逆に言うと皆が受け入れざるを得ない、考えざるを得ない問題になっているということを表に出したという点が、今回の提言の持っている意味でありますし、その表に出す時に、どういう土俵というか前提条件を作ればそういうことが可能になるのかということを提示したという点で、大きな意味がある。私たちはどうしても負の遺産をどう分配するかという問題に付き合わざるを得ないというある種の覚悟みたいなものを私たち自身持つ必要があることをも突きつけられたようにも思う。」
国谷:「そういった時に、議論のいわば柱、柱立て、というのはどのように?」
植田:「世代間の倫理・公平の問題というのは基本的な考え方の一つでしょう。みんなの間で公平・正義という問題。
それから、リスクや負の遺産を、どういう風に分ち合うという言い方もできると思うのですが、分配するのか、ということも考えざるを得なくなったということだと思います。」
国谷:「ようやく表に出てきた・・・」
植田:「はい、出発点だと思います。」 <終わり> (10月1日 NHK「クローズアップ現代」より)
◎いよいよ年の暮の衆院選挙になってしまいました。昨日、湯浅氏のコメントを聞いて納得でした。現実は困難なんだということをシェアするための政権交代だったというようなお話でした。鳩山さんの「少なくとも県外」があえなくダメになった頃、たまたま息子たち二人が家に居て、民主党になって一番良かったのは日本は今大変なんだということが国民皆に解ったことだったと意外に冷静な話をしていました。それ以後3・11で、沖縄の問題は原発推進と関係があったのだ、ということが誰の目にも分るようなもなってきました。どちらもアメリカと日本の関係で決まってきた問題だったという。自立した日本がアメリカと良い関係を築くことが大切だと思います。
出来ない事を出来ないと責任ある立場の科学者が言う。今回、日本学術会議が、地層処分は地震国日本では出来ないという意見と対策を原子力委員会に提出しました。それを受けた側がどう対処するか…ということが新たな問題です。脱原発や、核のゴミの処分、福島の除染や放射能汚染から子どもたちをどう守るのか、どれもこれも難題です。私たちが外野席で正論を吐くだけで事態が動いたり改善されたり出来るほど世の中の問題は単純でも簡単でもないということです。それでも、一人一人が逃げないで考え続けること、声を挙げ続けることで少しでも世の中が良い方向に変わっていくように・・・善きことはカタツムリの速度で…歩みをとめないで・・・