「さようなら原発1000万人署名12・10集会」呼びかけ人挨拶より

「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」から大きな封筒が届きました。
12月20日の第2次締切に間に合わせて送った署名のお礼と報告とカンパのお願いと「さようなら原発1000万人ニュース」の第5号と2・11全国一斉アクションのチラシが入っていました。
今朝の日経新聞には「脱原発集会に1万2000人」として昨日の記事が:「■作家の大江さんら 東京電力福島第1原発事故を受け、脱原発をめざして作家の大江健三郎さんらが呼びかけた「さようなら原発1000万人アクション」集会が11日、東京都と新潟県であり、東京・代々木公園には市民ら約1万2千人主催者発表)が集まった。」
第5号ニュース(1月10日付)から、昨年12月10日、東京日比谷公園野外音楽堂で行われた「がんばろう!さようなら原発1000万人署名12・10集会」。5500人が集まり、呼びかけ人を代表して鎌田慧さんと大江健三郎さんが挨拶。そのあいさつ文から。

鎌田慧さん


この美しい空の下にも、ストロンチウムなどの核物質が流れているのではないかと、公園を通りながら思っていました。こんな平和な風景の中でも、私たちは恐怖を感じながら生きていかなければならないのです。福島では、どのような状態になっているでしょうか。子どもたちは、どうなっているのでしょうか。想像するだけで、胸が痛くなります。

原発はいらない! 原発はさようならだ! というのが私たちの運動です。これからますます広がろうとしています。
 
すでに原発には、決着がついています。これ以上、新増設が出来る状況ではありません。いかに早く原発を止めるのか、廃炉に向かって進むのか、そういう状況になっています。日本には54基の原発があります。しかし稼働しているのは、8基(現在は3基)しかありません。これは原発が、電力の供給には全く寄与していない、いつも故障しているということです。そうした不安な原発に依存していて、なおかつ爆発と放射能汚染の恐怖がある

そういうことを選んでしまったのです。私たちが選んだのではありません。政府が選んで、押し付けてきたのです。それに対して、あまりにも無関心で考えなかったことが、突きつけられています。

これから、どういう被害が、子どもたちに残るのでしょうか。10年、100年、1万年と残り続ける放射性物質と、子ども、子孫たちがどう付き合うのか。そういう問題も突きつけられています。速やかに、危険な原発から停止させる。廃炉にする。そのための1000万人署名運動です。



もんじゅ」を止める、それから青森県の再処理工場を止める。これらは日本が核武装する物質的な基盤です。「もんじゅ」や再処理工場が無ければ、日本は核武装できません。

 原子力発電は、原子爆弾から生まれました。それだけではありません。原子爆弾は、原子炉から生まれます。高速増殖炉を動かしてプルトニウムが作られていくのです。そのため日本の政治家や首相は、これまで一切、原爆は作らないとは明言していません。原爆を研究すると言っています。こういう危険な状態にありながら、私たちは無関心であったと思います。


1000万人署名を政府にたたきつけて、原発をやめさせましょう。原発に賛成する政治家は選ばない。原発に賛成する政治家は落とす。そして早く平和な社会にしましょう。

まだ200万しか(12月10日現在)集まっていません。あと800万です。3月24日にこの場所で、集約集会を開きます。それまでに1000万以上を集めて、国会に持って行きましょう。


大江健三郎さん


 9月19日に明治公園で行われた「さようなら原発5万人集会」に私も参りました。実際には6万人を超えたのであります。この大きな人波を見て、これは私が今までの人生で見た、二番目に大きな集会だと思いました。
 今までに見た最大の集会は、2007年9月に沖縄県宜野湾市海浜公園で行われた、「教科書検定意見撤回を求める9・29県民大会」でした。11万人の人々が集まられました。沖縄の人口と日本全体の人口を比較しますと、11万人の集会は1000万人の集会と同じなのです。 教科書検定は沖縄の人々にとっては、非常に根本的に大きな問題でした。沖縄は、日本国内で唯一の地上戦が行われた場所です。その戦争について、特に日本の軍隊が戦争の末期に沖縄で行ったことに対する事実が、教科書から省略されてしまった、ほとんど無くなったことに抵抗する人々の集まりでした。


 それ以前にも大きな集会がありました。1995年の米兵による少女への暴行事件に抗議した県民集会には、8万5000人が集まりました。この集会での県民の意思表示は非常に大きなものでした。若い人たちや、戦争を経験した人たちの挨拶は、大変素晴らしいものでした。そのことが、沖縄の米軍幹部たちの関心を強く惹いたのです。 それまでは、沖縄の人々がどのような危機感、怒りを持っているのかは、鉄条網の向こう側には伝わっていなかったと思うのです。
 沖縄の人々の思いを知った人々が、アメリカ側で非常に良い委員会を作ってくれました。戦後に日本でできた、アメリカ側の委員会としては、最も妥当で公正で優秀な人々が集まった委員会でした。そこで普天間基地を移動させなければならないことが決定されたのです。



 しかし、それから20年近くが過ぎようとしていますが、いまも普天間基地は動かさなければならない、しかし辺野古では基地を受け容れられないということがはっきりしています。ところが、それに対して日本政府は、「なんとかなる」ということを言っています。それを信じていないのは、沖縄の基地にいるアメリカ軍の将校たちです。またアメリカ本土の政治家たちにも知られています。


 1000万人署名について、1000万人という数を考えたのは澤地久枝さんです。彼女は「1000万人が原発はいやだと署名したら、政治家たちは無視することができないでしょう。100万ではだめです」と言っています。
 100万人ではだめでも、1000万人なら何とかなると彼女が思った理由には、心の中に沖縄の11万人の集会があると思うのです。それが日本で行われるならば1000万人でなければならない。だからまず署名しようということだと思います。



以下略◇日本がヨルダン、韓国などの4か国と結んだ原子力協定。これは日本がこれらの国々に、原発をはじめとして原子力関係の資材や技術を輸出する前提となる。参院ではすでに可決。この8か月で、原発の輸出を平気で決定するようになった。3月11日の直後には、政治家も反省の発言をしていたが、今や反省の声は聞こえず、粛々と、原発を輸出するのみになった◇私は、こういう揺れ戻しの始まった中にあって、原発を廃絶しようという根本の決意に立った運動がある、それのみが頼りだと考えています。その市民たちの動きのみが、現在と未来の全てを担っているのだと考えております。

2か月前のあいさつ文ですが、今も、2つの流れが見えています。
脱原発依存、さようなら原発の流れと、原発維持・推進・輸出の流れです。
日本だけでなく、アメリカでも、フランスでも、国策として脱原発を選んでいない国では昔からある2つの道です。