京大旧湯川研究会同窓会有志による脱原発の「訴え」

憲法記念日の今朝は雨上がり。バラの花もほころび始めました。
憲法については「日本がアブナイ!」さん(http://mewrun7.exblog.jp/17906187/)の心配を私も心配しています。

瀬戸内寂聴さんが霞が関の反原発ハンストに参加された日経記事を取り上げようと思ったら母が届けてくれた2日の讀賣夕刊では写真入りで記事に。こちらの記事を取り上げることに:80歳代のお二人の頑張りには頭が下がります

瀬戸内寂聴さんら  反原発ハンスト   経産省前で


関電大飯原発3,4号機の再稼働を巡り、反対を表明している作家の瀬戸内寂聴さん[89]や澤地久枝さん[81]らが2日、東京・霞が関経済産業省前で反原発の市民団体が行っているハンガーストライキに参加した=写真=。
瀬戸内さんはこの日の午前9時半ごろ、経産省前に現れ、車いすに座って「広島や長崎で原爆の被害を受けた日本が唯々諾々と原発を使っているのは恥ずかしい。原発はなくさないといけない」とあいさつをした。また、澤地さんは「原発をなくすことを国が約束しなければならない。日本の未来の命が不安だ」と述べた。

今朝の「原発のない日本を目指して福島から叫びます」さんのタイトルは,
京都大学旧湯川研究会同窓会メンバーの脱原発アピール 」でした。
そこで思い出したのが、昨年NHKで放送された「原発事故への道程(前篇・後編)」です。
この番組は、非公開の「原子力政策研究会」(都内雑居ビルの一室で月1回、1985〜94年で9回)という会合の録音テープを基にしています。これは「政治家や旧通産省の官僚、研究者、電力会社やメーカーのOBたちなどの100時間に及ぶ録音で、最優先されるべき安全性が置き去りにされた歴史が赤裸々に」語られています。
この中で、正力松太郎原子力担当大臣になり「原子力委員会」をつくり、研究者代表として湯川英樹を招くが、湯川の「急がず基礎研究から」に対して、正力は「外国から開発済みのものを輸入して早期実現すべき」とすぐ対立。湯川の門下生の森一久という人が「なにも1日で辞めることはないでしょう」と間に入ったが、1年後、辞任。この時の湯川博士の「『急がば回れ』という言葉が原子力にはぴったり当てはまる」という言葉が今も鮮明に残っています。<蛙ブログ「原発事故への道程(前篇)」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110925/1316939434)>
「…福島から…」さんの紹介文では「研究者としての責任感から生まれたアピールだと思いますが、それだけに重く、心を打つものがあります。この中↓には、アピールだけでなく貴重な証言も記載されています。例えば、正力松太郎原子力発電導入に国民の同意を得る有力なPR、手立てのひとつとして湯川博士を利用(原子力委員に就任させた)したことはよく知られていることですが、そのあたりの湯川博士の真情、辞任の経過なども、詳しく語られていて、とても貴重なものだと思います」として紹介されています。
全文はコチラから:http://zero21.blog65.fc2.com/blog-entry-130.html ◆「前文」に湯川さんと原子力委員会とのいきさつが書かれていますが、ここでは訴えの部分以降をコピーしてご紹介したいと思います。(太字・色字 by 蛙)

原発の再稼働」をめぐって各界に訴える:京都大学旧湯川研究室同窓会有志 
私たち湯川研究室同窓会の有志が呼び掛け人となって、原発再稼働の動きに対して以下のような訴えを4月27日、京都大学の記者室で公表しました。
それをここに掲載します。朝日新聞京都新聞の28日朝刊で報じてくれました。



原発の再稼働」をめぐって各界に訴える / 京都大学旧湯川研究室同窓会有志  2012年4月27日         


        訴え 


 福島原発事故からこの一年、故郷を追われ、想像を絶する苦難の日々を送る被災者、その一方で「原子力ムラ」の実態が日々、白日のもとに曝されています。宿命的な業官の癒着はもとより、その原子力ムラの中枢にあって、科学者の名において、原発安全神話の形成に免罪符を与えてきた一部の学者・専門家の存在とその行動が、世論の酷しい批判を浴びています。 
 加えて地震列島日本の危うさが改めて報ぜられる最中、これまでの原発政策についての根本的見直しもせず、「原子力ムラ」の政官業学の構造はそのままに、停止中の原発の再稼働に向けて走り出した政府の昨今の「暴走」には、怒りを超えて新たな危機感を覚えます。事故発生直後から、今日に至るこの一年有余の深刻な経験からの教訓は一体何であったのか。
 すでに多くの識者が指摘するように、これ以上に半永久的な国土の、そして世界の放射能汚染という最悪の遺産を未来世代に残さないためにも、「脱原発」への決断は、わが国にとって不可避、緊急の課題となっていると言わざるを得ません。政権はまずもってこのことを銘記すべきです。「脱原発」に伴う困苦が生じても、国民はきっとそれを乗り超えるであろうことを信じています。



1.原子力関連の学界、研究者のみなさん 
 いま地震列島日本のすべての原発が停止に入ろうとしています。いまこそ敗戦直後の廃墟から立ち上がったわれわれの先輩たちの気概に学び、日本が原子力といかに向き合うべきか、初心に立ち返って考える最後の機会となっています。
 嘗てない大きな世論の昂まりを背景に、原発依存から脱却する決断を政界、業界に求めるまたとない機会であり、みなさんの勇気ある発言が期待されています。そして放射能の危険から日本を、世界を救う長期にわたる困難な課題、それに応えうる有為の後継者育成の課題が託されています。この課題は核兵器の廃絶の課題とともに、20世紀の現代科学がもたらした「原子力と人類」という人類史的課題です。 われわれの先輩たちの願いをみなさんが引き継いでくださることを切に訴えます。


2.学生のみなさん
 われわれは原子力自身を敵視しているわけでは全くありません。 “私は原子力を知ったこと、さらにそれが危険であることを本当に認識することが、却って人類の前により良い世界を拓く鍵となることを信じている ”は、敗戦直後の湯川博士のことばです(「科学の進歩と人類の進化」1947)。原子力は太陽や夜空に輝く無数の恒星のエネルギーの源泉です。むしろ人類が到達した今日の科学の世界に、現実の人間社会が進化・適応できないことこそが問題です。「原子力ムラ」の形成はその典型的事例です。敗戦時にも匹敵するこの激動の時代にあって、 “科学とは、技術とは、そして学問とは何か” を学び、考える絶好の機会です。湯川博士の謦咳に接したわれわれ同窓会有志は、みなさんの奮起を期待します。


   (参考文献) 
 湯川秀樹著作集5(岩波)、井上健「旅路」(上記)、「森一久オーラルヒストリー」(近代日本史料研究会2008・1)、『世界』(岩波2012、1月号ほか)、山崎正勝『日本の核開発 :1939〜1955原爆から原子力へ』( 績文堂2011・12) 



呼び掛け人:徳岡善助、亘和太郎、山崎和夫、上田顕、
        田中正、井本三夫、菅野禮司、中沢嘉三、


湯川研同窓会メンバーに、この訴えの賛同を募り、目下集計中。