「4つの事故調」「再停止声明」などなど(土日の新聞から)

ブログ仲間の先輩さんyoo-sannから流木の花器を送っていただきました。写真で見るよりずっと迫力があります。
自然が作った流木を川で選んで運んで形を整え塗料を塗ってと手の加わったそのズッシリとした存在感が迫力です。

ほぼ正三角形に足を踏ん張ってる流木の花器を真上から(タイルの一辺は20cm)→
←早速、柏葉アジサイを突っ込んでみました。
さて、土日の原発関連記事を並べてみました。

1.土曜日(9日)の日本経済新聞朝刊「きょうのことば」欄に福島原発事故の4つもある事故調査委員会を表にしてまとめた記事がありました:

福島原発の事故調  4つの存在、独自に調査


▽…東京電力福島第1原子力発電所の事故原因を調べる主な委員会は4つある。政府、国会、民間、東電がそれぞれ設置し、各事故調は連携せずに独自に調査をしてきた。7月までにすべての最終報告がでそろう。

▽…これまで公表になった報告書や調査の経緯から、各事故調のスタンスの違いは明らか。
東電事故調は、自己弁護が目立つ内容で、想定を超える津波が原因と結論付けた。
政府事故調は、原子炉の冷却装置を巡る判断ミスを指摘、中間報告では官邸の責任に踏み込んでいない。
民間事故調は、根っ子に「原子力ムラ」の問題があるとし、政府や東電を糾弾した。
国会事故調は、強い権限があり、関係者を原則公開で聴取、誰が悪かったのか、責任追及に力を入れる。

▽…1979年の米スリーマイル島原発事故でも複数の事故調が出来、その提言を受けたカーター大統領(当時)は米原子力規制委員会(NRC)の改革などを進めた。日本でも新しい規制機関について国会審議中だが、各報告書の提言をどう反映するかは決まっていない。

2.大阪府市エネルギー戦略会議の声明は写真で→
写真から漏れている記事は:「大飯原発で重大な事故が発生した場合の放射性物質の拡散予測シミュレーションをただちに実施し、再稼働前にっ国民に公表するとともに、原発から100キロ圏内の住民を対象として避難対策や被曝防止対策の確立を、政府に訴えている。」(日経土曜夕刊より)

3.放射能の脅威ない社会 実現を」
    平和宣言原案 長崎市が提示


 長崎市は9日、長崎原爆の日の8月9日に田上市長が平和祈念式典で読み上げる平和宣言文の第2回起草委員会で、「放射能に脅かされることのない社会の実現を求める」とする宣言文の原案を委員に提示した。7月7日の第3回委員会などで検討を重ね、7月中に宣言文をまとめる。
 原案で市は、原子力発電による高レベル放射性廃棄物が膨大に蓄積されていることについて「わが国の非核の立場を疑われるほどの量になっている」と指摘。
 東電福1原発事故は収束していないとして「福島の皆さんを支援する」とした。
 保有国が核軍縮に消極的なことを批判し「2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の後は、速やかに核兵器廃棄のロードマップを協議できるよう努力すべきだ」と強調している。(後略)日経土曜夕刊より

4.10年後も帰還困難18%
     福島11市町村の避難者 政府が試算

 政府は9日、東電福1原発事故で被災した福島県内の11市町村では除染の効果を考慮しない場合、空間の放射線量が年間20ミリシーベルトを超えるために帰還が困難である住民の比率が10年後でも18%に達するとの試算を示した。原発立地の大熊町では10年後でも81%、双葉町でも同49%の町民の帰還が困難としている。
 同日に福島市で開いた周辺12市町村の首長や佐藤雄平福島県知事との協議会で提示した。
 試算は、除染をしない場合の空間の放射線量の推移を20年間にわたって推計。事故前の人口分布に基づき、避難指示を受けた8万5988人が何年後に帰還可能になるかを示した。居住が制限される年間20ミリシーベルト超の地域は、5〜10年後でも6町村に残り、5年後で32%、10年後で18%、20年後でもなお8%の住民が帰還困難であるとした。(後略) 日経日曜朝刊より

5. 痛ましいワゴン車と大型トレーラーの(原発)交通事故のニュースですが、場所は福島県二本松市。ワゴン車には70〜81歳の女性が5人、そのうちの4人と「マルイ眼科」パートの運転手・志賀さん(70)が死亡しました。
女性5人は、東電福1原発事故による葛尾村から30キロ離れた三春町への避難者で、志賀さんも自宅から避難していました。5人は南相馬市にある眼科で月1回の診察を受けた後、1時間半かけて三春町の仮説住宅に帰る途中だった。
大型トレーラーを運転していた自営業、佐野さん夫妻(37)は軽傷。佐野さんも同県飯館村からの避難者で、積んでいた重機を三春町の会社で降ろした後、南相馬市の仮設に向かっていたという。「事故現場は片側1車線の緩いカーブで、事故当時は雨のため路面がぬれており、2台は正面衝突だった。」(日経日曜朝刊)

6.復興への舞 勇壮に
      岩手の鹿踊り、大阪で披露

 東北地方の伝統芸能、鹿(しし)踊りを伝える岩手県大船渡市の「仰山流笹崎鹿踊保存会」が9日、大阪府吹田市国立民族学博物館で公演し、踊り手が腰につけた太鼓をたたきながら勇壮な舞を披露した。震災後では初めての公演という。
 鹿の角が付いた「鹿頭(ししがしら)」などの衣装や道具を津波で失い、同会が存続の危機にあることを知った同博物館の林勲男准教授[55]が、鹿肉加工業者らから鹿の角を集めて寄贈した縁で公演が実現。阪神大震災を経験した神戸市の獅子舞や龍舞の団体も駆けつけて競演した。
 鹿踊りには鎮魂の意味も込められていると言い、同会の佐藤耕一事務局長(63)は「震災犠牲者の弔いになった。復興に向けた一歩となれば」と話していた。(後略)日経日曜朝刊